第34話
旅行はその日のうちに中断した。
冬休みが終わるまでの間を甲斐丁村で過ごそうと思っていたが、想像よりも早く魔女が見つかったため、女将には謝って旅館を立ち去った。
飛行場があればすぐに帰れるのだが、生憎村の付近にはないのでバスと電車の乗り継ぎをしなければならない。
流星は帰り際にあった小さな神社で御守りを購入した。翔真には、髪の毛で御守りをつくると嘘を吐いて来た。何でもいいから御守りを渡さなければならないことを思い出してのことだった。
「天気悪くなったね。雨が降りそうだ」
バスの中で呟くが、当然返事はない。その代わりに一華は窓から空を見て頷いた。
何も言わず隣にいることが正解か、呟くようにでも話すことが正解か。悩みながらも流星は話しかけることを選んだ。
「一華ちゃん、明日どうする?翔真のお見舞いは、冬休みが明けてからにしようか?」
突然喋ることができなくなった自分を、どう思うだろか。
明日押し掛ける勇気は、今の一華にはなかった。
スマートフォンのメモ帳に書き込み画面を流星に見せる。
「そうだね、お見舞いはもうちょっと後にしよう。俺も一緒に行くから、その時はメールしてね」
一華が行かないのなら、流星も行かないことにした。今の流星の中で優先順位は翔真よりも一華であり、翔真の見舞いよりも一華の傍にいることが大事だった。
翔真の話題になったところで、流星はふと翔真から届いたメールを思い出した。
「そういえば、翔真から話したいことがあるってメールがきてたんだよな。なんだろう」
会って話したいことがある、と届いたメールに、分かったと短く返信をした。急ぎではなさそうだったのですぐ見舞いに行かなくてもよさそうだ。
一華は流星の袖を引っ張り、またスマートフォンの画面を見せる。
「一華ちゃんもそう言われたの?なんの話だろうね」
メールが届いたのは今日ではないので、足が完治した報告というわけではないだろう。
急ぎではないならいいや、と頭の隅に追いやる。
「明日、一華ちゃん家に行ってもいい?もし嫌なら」
流星が言い終わる前に、いいよと入力されたメモ帳を見せられた。
拒絶されなかったことにほっとし、明日の昼過ぎに一華の家を訪れることになった。
特に喋ることもなくなると、車内が静まり返る。
一定の速度で走っていたバスが急にブレーキをかけ、前の座席に頭をぶつけそうになった。危ないなと身体を起こして窓側に座っている一華を見ると、頭を強く打ったらしく、両手で打ち付けた箇所を押さえている。
「だ、大丈夫?」
きっと声があったなら、「いったーー!」と叫んでいただろう。一華の表情からそれが読み取れる。
流星はそれを見て、血の気が引いた。
そうか、危険な場面でも声がでないんだ。もし自分が数メートル離れた位置にいたとして、「痛い!」と声が聞こえた時点で一華の元へ駆け寄ることができる。だが、聞こえなければ駆け寄ることができない。痛みに耐える一華を放置して、気づかないままでいるのだろう。
危機に直面したとき、スマートフォンの画面を見せて「痛い」と伝える暇なんてない。
もし一人でいた場合、どうだろう。
一華が喋れないことなんて誰にも分からない。そんな中、危険な目にあったとして、誰かが気づいてくれるのか。
一華を一人にすることの恐怖が、じわりじわりと込み上げてくる。
一華は流星からあふれ出る心配を察知し、人差し指と中指を立ててピースサインをつくり、問題ないことをアピールする。
バスの急ブレーキで一華が頭をぶつけてから、五分おきの間隔で一華をちらちらと見下ろす。こんなときに身長差があってよかったと思う。同じ背丈なら視線に気付かれていただろう。
バスを降りて電車に乗り、またバスに乗り換える。
家までの距離が近づく中、翔真と麗奈にどう言おうかと二人は悩んでいた。出した答えを明日持ちより、一番自然な嘘を採用する。
夕方になる前に最寄のバス停で下車できた。
空はまだ曇ったままで雨は降っていない。傘を差しながらキャリーバックを持ちたくはないので、一華は少し早歩きになった。流星は、危ないよと優しく注意する。
バスから降りると流星は一華を家まで送った。
一華が祖母に説明するより、自分が説明した方がいいのかと思ったが、一華が何も言わなかったので、手を振って別れた。
自分が説明しようか、とは大きなお世話だ。自分の祖母への説明くらい、自分でできると言われてしまいそうだ。
どこまで手伝っていいのか、まだ掴めていない。
世話を焼きすぎてお節介の域に到達したくはない。丁度良い距離感を掴みたい。
当分の目標はこれだな、と旅行帰りではあるが本屋に立ち寄り、必要な本を購入して帰宅した。
一華は帰宅後、すぐに祖母と向き合い、スマートフォンを握りしめて今回の旅行について説明した。
祖母は一華の説明を口出しすることなく聞き入れた。
声をなくしたことで怒られるかと思ったが、まるで知っていたかのように「大変だったね」と一言漏らすと、一華の背中をリズムよく叩き、「偉かったね」「頑張ったね」と優しく繰り返した。
流星とはまた違う、昔からの優しさに触れると涙腺が壊れたように次々と涙が放出された。
本当は怖かった。本当は嫌だった。
でも、翔真のためだから。そう思えば何てことはない。
幼い頃から一緒にいて、ずっと見てきた。
恋というより愛。
だから、二度と話せなくなったことなんて後悔していない。
後悔なんて、するはずがない。
そう思うのに、涙は止まらない。
何に対して涙が出ているのか。悲しんでいるのか、嬉しいのか、安心しているのか、それとも別の感情か。
この先死ぬまでこのままだ。
今朝まであったものが、今はもうなく、決して戻ることはない。
翔真に会ったとき、なんと説明しよう。
貴方の足のために失いました、なんて死んでも言わない。
祖母と流星だけ知っていればいい。他は知らなくていい、麗奈も知らなくていい、翔真はもっと知らなくていい。
でも心のどこかで、知ってほしいと囁く自分もいる。
私のお陰なんだよ、私が叶えたんだよ、私が助けたんだよ。
そんな囁きは無視し、蓋をする。
知らなくていいよ。知らなくていいから、また一緒に笑えたらそれでいいから。見返りなんて求めていないし、ひけらかすつもりもない。翔真がまた歩けるなら、それでいい。そしてまた、サッカーをする翔真を見ることができるなら、それでいい。
部屋の壁に寄りかかり、静かに泣く。
本当に、この涙はなんなのだろう。泣きたいわけではないのに、止まらない。
瞳から出る度に心もすり減る。
流星とバスや電車に乗っている間はなんともなく、現実を受け入れていたが、一人になると何かに心を蝕まれているようだ。
きっと明日は瞼が腫れていることだろう。
泣いていたことがばれてしまう。それは嫌だ。早く引っ込め。
そんな命令は虚しく、ただただ涙を垂れ流す機械になった。
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