引き籠もりヒーロー
二ツ樹五輪
第一章『世界変革の日』
Prologue「巷で噂のヒーロー」
-1-
私が生まれるよりも以前の事だが、この国にはかつて消費税がなかったらしい。
その頃は一家に一台のパソコンどころか、スマホ……いや、携帯電話すらなかったそうだ。当然メールもできないし、インターネットにも繋がらない。外で待ち合わせする時はどうしていたのだろう、と疑問を覚えるほどに不便な時代だったと両親から聞いた。
そんな想像すら困難な時代がつい二、三十年前。世界は目まぐるしく変化を続けている。
私が生まれてからだって同じだ。たった数年、小学生の頃には考えられなかった常識が、極当たり前のように浸透している。
「また出たんだってさ、怪人。今月に入ってもう三回目だね」
バスを待つ私の隣に座る親友が言う。しばらく無言だったからメールでも見ていると思っていたが、珍しくニュースか何かを見ていたらしい。
「この近く?」
「いんにゃ、青森だって。あ、でも、この前はカナダだったから近いのかな。一応日本だし」
一応も何も、青森県は普通に日本だ。行った事はないけど。
「今回は対応が早かったから、被害はリンゴの木が派手に折れたくらいみたいだね。ちょっと前だったら農家のおじさんか地元の警察官が怪人に襲いかかって怪我してたのに」
「いい加減、慣れたんじゃない?」
怪人と呼ばれる存在が出現し始めたのは、つい数年前の事だ。
その呼称の通り、基本的に人型だけどあきらかに人間ではない、ハリウッドが全力で特殊メイクをすれば外観だけは似せられるかもというレベルの、不気味な特徴を備えた存在が世界各地で唐突に現れた。
「ほんと、意味分かんないよね。こんなリンゴを盗みに来るようなチャチな怪人もいれば、テロ紛いの暴動を起こす怪人もいるし」
怪人たちは悪事を働く。規模は大小様々で、それこそ引ったくりのような軽犯罪から強盗、誘拐、殺人、ハイジャックと行動に一貫性は見当たらないが、基本的に社会で犯罪とみなされる行為だ。彼らは予兆もなく突然現れ、何かしらの悪事を働き、倒されれば死体も残さず消える……倒さなくてもやがては消える。正体は未だ判明していない。怪人と一括りにしているが、それぞれに関係があるかどうかも分からない。
「対応早かったって事は、もう倒されたんでしょ?」
「そうだねー。またあの銀タイツさん。日本近郊はだいたいこの人だよね。前のカナダもだっけ?」
……やはり銀タイツか。
「どう見てもヘンタイなんだけど、あの人いないと東京壊滅してた危険があるんでしょ。さすが、ヒーロー。ヘンタイだけど」
怪人たちに共通しているのは突然現れる事、何かしらの悪事を行う事、そして同じくどこからか現れるヒーローに倒される事だ。
……そう、この世界にはヒーローがいる。怪人と同じく正体不明。人間では手のつけようもない怪人相手に互角以上の戦闘を行う謎の戦士。
本当の意味で正義の味方とは言い難い。利己的で暴力的で、気に入らない奴は助けない。むしろ、自分から攻撃しにいくケースもあったらしい。だけど確かに彼らはヒーローで、人間では対処できない怪人を倒してくれる。
「あんまりヘンタイとか言ってると、いざって時に助けてもらえないよ」
「う、……そういえば、現場で野次ってた人は助けなかったんだっけ。ヒーローなのにひどくない?」
「ヒーローだって、気に入らない奴は助けないんじゃない?」
「あたしも、助けてもらったのに文句を言う人はアレだと思うけどね」
怪人たちのカウンターとして用意されたかのようなヒーロー。最初は彼らの活躍もマッチポンプではないかと言っていた大人もいた。
だけど、何を言っても許してくれるような正義の味方でないと分かった途端に、そんな声も少なくなった。
いくら交通事故並みの可能性とはいえ、怪人に遭遇する可能性はゼロじゃないのだ。そんな時に助けてもらえないかもしれない、逆にむしろヒーローが攻撃してくる、なんて事態を考えるなら黙っていたほうが利口と考えたのだろう。……まあ、それでも文句を言う奴はいるのだけど。
「クリスみたいな子が応援すれば頑張るんじゃない? イケメン好きでしょ?」
