2節 裁判所に出頭っ!!

 大政翼賛会なんて大層なものをつくりあげた近衛文麿は、結局のところうまく軍部を抑えられず、ましてや政党さえも抑えられず、とっとと辞任してしまいました。


 近衛の後任となったのが、近衛内閣にて陸軍大臣だった東条英機でした。


 当時、日本は中々に八方塞がりになっていました。


 あまりに中国で自由にドンパチやっていたせいで、さすがのアメリカも激怒し、日米通商修好条約の破棄を通告されてしまいました。


 日本は資源が少ない国ですので、軍艦を動かす石油はアメリカから輸入せねばなりません。


 まだアメリカから石油の輸入自体はできていましたが、このまま中国侵攻を続けていれば、どうなるか分かりません。


 ここで、アメリカと貿易関係がなくなってしまえば、日本はどうしようもない、もう中国への野心はきっぱり諦めてしまおう、なんて思う人がいれば太平洋戦争なんて起こらなかったことでしょう。


 まあ、当然ながら、その発想はできませんでした。


 そもそも、欧米との関係を重視するのならば、満州国なんてものを作りませんし、一国の首相である犬養毅を暗殺なんてしません。


 これまでかけていた金と人命を無駄にする決断はできない、しかし資源はほしい。


 そこで陸軍が、ある奇策――ある蛮行を思いつきました。


 ちょうど現在、欧州ではドイツVSイギリス・フランスの第二次世界大戦が始まっていました。


 戦争を始めた当初、ドイツは連戦連勝、快進撃を繰り返してしました。


 日本はドイツの勝利に沸き立ちます。


 我らもドイツに続けとばかりに、陸軍はある提案をしました。


 フランスは、インドシナに植民地を持っていました。


 インドシナには、ゴムや石油など、日本にはない資源が豊富にあります。

 

 フランスがドイツに白旗を降っている今、この土地は空白地帯になります。

 

 ならば取ろう! そうしよう! という発想になったのです。


 これにアメリカはブチギレ、石油輸出を禁止します。


 そして、交渉の余地が一切ない、ハル・ノートを叩きつけました。


 東条は米国との交渉を諦め、日本のお得意の先制攻撃をしかけました。


 最初の頃こそ、日本は勝利を重ねていました。


 国民への配給制度がはじまりましたが、まだまだ余裕がありました。


 しかし、徐々に、国民生活が苦しくなっていきます。


 政府は報道しませんでしたが、アメリカの猛攻に押され、日本は劣勢に立たされていたのです。


 報道できないといっても、議員レベルでしたら、細かい部分は不明であれど、どうやら戦況は芳しくないと、現状を掴むことができました。


 しかし、反対活動は出来ません。


 議員として当選するには、翼賛会に参加しなくてならず、これに参加してしまえば、政府批判はできなくなってしまうのです。


 翼賛会に入らず、東条批判をしようものなら、監視の目がつき、いつ捕まってもおかしくない状況でした。


 東条内閣に反発していた鳩山一郎は、これ以上の政治活動は困難を極めると察しました。


 どうせ日本は負ける、ならば戦乱を避けようと、田舎に引っ込みました。


 愚直に真正面からぶつかる議員も存在はしていました。  


 ですが、よくわからない罪でしょっぴかれてしまい、釈放後、自殺してしまいました。


 もはや、民主主義を胸に抱く者は、この世から離れるか政治から離れるかの二択となっていました。


 逆風のなか、尾崎行雄は。


 どこにも逃げず、大政翼賛会なぞには入らず、凛として東条内閣批判を続けていました。


 尾崎の存在は東条にとって邪魔でしかありませんでした。


 東条は尾崎を挫く方法はないのかと、目を血走らせていました。


 そして、ようやく東条は尾崎の不穏当な発言を見つけ出したのでした。


◯◯◯


 戦時下日本であっても、大日本帝国は変わりなく効力がありますので、議会も開かれていますし、選挙も実施されます。


 政府は大政翼賛会の会員を推薦し、権力でゴリ押ししていました。


 非推薦人には、政府の監視の目が光ります。


 ですが、これに怖気づく尾崎ではありません。


 第二次衆議院選挙での選挙干渉に比べると、この程度、どうってことありません。


 尾崎は堂々と演壇に立ち、堂々と東条内閣を批判しました。


「選挙とは、国民が自らの意を反映してくれる人に投票するものです。しかし、今回の翼賛選挙はどうですか」


 尾崎は聴衆に目をやります。  


 真剣に聞いてくれている人もいますが、剣呑な視線を隠そうともしない者もちらほら混じっています。


「政府は、自身の盲従者を翼賛会の推薦候補者とし、政府の意のままにならない候補者は翼賛会の推薦にせず、様々な不便を押し付けています。これでは、公平な選挙とは、到底言えません」


 政府の間者にも届くよう、尾崎は声を張り上げます。  


「今回の翼賛選挙は、東条内閣の独裁的な政治姿勢が生んだことであります。どう解釈しようとも、立憲政治に逆行するものであります」   


 有名な川柳を混じえて、尾崎は東条内閣を断じます。


「まさに、『売り家と 唐様で書く 三代目』です」

 

 この川柳は、江戸時代に生まれました。


 初代が苦労して家を建てても、三代目ともなると、初代の苦労も知らず事業に失敗し、家を売る羽目になりがちです。  

  

 三代目は家の扉に『売り家』と貼り紙をします。    


 その貼り紙の゙文字は、江戸の時代に上流階級で流行った、唐様で書かれています。


 昔は金もあったので教養があるが、せっかく与えてもらった教養も、使える場は『売り家』と書くだけ、なんて皮肉混じりの川柳です。


「東条内閣は、明治、大正と二代にわたり苦労して築いてきた立憲政治を、三代目の昭和の時代になって根底から覆そうと画策しています」


 明治、大正、昭和を生き抜いた尾崎が、若き昭和の東条内閣を断じます。


「立憲政治は明治天皇陛下のご心労をおかけし、国民の努力を積み重ねて作り上げた賜物でございます。国民の皆さまも、祖先から受け継がれた立憲政治を守り抜かねばならないのです」


 立憲政治を台無しにする東条内閣、そして大政翼賛会に惑わされず、真に正しい候補者に投票せよと、尾崎は訴えました。


 演説は拍手喝采の中、終了しました。


 尾崎にとっては、当然のことを言ったまでです。


 ですが。


 東条一派は、強引かつ強引に、尾崎の『失言』を作り出したのでした。

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