第一話「ヒーローが生まれた日」
-1-
『みんなは将来何になりたいのかなー?』
『むしょくー!!』
幼稚園の頃、そんな回答をしたらケツを叩かれた。ニュースで見た体罰反対という言葉で抗議しても、事前に親から許可が出ていたので無意味だったのだ。意味がなかったのだが、園児の親たちが躾に対してむしろ寛容になってしまったらしい。
とにかく働きたくなかった。できる事なら幼稚園にだって行きたくなかった。でも、家にいるとドメスティックなバイオレンスが容赦なく繰り広げられるので、母親から逃れるための避難場所は必要だったのだ。
そうして頭のいい俺は学習した。無職ではいけないのだ。世間体が悪い。表面上だけでも、もっとこう……優雅な感じでないといけない。
『先生、僕は高等遊民になりたいと思います!』
『お前は馬鹿か』
一蹴だった。
普段あれだけ夢を持ちなさいと言っていた小学校教師が、子供の夢を踏みにじったのだ。許せない。
仕方ないので似たような意味を探して回答をしたところ、呆れながらも受け入れてもらえたのは『旅人』だった。卒業アルバムにはその時の作文がそのまま残っている。今思えば旅人もどうなんだって感じではあるが。
『別に成績が悪いわけでもなく、内申も問題ない。なのにこんなふざけた進路表を出してくるって事は何か悩みでもあるのか? 特に話は聞いていないがウチのクラスにイジメがあるとか。無理やり書かされたとか』
『特にありません。俺は本気で引き籠もりを目指しているんです』
『……あー、頭っから否定してもアレだしな……理由を聞こうじゃないか』
『働きたくないからですっ!!』
ぶっ飛ばされた。グーで。教師生命を投げ捨てる覚悟が籠もった熱いグーパンチだ。しかし、そんな暴力事件が発生しても、事情を聞いた人はみんな先生の味方だった。周りすべてからお前が悪いというレッテルを貼られ、どうしようもなくなったので諦めて高校に進学した。
その時の教師は今でも同じ中学で働いている。これまで一番手のかかった生徒を聞くと必ず俺の名前が出るそうだ。……解せぬ。
ようするに指導者に聞くからいけないのだと理解した俺は、教師に問いかける事をやめた。もっと身近なところから攻めるべきだ。
『なあ……どうやったら引き籠もりになれると思う?』
『……とりあえず、囓れる親のスネが必要だな。もしくは膨大な貯金』
駄目元だったのだが、高校時代の友人は意外にも真摯に相談にのってくれた。
確かに引き籠もるには金が生活費が必要だ。しかし、ウチは結構裕福なほうだが、親に生活費を出させたら文句を言われるに違いない。下手をすれば、またドメスティックなバイオレンスが行われてしまう。だとすれば、自分で稼ぐしかない。
『金か……どうしたら稼げると思う?』
『いや、そんなの俺が知りたいくらいなんだが……え、まさか本気で生涯年収稼いで引き籠もるつもりなのか?』
『当たり前じゃないか』
どうやら、俺の本気っぷりが伝わっていなかったらしい。俺はこんなにも真剣に将来の事を考えているというのに。
『あー、俺はあんまり詳しくないが、大学で金融の研究してる親戚がいるな。役に立つかは分からないが、会ってみるか?』
『願ってもない。早速アポイントを……』
目的のためなら俺のフットワークは軽い。そうして、俺の数年に渡る戦いが始まった。
近くの大学で教鞭を執るその教授は世界に散らばる無数のデータから金融取引の法則性を特定し、自動的に詳細な傾向を見つけるためのシステムを構築していた。当時はまだビッグデータという言葉すらなかった。それどころかネットだって今のように普及していたわけじゃない。なのに、ずいぶんと先験的な挑戦者だったのだ。まあ、似たような研究をしていた人はたくさんいたらしいが。
当時時点での進捗は芳しくなく、実現はほとんど夢物語のような状況だ。使えそうなのはせいぜいトレードの自動化と情報収集のシステムくらいで、具体的な目処など立ちようがない。教授も、取るに足らない論文で成果を誤魔化しているという始末。
しかし、土台はあるのだ。理論やシステムはどうでも良かったが、金を稼ぐためには近道だと必死になって勉強をした。
進路も迷う事なくその大学を選択。特に問題もなく合格する。その時期は必死過ぎて夢を語る事もなくなっていたので、周囲や家族からは、『ようやく真人間になってくれた』と血迷った事を言われたくらいだ。なるわけがないのだ。俺は変わらず夢追い人のままである。そういう意味では旅人なのかもしれない。