「えー。銀タイツさんは確かにイケメンだけど、あたしが好きなのはもっと線が細い感じのタイプで、ああいう彫りの深いマッチョメンはちょっと……ヘンタイだし」
「じゃあ、怪人に遭遇しても、クリスは助けてもらわなくていいと」
「そうは言ってないし。いいよねヒーロー。シルバータイツ様。どうか襲われた時は助けて下さい! ヘンタイでも気にしないから」
正式名は銀タイツでもシルバータイツでもなくて、マスカレイドらしいんだけどね。
「……やっぱり、ネットで流行ってる『ヒーローを支える会』みたいなところに募金したほうがいいのかな? あたし、お小遣い少ないんだけど」
「アレ詐欺だから」
支えようにも、ヒーローがどこにいるのか分からない。募金なんてしても、その組織の維持費に消えるだけだ。
……というか、本人がその手の利益を得ているのを見た事がない。北海道の漁師を助けた時に、蟹もらって喜んでいたくらいなのだ。
「ほんと、あのヒーローさんたち何者なんだろうね。なんのために戦ってるんだろ?」
「さあ?」
世間一般では正体不明。時々、正体を追うなんてテレビの企画を見たりもするけれど、やはり謎の存在。多分、本人と極一部しかその正体は知らないだろう。
……私はその極一部で、目的も知っている。知っているが、広めるつもりは一切なかった。そんな事をしても誰も得をしない事が分かり切っているからだ。
「あ、バス来た。じゃあまた明日。お兄さんにもよろしく言っておいて」
「あいつ部屋から出て来ないけどね」
「ははは、そこは頑張って引き摺り出して社会復帰させるのが妹の使命だから」
そんな事を言い残してクリスは去って行った。自分が乗るわけでもないバス待ちに、極当たり前のように付き合うのだからいい子だと思う。
あんな忠告はしたが、巷で噂の銀タイツも、あの子が困っていたら助けないという選択肢は取らないはずだ。相手が可愛い子なら、むしろヘンタイと呼ばれて喜んでしまうかもしれないのがマスカレイドというヒーローなのだ。……つまりヘンタイである。
そんな感じで、今日も世界は続いている。
怪人やヒーローなんて異物が現れても大して変わる事のないまま。非日常が多少加わっても、それはやはり自然に日常へと転換されていくものなのだ。
世界は変わらない。……変わったのは、ヒーローに選ばれてしまった本人とその周りだけなのだろう。
-2-
「たかしー、たかしーっ!! いい加減、一度くらい顔を見せてちょうだいっ!!」
「ただいまー」
家に帰ると、いつも通り母がドアに向かって叫んでいた。
部屋から出て来ない兄に呼びかけて、説得する。返事はない。そうして、反対側からドアを強打されるまでがセットなのだ。
「こらたかしっ!! ドアを蹴るんじゃないのっ!! ……あ、おかえり。今日は早いのね」
「テスト期間だから部活休みだし。……お母さんもよく飽きないよね、それ」
「あんたたちのお母さんだしね」
兄が引き籠もりを始めてから早五年。ドアを叩く以外一切反応がないのに良くめげないなと思う。最近では作業めいてきているが。
「でも、兄貴の名前はたかしじゃないんだけど」
「そこはアレよ、親の癖に名前間違ってんじゃねーって出てくるかもでしょ? 今のところ効果ないみたいだけど」
「そういう意味があったんだ……。でも、なんでたかし?」
「なんかそういう様式美? さすがに息子の名前忘れたりしないわよ。……顔はそろそろ忘れそうだけどね、はっはっは」
子供の頃はあまり疑問に思わなかったが、ウチの母親はいまいち良く分からない人だった。
普通、引き籠もりの息子がいたらもう少し落ち込むか怒るかしそうなものだが、こうして謎のメンタルで地道な活動を続けている。
父のほうはもっと普通で、あまり家に帰って来なくなった。といっても別に浮気しているとかではなく、家に帰り辛くて残業ばかりしているらしい。
『じゃあ、残業代たくさんだね』
『……父さんな、管理職だから残業代出ないんだ』
以前、深夜に帰って来て一人で晩酌をしていた父とそんな会話をした。
良く話を聞いてみたら、管理職でないとそんなに残業できないらしい。規定で決まっていて、むしろ部下を残業させると評価が落ちるそうだ。
大人の世界は難しいものである。
「あんた、部屋が隣なんだから、何かお兄ちゃんからアクションとかそういうのないの? ほら、SOS信号とか」
