第12話

 出発するバスを見下ろし、見えなくなると翔真は再び仰向けになった。

 流星が部屋へ来たとき、一華は扉の前にいたのだろう。帰り際、流星が扉の向こうで斜め下を見ていた。きっとそこに一華はいた。

 そして二人でバスに乗った。

 一華が病室へ入ってこなかったのは、責任を感じてか、それとも自分に責められることを恐れてだろうか。後者であれば、違う意味で責めてしまう。大切な幼馴染を勝手に助けただけなのに、どうして責める必要があるのか。器の小さな男だと思っているのか。


 一華とは幼少期からの仲であり、初恋の相手である。

 大切な女の子を助けるのは当然で、見舞いに来てくれないと寂しいのも当然だ。

 顔が見たい。

 一華に大きな怪我はないと聞いたが、擦り傷ができてしまったようだった。

 麗奈によると、擦りむいた箇所はいくつかあるが、絆創膏や湿布を張る程度で大丈夫とのことだった。


 日曜日の約束を自分がきちんと覚えていれば、こんなことにはならなかった。

 車と衝突して歩けなくなると医者に宣告されることもなかったし、一華が責任を感じることもなかった。

 自分さえしっかりしていれば、本当なら日曜日に映画を観て、感想を言い合って、今も一華と二人でいたはずだった。


 一華が無事だったなら、いい。それでいい。歩けなくなるなんて、サッカーができなくなるなんて、別にいい。

 嘘。別によくない。

 両親は泣いていた。

心配させないよう笑っていたが、本当は自分だって泣きたかった。


 車椅子なんて乗ったことがなかったし、自分がそういう生活になるなんて考えもしなかった。

 歩きたい、サッカーがしたい。

 でもそんなことを言えば、一華に刃が刺さりそうだった。

 両親や友人が、一華のせいにするとは思っていない。けれど、一華の負担が大きくなることを想像すると、誰にも言えない。


 入院してからずっと、誰もいない時に一人で泣いていた。


 歩いて一華や友人と出かけたいし、皆でサッカーがしたい。

 誰にも言えず、心の中で叫ぶことしかできない。

 すべては一華を想ってのことだった。


 目尻から涙が流れていき、枕にぽたぽたと落ちる音がする。

 静かな病室に一人だけ。

 いつまでこんな生活をするのだろう。この生活が終わっても、待っているのは座ったままの生活。


 吐息で泣き声を誤魔化していると、「おはよー」と明るい声と共に扉が開かれた。

 見舞いに来る時は皆連絡を入れてくれた。「何か必要なものある?」とメッセージが入り、見舞いに来る流れだった。

 この日、見舞いに来る予定は入っていなかった。

 慌てて涙を拭くが、病室に入った麗奈はすぐに察した。


「あ、翔真」


 誤魔化そうにも涙を拭っている最中で、ずずっと鼻の音もする。

 入院して初めて人に泣いているところを見られた。

 麗奈は一瞬驚いたが、特別気にする素振りはなく、翔真の傍に置いてある椅子に腰かけた。


「はい」


 アイロンをかけたような皺ひとつないハンカチを翔真に手渡す。

 躊躇いながらも受取り、遠慮なく使わせてもらう。

 ハンカチが涙を吸い取り、喋る余裕ができたところでゆっくりと起き上がる。腕はそこまで負傷していないので、身体を持ち上げることはできる。


「あー、恥ずかしい」

「そんなことないよ。笑ってばかりだったから、心配してたの」

「あーー!」


 恥ずかしさで声を上げる。


「さっき、一華がいたんだ。久しぶりに見た。見舞いには来なかったけど、姿だけ見えてさ」

「そっか。一華はまだ気持ちの整理がついてないのかな。あれから一週間は経ってるのにね」

「いや、まあ、そりゃそうだよな。だから、別に、一華が来なくて怒ってるわけじゃ」

「あはは、分かってるよ。そんなに庇わなくても、わたしだって一華の友達なんだから分かってるよ」


 一華が責められた気がして、守ろうと言葉を紡いだが、麗奈に笑い飛ばされた。


「ごめんな、俺の見舞いばっかで流星といる時間減ったろ」

「えっ」

「流星、一華と一緒にいるんだろ?なんか、悪いな」

「うわー、その言い方嫌だな。わたしが流星のこと好きみたいじゃん」

「違ったか?」

「そういう聞き方も良くないよ」


 乙女心を理解していない。


「一華は流星と出かけたんだ、さっき。二人でどこ行ってんのかな」


 歩けない自分と、歩ける流星。

 一華は流星と歩いてバスに乗り、出掛けた。見舞いには来ないのに。

 自分が捨てられたような気がして、ちくりと胸が痛む。一度泣いてしまったからか、涙腺が緩み、再び視界が滲む。


 歩けない、サッカーができない。

 歩きたい、足が動かないなんて嫌だ。

 どうしてこうなったんだろう。結局そのことばかり考えている。

 それでも。


「一華が無事でよかった」


 静かに泣く翔真の手を握り、麗奈はずっと傍にいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る