夢は諦めない。この先待っている人生を引き籠もって過ごす。大学卒業までのタイムリミットは近い。勘違いした両親は大学院まで進む事を提案し始めたが、俺にそんなつもりはなかった。
ここに至ってシステムは完成していない。生涯年収どころか、小金を稼ぐための法則すら曖昧な状態だ。
だが、システムだけに頼らず、ある程度人力とコネを使う事で、特殊な金融取引の傾向を掴む事ができた。これを利用すれば、一度だけなら稼ぐチャンスはあるだろう。対策しようと思えばできてしまうチャチな穴だが、俺にはそれで十分だった。
そして、賭けには勝った。予定よりかなり目減りはしてしまったが、引き籠もるための当座の資金は手に入った。
よく考えたら違法に手に入れた情報を元にインサイダー取引をしたようなものだったが、二度目がなければ露呈はしないだろう。そして、俺に二度目は必要なかった。
大学を辞めたあと、何故か教授が逮捕されたと聞いたが些細な事だ。罪状は聞いていないが、色々危ない情報に手を出していたから、そのツケを払わされたのかもしれない。悪い事はいけない事だと思います。
ある意味突然引き籠もり始めた俺に、周囲は動揺した。その動揺した時間を利用して、完全な引き籠もり体勢を創り出した。理由を聞かれたが、そんなもの引き籠もりたかったからとしか言えない。夢なのだ。そこに部屋があるから引き籠もるのだ。
最初の一年は悪戦苦闘の毎日だ。外に出そうとする母親と逃げる俺。当時最新鋭だった監視システムとGPSを使い、逐一家族の情報を得た上でトイレに行く。どうしようもない時はボトルだ。食事は用意してくれるが、部屋には大量の非常食も備蓄してあった。長期間保存可能な物は味を犠牲にしたものがほとんどだが、引き籠もりライフと引き換えなら惜しくはない。一番の問題は水だ。最悪、濾過する事を検討しなけばいけない。
父親は数ヶ月で諦めた。世間体は悪いが生活費は入れているし、あいつも思うところがあったんだろう。時間が解決してくれるさ、と言っていたのを盗聴器で聞いた。
諦めなかったのは母親だ。専業主婦である事も手伝って、いろんな搦め手を使って俺を外に出そうとする。
くそ、排泄と食事の問題がなければ、ドアさえ開かないのに。
ささやかな抵抗として押入れでキノコともやしの栽培を始める。
業者を使って水道を引いたりもしたが、工事が終わったあとに破壊されてしまった。
電気を止められた。予め持ち込んでいた太陽光発電機を使う事で耐え凌ぐ。だが何気に生命線だったので、母親が留守の時に配電盤に細工をして止められないようにした。俺の部屋の電気を止めたら家すべての通電がストップする仕組みだ。
その方面に疎かったのか、ネット回線だけは無事のままだ。
そうして一年が経過した頃、ネットのニュースで怪人の存在を知る。
当時は事実だとしても引き籠もりには関係ないなと軽く流していたが、実はこの時すでに運命は動き出していたのだ。
-2-
「やあ、穴熊英雄君」
ある日、目を覚ますと白い空間にいた。寝ている内に拉致されて、どこかの矯正施設にでも放り込まれたのかとも思ったが……。
「私は君たちがいうところの上位存在。神のようなものだ」
いきなり自己紹介を始めた男は、自分を神という精神異常者だった。引き籠もり志望と同様、社会的に病気だと認められてここに放り込まれてしまったのか。つまり、この人はここの責任者ではない。という事は、懐柔したところでここを脱出できるわけでもないと。
情報収集には使えそうだが、精神異常者相手には骨が折れそうだ。上手く話題を合わせないと。
「はあ、それでここはどこなんです?」
「ここは私の空間だ。敗北し、力のほとんどを削られた身だから、せいぜい六畳一間の広さしか持てないが」
「えらくちっちゃい神様だな。で、どこの神様で?」
神様ならもっと盛大に超存在である事をアピールするもんだと思っていた。後光が射したり、指先一つで星を爆発させたり。
それができなくても、神秘性を見せる努力くらいはしてほしいものだ。
「神といっても、君たちの住む世界のそれとは違う。私はこことは異なる世界で神として君臨していたのだ。敗北したが故に名もない」
「はあ、俺の知らない神様ね」
ここで既存の神の名を騙り出したら、上手く躱してやろうと思ったのに。