「……ないよ。そろそろ私も兄貴の顔忘れそうだし」
「そうよねー。こうなったらお母さん、モールス信号でも勉強しようかしら。オタのあの子なら伝わりそうじゃない?」
「普通に呼びかけたほうが早いと思うけど」
「そりゃそうなんだけどね。色々趣向を凝らしてみたら反応あるかもしれないし」
それでモールス信号に至るのは色々おかしいだろう。
「まあ、反応があるって事はまだ生きてるって事だし、気長にがんばるしかないわね。いよいよとなったらドアを破壊しないと」
「も、もう少し長い目で見てあげて欲しいかなーって思うな……」
「あら珍しい。お兄ちゃんをかばうなんて」
いや、ドア破壊するとか、隣の部屋でそういう物騒なのは勘弁して欲しい。第一、あのドア壊れないみたいだし。
「あんたも、なんかいい方法あったら教えてちょうだい。こないだの聴診器は上手くいかなかったけど、お母さんは奇抜なアイデアを募集中です」
「はいはい」
聴診器は上手くいかなかったのか……。やっぱり、あの先は亜空間的な何かになってるって事なのかもしれない。
多分、ハンマーで壊そうとしてもドリルで穴を開けようとしてもあのドアは壊れない。だけど、そこまでいくとさすがに怪しむからお勧めする事はできない。業者を呼び込まれても色々困ってしまうし。
そんないつものやり取りのあと、自分の部屋へ戻る。
部屋に鍵をかける事は忘れず、鞄を置いて備え付けのクローゼットを開ける。
着替えるためではない。服は洋服ダンスにしまっているし、そもそもクローゼットの中は空だ。何もない空間の先にあるのは壁……ではなく、部屋だ。そこへ足を踏み入れた。
「……くっ、かあちゃん、ごめん。でも、どうしようもないんだ」
そこでは銀髪のタイツマンが蹲り、届かない母への謝罪を漏らしていた。
「ただいま、馬鹿兄貴」
「お、おお。おかえり妹。早かったな」
「テスト期間で部活休みだから」
「そうか、そんな時期か。……兄ちゃん、もう学生時代の事はあんまり覚えてないからな」
「元帰宅部には関係ないと思うけど」
「それは言うない」
会話だけなら、引き籠もりの兄と学生の妹のそれに聞こえるだろう。しかし、こちらはともかく兄のほうは普通の状態ではなかった。
記憶の中の兄は銀髪ではなく黒髪だったし、こんなにムダに鍛えられた体もしていない。声だって別人のもので……そりゃドアごしに話しかけられても返事できるはずがない。そもそも、個人を特定するために最も重要な顔は、異様に彫りの深いイケメンだ。どう見ても日本人ですらない。服装は……自宅だし銀タイツを着ていても問題はないだろう。恥ずかしいのは自分だけだ。
「なんか青森に行って来たんだって?」
「おお、つい二、三時間前な。りんごもらって来たけど食う?」
「……食べる」
……そう、目の前にいる兄は巷で話題のヒーロー、シルバータイツこと登録名マスカレイドなのだ。
-3-
「あー、りんごうめえ」
「そのまま齧らないでよ。切るから貸して」
「そこはほら、丸かじりのほうがワイルドだろ?」
「ムダにアクション映画みたいな絵ヅラになってて、居た堪れないの」
「あ、はい」
服装は置いておくとしても、その顔立ちとスタイルは一流のものだ。中身とのギャップが激し過ぎて、目を覆いたくなる。
背が高く、フットボールでもやっていそうなマッチョでゴツい体。贅肉は見当たらないが、とにかく太い。顔もそうだが、とにかく濃いのだ。漫画だったら主線が異様に太く描かれるのである。きっとセリフも一人だけ太字なのだ。
イケメンなのは間違いない。点数だけ見れば以前の兄よりから数倍上昇している事だろう。しかし、それはアメリカならともかく、あまり日本で受ける容姿ではない。少なくとも、腐った乙女たちが購入する薄い本には出てこないタイプだ。
そのゴツいイケメンからリンゴを受け取り、果物ナイフでりんごの皮を剥いて、切る。皿は、母が持ってきた食事のものをそのまま使った。
……部屋から出れないのに、この食事もどうやって回収しているのやら。
「それで、まだ戻れないの、ソレ?」
「ソレ言うなし。……ヒーローポイントが全然足りねえ。今日の怪人みたいな下っ端じゃ自販機の種類を増やすのが精一杯だ」
