第11話
翌朝、流星は一華の家まで迎えに行き、二人で最寄りのバス亭から大町病院を目指した。
一華はあれから、翔真と一度も顔を合わせていない。今でも顔は合わせられない。
朝とはいえまだ明るくない外から病院へ入ると、眩しくて目を瞑ってしまう。
ナースステーションを通り過ぎ、七〇二号室の前まで行くと流星が扉をゆっくりと開け、小さな隙間をつくって中の様子を伺う。
翔真以外に人はいない。流星は目を細めて小さな隙間から翔真を観察する。
もぞもぞと動いているのが見えた。
「翔真、起きてるみたい。俺だけで行こうか」
気を遣わせて申し訳なく思うが、会う勇気はまだない。
こくりと頷く一華を残し、流星一人で病室に入った。
事前に連絡をしていなかったため、突然部屋に入ってきた流星に驚いた翔真だが、「おっす、めっちゃ早いじゃん」と笑い、近くの椅子に流星を座らせた。
一華は中の様子を見たかったが、声を聞くだけにする。
顔を見ると、泣かない自信がない。
「いや、いい。ちょっと行くところがあって、そんなに長居できないんだよ」
「へえ、一人でか?」
「まあ。あと、お願いが一つあって」
「俺に?」
「あぁ。翔真の髪の毛五本欲しいんだけど」
「はぁ!?髪の毛!?何に使うんだよ」
「神社に行って、御守りを作りたくて。駄目か?」
「駄目じゃねえけど…えぇー、いや、いいけどよ。何それ、俺のための御守りってこと?」
「そうなる」
「えぇー!要らねえよ、別にさぁ」
「作らせてくれよ」
髪の毛をくれ、と言われるとやはり警戒してしまう。
昨夜、祖母が言った「魔女に願いをするのなら、翔くんの髪の毛を五本程持って行くといい。髪は分身のようなものだから、役に立つだろう」という言葉に従い、二人で病院を訪れたのだ。
翔真から髪の毛を引っこ抜いたようで「いてっ」と病室から声がする。
「いてて…そういえば麗奈も身体に良いからって苦いお茶買ってくるんだけど。俺いじめられてる?」
「まさか。愛されてんだろ」
「だよなー、ははは。はぁ…一華は元気か?」
急に自分の名前が翔真の口から飛び出たので、背筋が伸びる。
今までよりも耳を大きくして病室から漏れてくる会話に集中する。
「元気、と言っていいのかどうか」
「一回も見舞いに来ねえの。気にせず会いに来いって伝えてくれ」
「おう、分かった」
「あと、これは、借りを返しただけっつうか、決めてたっつうか」
人に言うのは始めてで、意味もなく項に手を当てる。
目を合わせずに言おうか迷っている翔真から言葉を待つ。
「あー、俺、昔一華に助けてもらったことがあって。川に落ちそうになった俺を引っ張り上げて助けてくれてさ。でもその代わり、一華が川に落ちた」
語られる昔話に一華は懐かしんだ。
小学二年生の頃だろうか。二人で一緒に河原へ遊びに行ったが翔真が足を滑らせて、足が届かない深い川へと落ちそうになっていた。流れは速く、落ちたら助けることができないような川だった。滑った反動で両足が地面から離れている翔真を急いで引っ張ったが、その拍子に一華は川へ落ちた。川では息をすることはできず、流れに抗うこともできず、気づいたら病院のベッドで寝ていた。
「一華が死んだかと思った。川の流れに沿って走って走って、見つからなかった。泣きながら帰ったのを鮮明に覚えてるよ。結局数日間入院する程度で済んだけど、本当に死んだかと思った。一華は俺の恩人なんだ。恩人を助けるのは当然だろ?これで貸し借りなしっつうか、お互い様ってことだ」
お互い様なわけがない。怪我の重さが違う。
たった数日入院しただけの自分と、歩けなくなった翔真。秤にかけなくとも分かる。
「一華が俺を助けて、俺が一華を助けた。それだけだ!!」
流星は「そっか」と呟き、未だ笑っている翔真の頭をくしゃくしゃと撫でた。
犬のような男だと思う。だから友達が多い。
抜いた髪の毛を和紙に包み、透明な小袋へ入れて鞄にしまう。
「じゃあ、俺もう行くわ」
「おう、また来てくれよ。今度は一華も一緒に」
「あぁ」
話を切り上げて病室を出ると、唇を噛みしめて待っている一華がいた。
流星とは頭一つ以上違う身長差だが、翔真が入院してからは一層小さく見える。
こんなに華奢だっただろうか。こんなに小さかっただろうか。
「行こうか」
小さな一華の背中に手を添え、並んで病院から立ち去った。
病院から出てバスに乗るまで、翔真は上から二人を眺めていた。
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