「ところで、なんで俺はここにいるんですかね? 神様」
「君は死んだ。病名は心不全らしい」
「はあ……」
原因不明の場合は大抵心不全らしいので病名と言っていいか分からんが、引き籠もりの死亡原因などそんな感じだろう。
ここでトラック事故とか言われたら如何にも嘘なんだが。
「まあ、私が殺したわけだが」
「え、何その衝撃展開」
なんで問い詰めてもいないのに自白し始めるの、この人。サスペンスもののラストシーンなの。
「ひょっとしてこれはアレか、異世界転生ってやつなのか? チートな力を与えられて冒険者をしろって?」
「冒険者? ……ああ、確かに私の世界にはそういう職業の者がいたな。異世界……そういう意味では確かに異世界だ」
なるほど、これは良くあるテンプレ的な展開というわけだ。この人はそういう小説でも読んだって事か。なりきりプレイ……というかロールプレイングだ。
「チートというのは分からんが、君に力を与える事はできる。というよりもそれが目的だ」
「はいはい。どんなすごい力をもらえるんですかね? その力で何をさせようと?」
「世界の各地にバラ撒かれるケイジー?という化け物を退治してほしい」
「なんで疑問形よ」
化物退治という目的はともかく、自分がして欲しい事なのに良く分かってないのか? ちゃんと設定詰めろよ。
「実際、良く分からんからな。どうやら、候補を十人選んで力を与えて、その者たちがケイジーを倒すと私の権能を少しずつ返してくれるという話らしい」
「ああ、あんたの力を奪ったやつからの命令って事か。大変だな、あんたも」
「そうだな。実際戦うのは君なわけだが」
やだよ。そんな面倒な事。ロールプレイングのノリには付き合ってやるが、俺は根本からして引き籠もりなのだ。
「だが、俺は引き籠もりだ。異世界に行こうが、チートをもらおうが働く気はない。化け物と戦うなんてまっぴらだ」
「いいんじゃないか? 私も強制はしない」
ん? なんか変じゃね?
「強制しないのか? 力返してもらえないんだろ。そのために呼んだって設……呼んだんじゃないのか?」
「別に構わない。私が命令されたのは候補者に力を与える事までだからな。権能も今更返してもらっても持て余すだけで、面倒なのだ。できれば何もせずに穏やかな生活を送りたい」
こいつ、引き籠もりだな。同志の臭いがする。
あ、いや、実はここは夢で、俺の人格から生まれたキャラクターなのかもしれない。それなら納得だ。
「その……ケイジーは放置してもいいのか? 怪物なんだろ?」
「現地民は困るだろうが、私が関与するところではないしな。それに、暴れていれば他の誰かが対応してくれるだろう」
まあ、俺も異世界の住人が困っていても知った事はない。知り合いが被害を受けるのは嫌だが、知り合わなければいいのだ。つまり引き籠もり最強である。
「ああ、さっき十人って言ってたもんな。そいつらの誰かが対応すればいいわけだ」
「そうだ。更に言うなら私の担当が十人というだけで、同じ命令を受けている者は他にもいる。多数の中の一人が戦わないという選択をしたところで大した影響はないだろう。同様に、複数の神……元神の内、私が怠けていても誰かは真面目に対応する……のではないだろうか」
そりゃそうだが、一切確認してないならそれは楽観的に過ぎるのではないだろうか。
まあ、こいつ一人で十人。他にたくさんいるなら百人以上はいるんだろう。これも良くある集団転生というやつだ。
「そもそも私に割り当てられた十人という人数も多過ぎる。いちいち説明して相手の同意を得て力を与えて、という繰り返しを十人もしなければならないというのは面倒だ。しかも、そのあとの支援までしないといけないらしいからな」
転生後まで口出してくるのか。それを支援と考えるか、煩わしいと考えるかは本人の気質によるだろう。
「それって必ずしも十人に分けないといけないのか?」
「……どういう意味だ?」
「いや、与えないといけないのは力なんだろ? だったら、一人に十人分の力を渡してもいいんじゃないかって。力を渡した奴のサポートをしないといけないみたいだし、そのアフターケアも一人分で済む。楽チンだ」
「ほう……なかなか面白い事を言う。それに、楽チンという言葉は分からないが胸が踊る言葉だ」
え、適当に言ってるだけなんだけど、感心しちゃうんだ。
「では、君に十人分の力を渡しても問題なさそうだな」