「また変なジュース追加したの?」
「だって気になるだろ。『餃子風味の豆板醤ジュース』。料理と調味料の立場が逆転してるんだぞ」
「いや、ならないし」
なんだそのゲテモノ。
狭い部屋でムダにスペースを取っている自動販売機を見ると、確かに良く分からないジュース……ジュース?が増えている。一応、普通のものもあるが、最近追加されたであろうものはキワモノばかりだ。あと、妙に水の種類が多い。
「ちょっとでも貯金すればいいのに」
「そんな事を言っても、兄ちゃん貯金できない体質でな。あったらあっただけ使っちゃうんだ。他に買い物もできないし。お手軽なヒーローカタログ、超便利」
「そんな事を言ってるから元に戻れないんじゃないの?」
「それもある」
それもあるというか、それしかないというか。とにかく駄目人間だ。見た目が変わっても中身はそのままである。
「元に戻る気ないの? お母さんでもそろそろ泣くよ」
「う……申し訳ないとは思ってるんだ。引き籠もりを始めた頃の俺をぶん殴ってやりたいくらい。反省はしてる」
でも、行動を改めるつもりはないとでも続きそうだ。たとえ過去に戻ったとしても、この馬鹿兄貴は変わらず引き籠もるだろう。
「事情だけでも説明するとか?」
「銀髪のイケメンに変身して部屋から出れなくなったけど、私があなたの息子ですって? ……信じられる要素ゼロだぞ」
「まあ……ね」
私だって、こうして直に話してようやく納得したのだ。いくら特殊な性格をしている母でも、部屋に入ってこれず会話のできない状態で受け入れられるとは思えない。動画撮影をして見てもらっても怪しいだろう。
「というか、たかしって誰やねん」
……意外に反応はあったらしい。
「それとさ……真面目な話、俺がヒーローやめたら日本の怪人被害は目も当てられなくなるぞ」
「確かに最近多いけど……別のヒーローが対応するんじゃないの? なんかポイントもらえるんだよね?」
あの自販機だってそのポイントでもらったものらしいし、必殺技を覚えるのもポイント制と言っていた。
正体が明かせないので国から金銭をもらったりはできないが、そういう利益があるなら他のヒーローが戦ってくれるんじゃないだろうか。
「怪人が日本にしか出ないならともかく、普通は自分のところを優先するだろ。怪人を倒すにしても、出動要請が優先されるのは怪人が出現した国のヒーローだ」
「そうなんだ」
「俺だって暇ならアメリカだろうが中国だろうが出動するが、進んで行きたいとは思えない。同じように他の奴らだって自国優先で、わざわざ関係ない国の怪人を倒しに来る理由がない。来るとしても、迅速な対応は難しいだろうな」
ヒーローは正義の味方ではない。あくまで自分の利益のために戦っている……と、本人は言う。
この場合の利益はポイントだけではなく、自分や家族、自国の安全なども含まれるだろう。純粋な善意でないので逆に信用できるともいえるが、その利益の範囲に縁の薄い他国が含まれるかは微妙なところだ。
「俺がやめてすぐに後任が現れる確約もないし、その後任が一切働かない奴ってケースだって考えられる。最悪、日本ピンチだけど復帰しなくていいの? 滅亡しちゃうよ。なんてあのクソ神どもに煽られる可能性もあるし」
「一応、そういう事も考えてたんだ」
「一応は余計だが……そりゃな。ヒーローとはいえ別に正義の味方を気取るつもりはないし、文句言う奴は『じゃあお前が戦え』ってぶん殴るが、被害が出てほしいわけじゃない。いくら俺でも、この街が危険だって言われたら無償でも出動するぞ」
馬鹿だし引き籠もりだけど、根本の部分ではちゃんとヒーローなのだろう。
未だにヒーローになった経緯は良く分からないが、多分そういう適性も見られているのだ。怠惰なだけで、善人ではあるし。
「じゃあ、せめて格好どうにかならない? 友達が話してるのを聞くのちょっとキツイんだけど」
「え、何、マスカレイドさん、女子高生の間とかでも噂とかになっちゃってるの?」
「……いやあんまり。たまーにクラスで聞くくらい」
「そうか……兄ちゃん頑張ってるんだけどな」
嬉しそうな顔になって、沈んだ。引き籠もりやってるわけだし騒がれるのは苦手だと思っていたが、実は目立ちたいのだろうか。
