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渋っていた尾崎でしたが、議会が始まるといつものごとく楽しく旧態批判、未来志向の演説を繰り返しました。
新憲法の発布について、アメリカから押し付けられたものと反発する人物もいましたが、尾崎は憲法を「よいものだ」と頷き、これを守るべきと胸をはっていました。
尾崎がずっと望んでいた戦争の放棄を明言されたので、それはそれは満足だったでしょう。
ただし、尾崎は良き憲法が存在していても、正しく運用しなくてはならないと訴えました。
大日本帝国憲法も良い拳法だった、しかし軍部の暴走を招き、日本国を大変な目にあわせたのです。
日本国憲法だって、内容は良いですが、運用者がいまいちでしたら、途端に駄目駄目憲法に成り果てます。
ですので、政治家たちは誠実に国を動かすべきだ! 賄賂なんて言語道断! 許すマジ! と吠え立てました。
これを聞いていた、田中角栄の部下さんは、日記にこう書きました。
そんなことをいっているから、尾崎行雄は首相になれなかったのだ、と。
政治家ならば、酸いも甘いも噛み分けねばなりません。
それもこれも国のためです。悪いとは思っていますが、仕方のないことなのです。
覚悟を決めている政治家たちにとって、純粋無垢な尾崎は理解できず、嫌悪感を抱いてしまうのです。
新たな時代になっても、尾崎に反発し、尾崎を拒絶する政治家も珍しくなかったのです。
先進的な人は、どれほど時代が進んでも先進的なのです。
彼らの言葉が、尾崎の耳に入らなかったわけはありません。
それでも、尾崎は訴えます。
次なる戦禍が日本に訪れないように。
日本が生まれ変わるように。
尾崎は、肺病を患い、体が弱っていても、ずっとずっと、我道を進み続けました。
そんなある日のこと。
尾崎は、前駐日大使、ジョセフ・グルー、ウィリアム・キャッセルの両氏が主宰する日本問題審議会に招待されました。
今まで尾崎は船でアメリカに上陸していましたが、今回は飛行機でびゅんとアメリカに向かいました。
90歳になって、はじめての空旅です。ちょっと大丈夫かなと思ったらしいですが、飛行機は無事にアメリカに到着しました。
もう年ですので、休み休み、会議に出席します。
大仕事が終わり、一休み。
アメリカの著名人と交流を重ねます。
誰も彼もが日本の新憲法を祝し、いつの日か日本の占領が解かれる日がくることをと、謝辞をくれます。
美辞麗句のなかに、尾崎は敏感にアメリカの意図を感じ取っていました。
第二次世界大戦後、どんな国でも手を結び幸せになっていればよかったのですが、そうはいきませんでした。
あれほどのおぞましい戦争の後だというのに、まだ戦争を続ける気なのでしょうか。
アメリカとソ連の勢力争いが露骨になりはじめたのです。
アメリカはソ連との争いに備えるため、味方を欲してしました。
本当ならソ連との国境を大部分に接触している中国を味方に引き込みたかったのでしょうが、残念なことに、中国は共産党が占拠し、アメリカとの友好関係は困難でした。
朝鮮半島も権利関係でソ連や中国と対立してしまっています。
ならばと、中国は東アジアにぽつんと佇む元敵国、日本を味方に引き込むことにしたのです。
アメリカの人々は、日本がうまいことソ連や中国の防波堤となることを望んでいたのです。
尾崎は、日本が平和を享受する日々が危ういことを悟りました。
一人になったとき、尾崎は呟きました。
「まだまだ日本には困難が降り掛かってきそうですよ、犬養さん」
小さくため息をつきます。
……気晴らしにでも、散歩しにいきたいです。
どこにいこうか。
「……そうだ」
尾崎は、微笑みます。
「あそこにいってみようかな」
連れの人とともに、尾崎が向かった先。
その場所とは、ポトマック河畔。
五月ですので、桜は咲いていませんでした。
代わりに、桜の葉っぱは青々としていて、元気に育っていました。
「……」
尾崎は、ぎゅっと目を閉じます。
目の裏に、桜がはらはらと散っていきます。
人の世は、変わっていきます。
日本が日本国憲法を貫くのか。
貫くとしても、悪用に悪用を積み重ね、またもや恐ろしい事態になるのか。
それは、尾崎にだって分かりません。
ですけど。
この花は。
この桜だけは。
長く栄えてほしい。
どうか、アメリカとの友好を結んでくれ。
桜に願いをのせて、尾崎は目を開きます。
その口元には、微笑みが宿りました。
◯◯◯
いくら憲政の神様だとしても、人間である以上、加齢には逆らえません。
アメリカの占領がとかれ、吉田茂が世にいう馬鹿野郎解散をしたときには、もう尾崎は寝たきりになってしまっていました。
そんな状況でも、なぜか選挙に立候補しましたが、さすがに落選しました。
それでも、尾崎は第一議会から戦後まで当選し続けた、唯一の政治家でした。
肺炎が悪化し、尾崎にも人間としての死が迫ってきました。
最期のとき。
尾崎は、こう言いました。
「いい気分、いい気分」、と。
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