「……俺は化物と戦う気はないぞ」
「問題ない。戦えとは言わないし、戦うなとも言わない。君の自由意思を尊重する。要請はあるかもしれんが無視してもいい」
「俺、部屋から出る気ないんだけど」
「いいんじゃないか? 私もそういう生活に憧れているし、君の提案ならしばらくはそんな生活を送れそうだ」
そんなんでいいのか。
「ちなみに受け取らなかった場合は?」
「君が死ぬ。……いや、正確には生き返れない、だな」
ああ、そういえば死んだって設定だったっけ。まあ、それなら選択肢はないな。
引き籠もっても良し、怪物はいるが戦わなくてもいい、その逆もOKだし、気が向いたら俺TSUEEできる力ももらえると。
万が一、実はこれが現実で、本当に異世界転生したとしてもなんとかなりそうだ。
「あ、引き籠もるにしても拠点が必要だな」
「拠点? ……ああ、そういう事なら君の部屋をそのまま拠点化しよう」
「そういう事もできるのか。ひょっとして、外から干渉できないようにもできる?」
「ああ、できるぞ。なんせ十人分の力だからな。補助のために用意された力もそのまま十倍だ。大抵の事はできる」
うるさい現地人に戦えと怒られる事もないと。いいじゃないか。ついでに現実の母親も黙らせてほしい。
「じゃあ、そんな感じで」
「分かった。私も物分りのいいパートナーが見つかって嬉しいよ。しばらくはよろしく頼む」
「ああ」
そういえば、後々までサポートするって話だったか。基本的に面倒くさがり屋らしいし、うるさく言われる事もないだろう。
いや、そもそも夢なんだろうが……まさか、夢だよな?
「では、譲渡の処理を始めるとしよう」
そう言って、神様は何やら発音困難な呪文を唱え始めた。舌噛まないのかなと見守っていると、俺の周りに光が溢れ始める。
……あれ、これ本当に夢なんだよな? なんか、すごくそれっぽいんだけど。
保険が必要かもしれない。万が一、本当に異世界へ飛ばされてしまった場合の保険だ。……何が必要だ。考えろ。
「あ、そういえば、俺の容姿って現地人的にイケてないと思うんだけど、変える事ってできる? あ、あと言語能力とか」
「あまり集中を乱さないで欲しいのだが……分かった。それも世界基準でハンサムな感じにしておこう。言語は……問題ないはずだ」
なんというか、柔軟な対応ができる神様だな。
しかし、変わった夢だ。異世界転生なんてネット上にありふれているが、どう考えても俺の知識から生まれたとは思えない神様だし。
まあ、夢じゃなくマジの異世界転生だったとしても、特に何かしろというのでもなく、引き籠もりの支援をしてくれるのだから問題はない。
言葉も通じ、美形になって、本来与えられる十倍のパワーまで備えていれば困る事もないだろう。
……美醜感覚が地球と同じだといいな。
そうして、俺は光に包まれつつ再度意識を失った。
-3-
「……やっぱ夢か」
目覚めたらいつも通りの自室だった。当たり前だが、期待してた部分もあるから少し落胆している。
いや、異世界転生に憧れていたわけでもないから別に問題はない。ようやく手に入れた引き籠もりライフ。安定し始めたこの生活を手放す気はなかった。だから問題ないのだ。
……いや、変だな。なんだこの声。
「あー、あー、あー」
俺の声じゃない。聞いた事のないハスキーボイスだ。
「声だけじゃない。腕も……体もだ。なんだこの腹筋、バキバキじゃねーか」
昨日までのだらけ切った体とは似ても似つかない、筋肉質な体がそこにあった。なんというか……マッチョだ。
腕も脚も丸太のように太く発達し、余計な脂肪は一切付いていない。元々の体を鍛えてもこうはならないだろう。
「え、マジなの? でも、ここどう見ても俺の部屋だし……」
あ、そういえば、自室を拠点にするって話をしてたな。……つまり、すでにここは異世界で部屋ごと転移して来たという事に。
思い返してみてようやく事態の重大さが飲み込めた。背中を冷や汗が伝う。
あれは夢ではなくマジモノの神様で、これは異世界転生だというのか。……生まれ変わったわけじゃないから転移なのか? って、それはどうでもいい。問題は、いつの間にかそんなファンタジーに巻き込まれたという事態であって、一体俺はこれからどうすれば……。
「……特に変わらないな」
どの道引き籠もりだ。しかも、引き籠もれる拠点までサービスされたわけで、むしろレベルアップしている。問題ない……のか?