見かけは別人だから本人に対する賞賛ではないし、どちらにせよ格好がアレじゃいい話題にならないと思うのだけど。
「あ、でも今日の帰りにクリスが話してた」
「ああ、あの金髪ちゃんな。ハーフだっけ? 子供の頃に会ったっきりだが、今はさぞかしバインバインなんだろうな。バインたんって感じで」
「バインバイン……」
ハーフだからスタイル良くなるとは限らないけど、確かにクリスの体型は日本人離れしてる。だが、そんな見かけでも中身は純日本人で、初対面の相手は大抵流暢過ぎる日本語に驚くのだ。逆に外国語は苦手で英語の成績も良くない。というか、全体的に成績は良くない。
「スタイルは超絶いいね。だけど、銀タイツはヘンタイだって言ってた」
「……兄ちゃん、ヒーローやめたくなって来ちゃった。今要請来ても出動しなーい」
兄の巨体が、横向きにベッドへと倒れ込んだ。
……まずかったかも。嘘でもおだてたほうが良かっただろうか。クリスがマスカレイドの隠れファンだったとか。
「だから、格好なんとかすればいいのに。クリスが言ってるのもスーツと仮面の部分だけだろうし」
マッチョと濃い容姿もだけど、追撃はしない。
「できたらしとるわい。転送される時に着ていけるのはヒーロースーツだけで、コレがないと全裸なんだよ。一回全裸でアラスカに飛ばされて死ぬかと思ったわ」
「……そっか、全裸よりはマシだね」
「哀れむような目で見ないで」
そんな事言われても……。
と、狙ったようなタイミングで、部屋にけたたましいサイレン音が鳴り響いた。倒れていた銀色がむくりと起き上がる。
「出動要請だ」
点いていなかったはずの部屋のテレビに、怪人のプロフィールらしき情報が映る。
こうして出動要請の場に居合わせるのは今回で三度目だが、ヒーロー在住地の付近に怪人が出現するとこうして要請が来るそうだ。あるいは、別のヒーローから助っ人要請が来る事もあるらしい。
画面に表示されているのは『王墓怪人チタン・カーメン ザ・ファラオ』。頭の悪い名前だが、全身がチタンでできた金属怪人だそうだ。名前を見なければ強そうである。
「なんで渋谷に出るんだよ。エジプトに行けよ」
兄に要請が来るという事は、当然出現場所は日本。……東京の渋谷だ。世界的に見ても人口密集地。避難も困難で時間が経つごとに被害は加速する事が容易に予測できる。
「……行くの?」
「渋谷はさすがに放置できねえ。くそ、目立つんだろうなあ」
悪態をつきつつも、枕元に置いてあった仮面舞踏会のマスクを装着する。はっきりいってこれで顔を隠す事はできないが、何かヒーロー的な能力が秘められているらしい。
「んじゃ行って来る」
そう言う兄……マスカレイドに一切の気負いは見られない。
「なんか強そうだけど大丈夫なの?」
「あー大丈夫大丈夫。ザ・ファラオになる前のあいつには一回勝ってるし、むしろ目立つ事のほうが心配だ」
ザ・ファラオはパワーアップした形態らしい。
「気になるなら実況テレビでも見て応援してくれたまえ、妹よ」
「はあ……うん、頑張って」
そうして、兄はテレビに映っていた出動要請のボタンを押す。このテレビにタッチパネルの機能などないはずなのに、その直後、ムダに派手な光を放ちながら兄の姿が消えた。おそらくもう渋谷にいるのだろう。
画面は出動要請から切り替わり、どこかの博物館のような場所が映し出された。
逃げ惑う人々、破壊される展示品、金属製らしき体の怪人は先ほどまで画面に映っていたチタン・カーメン。……つまり、これは現場なのだ。
『ふわはははっ! 今日こそ、このツタン・カーメン展を破壊してくれるわ』
随分とちっちゃい目的の悪党である。
ご丁寧に怪人名のテロップまで入っているが、これは当然一般放送しているテレビ番組ではない。見るだけならこうして私も見れるわけだが、ヒーローにのみ許可される特別なテレビ番組なのだ。タイミング的に分かるだろうが、生放送である。
『待ていっ!』
専用の登場BGMをバックに現れる銀色のタイツ男。今ここに現れましたよと言わんばかりの転送エフェクトは、合成ではなく実際に起きている現象だ。ここから東京までの距離を一瞬で移動した事になる。
