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 尾崎は自らの出来ることをすべてやりました。


 書籍の発行。


 新聞への投稿。


 そして、議会での演説。


 自らの命惜しさに、――もしくは、見当違いの未来予想のために、議員たちのほとんども軍部に追随してしまっていました。


 尾崎は議員の奮闘を試みました。


 ときには、『墓標を代えて』を胸に。


 ときには、辞世の句を胸に。

 

 しかし。


 政府は、尾崎の意見を採用してくれませんでした。


 なんなら、発言権さえも、尾崎に与えなくなってきました。


 議員の権利である発言権を取り上げるなぞ、憲政の否定でしかありません。


 もし、藩閥政治時代でしたら、国民も政府を糾弾し、議員たちも連携して行動に移すでしょう。


 ……今の世は、そんな空気すらもありませんでした。


 軍人に怯えていたからもありますが、国民も政党の腐敗にあきれて、軍人に希望を託し始めていたのです。


 国際連盟の脱退が伝えられると、大日本帝国の国民らは拍手喝采で歓迎しました。


 国民の支持も得ており、さらに二・二六事件で気に食わない重臣を葬りさった軍人は、もはや、誰にも止められませんでした。


 軍人の高圧的な態度に引っ張られる形で、外交もめちゃくちゃになってきました。


 当時、欧州では独裁的なファシズムを支持うるドイツ・イタリアと、民主主義のイギリス・フランスが対立していました。


 日本はペリー来航後から、民主主義の立場をとって発展していました。

 

 ならば、当然、イギリスやフランスを味方とするべきです。


 しかし。


 英仏が日本の中国に対する態度を批判していましたので、そちら側につく気はありませんでした。


 日本は日独防共協定を締結、英米への対抗が公然と表明されました。


 さらに、ドイツがポーランドに侵入、第二次世界大戦がはじまると、軍部は勢いづき、日独伊三国軍事同盟を締結しました。


 一党独裁のヒトラーを夢見て、近衛文麿は政党を解体し、あらたな政治団体、大政翼賛会を発表しました。


 伊藤博文が政党の発展をと願った立憲政友会は、いの一番に解体し、大政翼賛会に合流しました。


 軍部は御しやすい近衛が政党を一網打尽にしたことに喜び、大政翼賛会に登録しない政治家を徹底的にいじめ倒しました。


 尾崎行雄は、その一人でした。


 間接的、あるいは直接的に、尾崎は妨害を受けました。


 一応、内務省から護衛を派遣してくれてはいますので、政府として尾崎の命を取る気はないのでしょうか。


 ……それとも、監視のためか。


「……」


 尾崎は、


 ……何も、できなくなってしまったのです。


 そして。


 尾崎が一番恐れていたことが、起きてしまいました。 


 ラジオから告げられた言葉は、耳を疑うものでした。


 アメリカとの戦争、太平洋戦争の発表でした。


 ラジオから流れる言葉を何度も何度も頭の中で噛み締めます。


「……はじまってしまったか」


 日本お決まりの不意打ちで、ハワイの真珠湾の攻勢こそ成功を収めたようです。


 ラジオの向こうでは、晴れ晴れと宣言しています。


「……」


 尾崎は、外出することにしました。

 

 アメリカとの戦争が始まったのです、流石に国民にも動揺が広がっていました。

 

 ですが、誰も彼も、こんなことを言っています。


「大丈夫大丈夫! 日本は清にもロシアにだっての勝っているんだ! 今回だって、あっという間に勝利するさ!」

「そうねそうね! 私達には天皇陛下がおわすもの! 神風が吹いて、アメリカなんて一網打尽よ!」


 そんな言葉ばかりが、交わされています。


 勝利の妄想に浸っていれば、幸せだったことでしょう。


 少なくとも、あと数年は楽しく暮らせるはずです。

 

 ……尾崎は、すべて理解していました。


 アメリカの兵力と比較して、日本は圧倒的に不利であると。


 今はあちらの準備ができていないので勝てているだけで、ほんの数ヶ月で形勢は逆転すると。


 その時、この街は、国民は、どうなっているのか。


 ……一面の焼け野原が、脳裏をかすめました。


「……」


 空を、仰ぎます。

  

 ドイツやイタリアが負けたら、ナチス党を指揮するヒトラーや、イタリアを掌握したムッソリーニは自殺するでしょう。


 その時、我らが陛下はどうなるのでしょうか。


 ……。


 こうならないよう、尾崎は第一次世界大戦後、懸命に演説を繰り返しました。


 軍費を節減せよと必死に訴え、欧米諸国との協調を訴えていました。


 けれど、尾崎の制止を無視して、日本は破滅の道を突き進んでいます。


 ……。


 ……今までやっていたことは、なんだったのでしょう。


 尾崎は維新のときから、欧米諸国のような民主的な国になろうと、懸命に動き回っていました。


 藩閥政府との戦いの末、ついには政党内閣の慣例が誕生しました。


 しかし。


 軍人の台頭によって、すべてが崩れてしまいました。


 そう。


 ……すべて。


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