体の違和感は拭えないが、差し当たっての問題にはならない。戦うわけでもないのだから尚更だ。
「ステータスオープン……って、そういう機能はないのか」
試しにお約束を口にしてみるが、視界にウインドウが浮かぶ事はなかった。ここはそういう世界ではないのだろう。
決して恥ずかしくはない。
立ち上がってみると、やたら視点が高い。十センチ以上は背が伸びているだろう。ここまで違うとバランスを崩しそうだが、極自然に自分の体として動く事ができそうだ。摩訶不思議。
「鏡……。俺の部屋って鏡あったっけ?」
とりあえず、全身と顔を確認したい。鏡は随分見てない気がするが……ああ、クローゼットの内側にあったな。
かなり長い事開いていないクローゼットの戸を開いて、内側に付いている鏡を覗き込む。そこには、あきらかに非現実的な容姿のマッチョマンがいた。サラサラの銀髪である。
「……ま、まあ美形ではあるな」
思った方向の美形ではなかった。なんというか……濃い。ムサイ感じのするイケメンだ。
きっとこの世界基準では、これがハンサムなのだろう。実際整っているし、映画俳優としても通用しそうだ。元々の穴熊英雄より容姿の点数は高くなっている。ただ、日本人的な要素は皆無だ。異様に彫りの深い顔立ちは、日本の町並みを歩けば浮く事間違いなしである。
ついでに、この顔でヒデオはないだろう。基本的に引き籠もるつもりだが、現地の人に会った場合の事を考えて偽名を考えておいたほうがいいかもしれない。
……どんな名前がいいだろうか。とりあえずシルバーとか? 銀色だし。
一応、外も確認しておいたほうがいいのだろうか。もしも市街地のど真ん中に部屋ごと飛ばされてたら、不自然極まりないだろう。
監視カメラは動いてるわけないだろうし、窓……は、板嵌め込んでるんだよな。隙間から覗いてみるか。
さて、定番の展開なら森の中ってのがありそうだが……一体どんな異世界なのかね。
「…………???」
おかしいな。窓に嵌め込んだ板の隙間から見える風景は、寝る前と変わらないご近所さんだ。以前と変わらない町並みが広がっている。
これは一体どういう事なんだ? この部屋を拠点として異世界へと転送したんじゃないのか?
似たような世界っていう可能性もあるが、あいつが神をやっていた世界は冒険者って職業があるとか言ってたし……この町並みで冒険者はないだろう。剣下げて歩いてたら普通に捕まりそう。
だとするとこれは……付近一帯を丸ごと移動させた? 適当そうな奴だったし、あり得ない事もないのだろうか。
実は、いやーな予感はしている。あまり考えたくない展開だ。
部屋だけ飛ばされて来たなら動かないだろう、とタカを括っていた監視カメラを作動させる。
……当たり前のように、家の中や玄関が確認できた。
「普通に母ちゃんもいるんだけど……」
雑誌を見て笑いながらせんべいを齧っている。
専業主婦だからいてもおかしくないのだが、それはあくまで元の世界だったらの話だ。これではまるで……。
確認のため、震える指でテレビを付けてみると、いつもこの時間帯にやっている番組が当たり前のように映った。
「……異世界転移してなくね?」
放送局まで丸ごとはさすがにありえないだろう。もしそうだとしても、一切影響なく番組を放送しているのはおかしい。
日本丸ごとが転移していればニュースにだってなるだろう。……ニュース。そうだ、ネットはどうだ?