『カカカッ! 誘き出されたとも知らず、まんまと現れたなマスカレイド。先代の恨み、ここで晴らさせてもらおう!』
『え、パワーアップじゃなくて代替わりなんだ』
こんな状況でも馬鹿兄貴は素である。
『ゆくぞマスカレイドっ! 我が宿敵よっ!!』
博物館の破壊という目的はなんだったのか。展示品を無視して戦闘が始まった。
そして流れる主題歌。現場を無視して、映像は特撮もののオープニングのような映像に切り替わる。なんかすごい派手なバイクに乗った銀タイツが映っているが、兄貴はバイクの免許を持っていない。三回目となればもう慣れたが、妹としては超恥ずかしい映像だ。
オープニングが終わり、謎のスポンサーの提供テロップが流れ、CMを挟む事なく映像は再び博物館へ……。
『ぐああああっ!!』
……切り替わりと同時に、チタン・カーメンが爆発した。どうやらもうやっつけたらしい。
爆発をバックに決めポーズをとるマスカレイド。それに被せるようにエンディングが始まった。
「……出オチか」
三分番組もびっくりの瞬殺ぶりだった。本編よりオープニングやエンディングのほうが長いんですけど。
-4-
「いやー、チタン・カーメンは強敵でしたね」
「爆発したところしか映ってなかったんだけど……」
怪人を倒した兄は、すぐに部屋へと再転送されて来た。特に怪我もなければ疲労した様子も見られない。
「俺のオープニング、ちょっと尺が長いからな。本編が短いのは良くある事だ」
良くある事なのか。
「狙ったようなタイミングだったんだけど」
「ふ、自分のオープニングがどれくらいの時間かくらい熟知しているさ。なんせ編集したのは自分だし」
それはつまり狙ってやっているという事である。
これまでの行いを考えるなら許せるはずもないのだが、だんだん怪人が哀れになってきた。
「オープニング中の流れを一応説明すると、《 カーメン・ドライブ 》のパワーアップ版らしい新技の《 ファラオ・ドライブ 》を、俺のケンカキックで跳ね返したあと、マウントポジションからの滅多打ちでトドメを刺した。チタンだけあって、あいつの顔、なかなか硬かったぞ」
「画面だと、爆発を背にポーズとってたんだけど」
「あいつら、トドメ刺してから数秒後に爆発するんだ」
つまり、トドメ刺してからわざわざ離れてポーズをとっていたと。
「しかし、一日二回も出動するのは疲れるわ。これが労働って事なんだな」
「兄貴は世界中の労働者に謝るべきだと思う」
青森でどれくらい時間がかかったかは知らないが、合わせて三十分かかってないんじゃないだろうか。
いや、決してその活動が無意味というわけではないのだが、解せぬ。
「あのさ、……実は怪人って弱いの?」
「弱くはないな。マスカレイドさんが強いんだ」
マスカレイドさんはお前だ。
「ちなみに、さっき瞬殺されたチタン・カーメンはどれくらい? あ、ヒーローパワーとかそういう謎な力は別に、現実的な評価として」
「そうだな……マウントから殴った感触からすると、戦車砲の直撃くらいは余裕で耐えそうだ。動きも速いし、決死の覚悟を決めた自衛隊が被害を無視すれば、ひょっとしたらなんとかってくらい?」
「……それでひょっとしたらなんだ」
「いや、だって自衛隊の詳細分かんねーし、被害無視とか有り得ないだろ。全国の市民様から総バッシングだぞ。何もしなくても叩かれるのが自衛隊だけどさ。ひでえ話だが」
「それはそうだけどね」
実際、ここまで日本国内で通常戦力が怪人を討伐、撃退したケースはない。
通常火力でロクにダメージは通らないし、警察や自衛隊が即応できるような状況は大抵が人口密集地だ。避難も必要だし、建物を壊したりしたら賠償問題である。兄の適当な分析によれば戦力すら足りない。
そして、被害があろうがなかろうが出動しただけで関係なく世論に叩かれる。出動しなくても叩かれる。特に、怪人のケースはヒーローという謎の存在がいるので比較対象に上げられやすい。どんな縛りプレイだ。
「一応、海外では軍隊での撃破報告はある。ただ、対応した精鋭部隊が半壊したから、お世辞にも大勝利とは言い難いな。倒した奴って、確か今回のチタン・カーメンより弱いはずだし」
「今回のアレって結構強いほうなんだ」
「俺基準だとどっちも大して変わらんが、数値の上ではそうだな」