「くそ、体がでか過ぎて椅子に座れない」
立ち上げっぱなしのパソコンを使用するべく机に向かうが、肘掛けがこの巨体には邪魔だ。
無理やり座ってブラウザを開くとインターネットにも接続できた。どのサイトにも日本が異世界に転移しましたなんてニュースは流れてない。怪人のニュースはいくつか見られるが、それは最近では珍しくもない。世界は平穏無事のままで何も異常はない。異常がないという異常事態だ。このままでは、世界で俺一人が異常である。
そもそもの話、なんで俺は異世界転移するなんて思ったんだ? テンプレだから? いや、違う。あの神が言ったからだ。
……なんて言ったっけ?
『冒険者? ……ああ、確かに私の世界にはそういう職業の者がいたな。異世界……そういう意味では確かに異世界だ』
そうだ。あいつは異世界の神で、俺は異世界転生なのかと聞いた。……そういう意味ってなんだ。
転生はいい。生まれ直したわけじゃないが、実際生き返っている……まさか、地球はあいつにとっての異世界だとでも……。
寝起きだったからボケていたのか、変な空間でテンションがおかしくなっていたのか分からないが、俺が異世界に行けと言われたわけじゃない。少なくとも明言はされていない。
「え、マジで?」
ここ、日本なの? 寝る前と何も変わらないなら、なんで俺はイケメンマッチョに変身したの?
これじゃ、家族にすら穴熊英雄だと認識してもらえないぞ。引き籠もり以前に外に出られない。
くそ、夢だとタカを括って対応したのが失敗なんだ。だが、アレをマジだと思うやつがどこにいるよ。直前でトラックに轢かれた記憶でもあれば話は別だが、俺はただ寝てただけだぞ。
「……一体全体何がどうなっているんだ」
『さっそく助言が必要かな』
……なんか、今変な声しなかったか。
『どうかしたかね?』
部屋を見渡せばテレビに神様が映っていて、こちらを覗き込んでいた。
「え……あ、か、神様?」
『言ったように、私はもう神ではないが』
いや、そういう事ではなく。
「あんたは夢の中で会った……」
『夢? ……ああ、君には夢のように感じられたかもしれないが、昨夜あった事は現実だよ。……ひょっとして、今更驚いているのか? 昨晩は随分と落ち着いた対応だと思ったが』
現実……これが現実。異世界転移してると勘違いしたくらいだ。今更これが夢だと言い張るつもりはない。
そもそもこのマッチョボディが自前のものだと言い張る気はないし、できない。これは別人だ。
「あ、あの神様? これは一体」
『これとは? ああ、テレビに映っているのは、そういう装置を使っているからだ。原理は私も知らない』
それも気になるが、今聞きたい事はそうじゃない。
なんでこんなマッチョなのか。なんで異世界転移してないのか。いや、それはすでに解決している。納得できていないだけだ。
「すいません。昨日聞いた時はボケてたんで、もう一回最初から、詳しく、明確に、説明をもらえますか?」
『えー面倒だな……』
「お願いしますっ!!」
ここで面倒くさがるなよ。こっちは一大事なんだよ。サポート係なんだろ。最初くらいちゃんとサポートして。
『じゃあ、画面越しというのもアレだから、またこちらに来るかい?』
「……まあ、それができるなら」
『ちょっと待っててくれ。……よいしょ』
そう言うと、神様は画面外へと歩いて行った。その場で力を行使して何かするなら神様っぽいのだが、いやに現実的に見えてしまう。
そうして、数秒待つと突然視界が切り替わった。……昨夜、神様と会った白い六畳間だ。名前のない神様は、極自然にそこに立っている。
-4-
「まあ、お茶でも飲み給え。粗茶だが」
夢……いや夢じゃなく、昨晩体験した白い空間にはちゃぶ台が置かれていて、その上には急須と湯呑みがある。横には保温ポットも。
飲み給え、と言うから入れてくれるのかと思ったが神様は動かない。……セルフで入れろって? ……いや、いいんだけどさ。
「……あの、神様……これ妙に薄くないっすか?」
「茶葉を代えるのが面倒なんだ」
慣れない巨体を駆使して急須にお湯を入れて注ぐが、出てきたのはそのまま透明なお湯だ。
粗茶ってレベルじゃない。これではお茶風味があるだけの白湯だ。……いや、本題ではないし、白湯でも構わないが。
「それで、何から説明すればいいのかな」
「えーとですね……」
納得したかはともかくとして、状況は把握している。まずはこれを明確にするところからだろう。
「異世界に行く事になってたと思うんですが、ひょっとして神様にとっての異世界って意味だったんですか?」
「ああ。君にとっては故郷だね。地球というのだったか?」
「あ、ハイ」
合っていた。合っててほしくなかったけど、合ってたよ。
「……それでは、なぜこんなマッチョメンに?」
「ん? 何か間違っていたかな。地球でハンサムと呼ばれる顔立ちとスタイルを基準にしてみたのだが」
地球規模……ワールドワイドかよ。そりゃアメリカンな感じのハンサムが基準になるならそうだろうけどさ。
「あの、俺の国って人種がちょっと。……日本人はこんな濃い顔してないんで浮くんですが」
「日本人?」
国の名前すら通じない。この神様にとって『地球』という異世界って認識で、その中の国って区切りは存在してないのか。
「あと……肝心な事なんですが、まさか地球上にケイジーが出て戦う事になるんですかね? 地球がリングだ、的な」
「ああ、そこはすまないが間違っていたようだ」
「よ、良かった。引き籠もってたら地球崩壊とか嫌ですからね」
これはアレかな。ケイジーが出現したらどこか別の空間に転送されてファイトするとか、そういう事かな。
「マニュアルをちゃんと読んだら、ケイジーではなくカイジンというらしい」
「呼び名かよっ!? しかも怪人かよ! もういるよ!!」
世界規模で確認されてて、被害も出てるよっ!?
「くっそー、これじゃ異世界転生モノじゃなくヒーローモノじゃねーか」
「ああ、君は分類上ヒーローと呼ばれるらしい」
マジでヒーローだった。
「主な担当区域は……ここだ。この島が君の担当だ。あまり広くないから、気楽なものだろ?」
突然宙に地球儀が現れ、神様がその一部を指す。……どう見ても日本だ。
「あの……その島全部っすか?」
「ああ。正確に言うとこの島とこの島とこの島とこの島……ちょっと離れるが、この島も担当らしい」
それは、沖縄まで含む日本国すべてを表している。
「まあ、担当とは言っても最初に言ったように強制はしない。出動要請は出るが、無視しても問題はない。私をあまり呼び出さなければ更にいい」
「いやその……怪人が出るなら被害出ますよね。街とか……人口密集地に出現したらテロと同じじゃ」
「怪人もアレで性質が良く分かってないから、必ずしも被害が出るというわけではないだろうが……まあ出るだろうね。君の住んでるあたりに直接出る事はほとんどないだろうから、気にしなくていいと思うよ」
「気にするわっ!!」
テレビやネットでニュース見るたびに居た堪れない気分になるだろ。
こいつ、まさか分かってやってて、慌てふためく人間を見て愉悦してるんじゃ……いや、これは何も考えてないな。
「くっそ、どうしてこんな事になってしまったんだ……」
「この世界の神が始めたらしいが、詳しい事は知らないな。私はただヒーロー適性のある君に力を渡しただけだ」
「……怪人が出るのも?」
「そうらしい。怪人とヒーローが戦うのを見たいと思った存在がいると聞いた」
なんて迷惑な……。
「幸い、様式美というやつで怪人よりもヒーローのほうが遥かに強い。人間では厳しいだろうが、ヒーローが戦えば問題なく倒せるらしい」
「戦わなかったら?」
「一通り暴れたあと消えるそうだ。関心を持たれないと消えてしまうとは、随分寂しがり屋だとは思うが」
被害出てるじゃねーか。
ネット上で見た限り、怪人はかなり強力な存在だ。銃も毒もロクに効かない超人で、人間が太刀打ちできる相手じゃない。
軍隊が出動してようやく足止めしてる程度。倒していないのになんで被害が広がらないか疑問だったが、消えていたのか。
「……まさか、怪人と戦うために日本全国を駆け巡れって話になる?」
「いや、怪人が出現したらヒーローのところに伝わるようになっている。出動要請を受諾すれば、そのまま現場へ転送だ。一秒もかからない」
出動要請を無視してもいいって言ってたのはコレの事か。なら、間に合わずに被害が拡大する事はない。……無視しなければ。
なら、体の事を気にしなければ今まで通りの引き籠もりライフを送れる。……送れるが、俺はこれを無視できるのか?