多分、マスカレイドさんが極端に強いだけなんだろう。強い怪人を瞬殺できるなら、弱い怪人だって瞬殺だ。
「そういう情報ってどこから仕入れてくるの?」
「人間側の情報は主にインターネット。秘匿されてるものも多いが、ヒーロー側の情報と照らし合わせればどれが本物の情報かくらいは分かる。怪人の能力は、確定情報に限ってヒーロー間で共有される仕組みだ。比較し辛いステータス表だし、閲覧にはポイントが必要だけどな。簡単な表でいいなら……さっきも出た出動要請にも載ってただろ」
パワー:Aとか、そういう漠然とした表だけどね。
「その情報を国と共有すれば被害抑えられるんじゃないかな」
「お前、その情報をどこから手に入れたって言うつもりだよ。そんな怪しい情報、出処を疑うに決まってるだろ。俺はこの部屋から出れないが、身バレしたら家丸ごと接収される危険だってあるんだぞ。冗談じゃねえ」
簡単に予想の付く流れだ。広告塔、プロパガンダに利用され、功績は"政府所属の"ヒーローとして扱われる。怪人の討伐ノルマだって決められるかもしれないし、代わりがいない以上二十四時間勤務を要求されるだろう。個人情報がどこまで秘匿されるか分からない上に、私たちが人質になる可能性すらある。なんの対価もなしにただ社会の犠牲になれと言っているようなもので、そこに自分の身も含まれているとなれば強要できるはずがない。
私がパッと思いつくだけでもこれだけ問題があるのだ。実際にそうなったらロクな事になるはずがない。
「大体、国に協力したからってそれで怪人を多く倒せるわけじゃない。下手すりゃ余計な事に足を引っ張られて効率ダウンの可能性すらある。だから今の体制でいいんだよ。どこからともなく現れて、対価を要求せずに去っていく謎のヒーロー。誰も損はしない」
「……ひょっとして、正体バレしたケースが存在するとか?」
「まあな。海外の話だし表沙汰にはなってないが、結局そいつは死んだらしい。そして、ヒーロー間ではその国に怪人が出現しても極力手を出さない暗黙のルールが出来上がった。未だ後任ヒーローもいない無法地帯だ」
「それは……」
なんとなくだが、想像できてしまう流れだ。今のところそんな話は聞かないが、歴史になってしまう国が出て来る事も有り得るだろうか。
「だから、お前もバラすんじゃねーぞ。ここに来るなとは言わないが、他の奴には言うな。……特に母ちゃん」
「お母さんは……そうだね」
有り得ないメンタルしてる人ではあるけど、それだけにこんな話を聞かせた場合にどう反応するか想像できない。お父さんは多分……卒倒する。……気の弱い人だし。
「そんな事情だから、この引き籠もりライフがいつまで続くかは分からんのだ」
「風評被害がすごいんだけど。今でも『兄弟が引き籠もりって大変だねー』って言われるし」
「……まさか、マスカレイドの話題より多いのか?」
「うん」
「馬鹿なっ!?」
世間はそこまでヒーローや怪人に関心を持っていない。せいぜいが芸能ニュース程度で、話題も世間話程度だ。みんな、遠い世界の出来事と考えている節もある。
目の前の兄は引き籠もりで、決して尊敬できる性格ではない。引き籠もる前は人格者だったという事もない。ズボラで、怠惰で、親泣かせで、元々の体すら無くしてしまったわけだけど、きっとヒーローとしては優秀なのだろう。日本で見られる被害の少なさがそれを語っている。
あまり話題に上がらないのは、そういった部分も影響しているのだと思う。
「……なんだよ、じっと見て。確かに今の俺はハンサムだが、それを褒めても嬉しくねーぞ」
「いや、濃い顔だなーって」
「しょうがねーだろっ!? 俺が決めたわけじゃなく、勝手にこんなアメリカナイズな顔にされたんだよ! 嫌だけど世界標準なんだよ!」
ある日突然ヒーローになって部屋から出れなくなってしまった兄と、何故かその部屋に入れる私。普通とは言い難い奇妙な関係だが、多分しばらくはこの状況が続くのだろう。
辞められない理由があるのはどうしようもないとしても、せめて兄の本当の顔を忘れないくらいの期間で勘弁してあげて欲しいものだ。
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