言っちゃなんだが、俺は小市民だ。これだけ被害が出てますってニュースを見て心穏やかに寝てられるほど強い心臓は持ってない。
……ん、ちょっと待て。
「俺以外……というか、他にもヒーローはいるんだろ?」
「いるね。地球の全土に担当分けされた元神が任命している。君が戦わなくても、他のヒーローが代わりに戦ってくれるかもしれない」
そんなあやふやな期待はしない。外国人が……遠く離れた国の奴が日本のピンチを見て助けに来るかなんて、博打もいいところだ。
仮にそいつがすごくいい奴で、あるいは日本贔屓で日本をピンチから助けたいと思っても、自国に怪人が出現している時に急行するかと言われたらノーだ。……俺が気にしているのはそこではない。
「まさか、神様が任命するって言ってた十人って、日本全土分の担当者だったのか?」
「そうだよ。今は君一人だけどね」
「…………」
……やべえ。やっちまった。俺は自分で味方になってくれるかもしれない奴の芽を潰している。同じ担当区域の奴が十人いれば、俺一人が怠けてても誰かが対応してくれるかもしれないのに、わざわざ一人になってしまった。
「あ、あの……この力を返して再分配とか」
「それは無理だね。一度渡したものは返せないし、もし返せても君が死ぬ」
そうだよな、うん。薄々そうじゃないかと思ってたよ。ほとんど自業自得で招いたピンチだ。
いや、発端は俺じゃねーけど、そんな事を言っても始まらない。寝ぼけてとはいえ受け入れてしまったのだから。
「わ、分かった。一瞬で転送されるなら、なんとかなるかもしれないしな。ヒーローは怪人よりも強くて、しかもそれが十人分なら苦戦もしないだろうし」
「え、戦うのかい? 引き籠もるって言ってたじゃないか」
「こんな状況で引き籠もれるかっ!? 俺の心が死ぬわ!」
「なんで怒っているのかは分からないけど、戦うかどうかは君の自由だから好きにしていいよ。実際、十人分の力を得た君なら怪人は敵じゃないだろう」
ほんと、何も考えてねーな、こいつ。俺も人の事言えないけどさ。
「じゃあアレだ。具体的な話をしたい。……怪人を倒すと何かいい事があったりしないか? 名誉とかそういうのじゃなく、もっとメリットになりそうな……怪人を倒せば得をするからよし倒そうって気になるメリット」
「あるよ。怪人を倒すとヒーローポイントというものがもらえる。そのポイントを使ってパワーアップしたり武器を手に入れたりできるらしい。……このカタログに書いてあるから持っていくといい」
「カタログ……」
神様はどこからか、分厚い冊子を取り出して俺に渡してきた。ギフトカタログにしか見えないが、表紙には『ヒーローギフト』と書いてある。
パラパラと中を見ると色々書いてあるが、量が多過ぎて把握できない。あと、ポイントの基準が不明瞭だから価値も分からない。
とりあえず、ラインナップのメインはヒーローの強化である事が分かった。それ以外にも、もっと普通な品物と引き換える事も可能らしい。
安いポイントで引き換えられる物の中には、そこら辺のコンビニで買えそうなものも含まれていた。
「これ……どうやって受け取るんだ?」
ヒーローの強化はいいとしても、物を受け取るのはちょっと無理があるんじゃないだろうか。宅配便とか?
「購入した時点で拠点……君の場合は自室に転送されるね」
「……そうか」
前向きに考えるなら、これは引き籠もりライフを充実させるために使える。
怪人を倒すにしてもわざわざ部屋から出る事なく一瞬で転送してくれるし、食料や水だって安価? で購入可能だ。
上手く活用するなら、もう一段階上の引き籠もりへとバージョンアップできるだろう。
……分かってる。現実逃避だ。それくらいポジティブに考えないと、自分の置かれた状況に耐えられそうになかった。
そう……この日、この時を以て、穴熊英雄は怪人と戦うヒーローになったのだ。
……まことに不本意ながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます