3章 Never give up!! 尾崎行雄っ!!
1節 犬養暗殺っ!!
1
尾崎が軍費削減を精一杯訴えていましたが、大戦による輸出の好調で世の中は好景気でしたので、政府の人たちは聞く耳を持ってくれませんでした。
ところが、大戦が終わって時間が立つと、状況が変わりました。
欧米諸国の企業が操業を開始させると、日本の商品が売れなくってしまったのです。
加えて、アメリカの経済が苦境に陥り、世界恐慌が始まってしまいました。
まだまだ恐慌は続きます。
関東大震災の発生による震災恐慌、さらに金融恐慌まで起きてしまいました。
金融恐慌のきっかけは、大蔵大臣が「あそこの銀行、もう潰れるってよ」なんて発言をしてしまったことでした。
後に誤解と気づき、修正しましたが、名指しされた銀行に金を預けていた者たちは、お金を下ろそうと銀行に殺到、嘘が真となり、銀行は潰れてしまいました。
あそこの銀行が潰れたのならば、うちの銀行もまずいぞ! と、預金者たちが各々の銀行に殺到しました。
銀行は打撃を受け、次々と倒産してしまいました。
まるで下り坂を転がり落ちるように、どんどんどんどん、苦境へと滑り落ちていきます。
どうにか打開しようと、日本は海外市場にものを売ろうと血眼上げます。
けれど、欧米各国も恐慌で傷ついていました。
各国は自らの経済圏を守ろうと、自らと関係の深い国々の関税を下げ、その他の国の関税を引き上げる、ブロック経済をはじめたのです。
海外でも物が売れず、内需も期待できません。
さすがにこの状況では、軍縮を決意せざるを得ません。
ちょうど主要各国で海軍軍縮会議をしようと誘われていましたので、ときの内閣、浜口雄幸内閣は、会議に参加し、軍縮に成功しました。
けれど、尾崎には気になることがありました。
海軍軍縮の過程で、海軍軍人が内閣に猛反発したのです。
新聞社に絶対機密である会議内容を漏らし、政府の外交を妨害する始末です。
海軍の行いを批判するどころか、海軍の肩を持ち、徹底的に政府と対立した政党がありました。
立憲政友会です。
そして、立憲政友会の党首は、
……尾崎の兄弟のような存在、犬養毅だったのです。
唐突な立憲政友会の総裁就任に、読者の皆様は戸惑っておいでかも知れません。
一体なにがおきたのか、軽く説明しましょう。
原敬が暗殺された後、立憲政友会は高橋是清を党首におきました。
ですが、原のように党をまとめあげることはできず、立憲政友会は分裂してしまいました。
内紛する立憲政友会とは異なり、桂太郎が結党し、加藤高明が育てた立憲同志会――今の名前は憲政党――は、着実に力をつけていきました。
加藤亡き後も、党は混乱せずに地盤を固めていきました。
今や、議会は立憲政友会と憲政党の二大政党が勢力を誇っていました。
犬養の政党、立憲国民党は、少数派になってしまいました。
革新倶楽部と名を変えていましたが、立憲政友会・憲政会には遠く及びません。
これ以上の政治活動は厳しいと察した犬養は、党の解体を決意、自らは政界引退を宣言しました。
その際、犬養はかわいい部下たちが将来的に活躍できるように、立憲政友会に預けました。
立憲政友会と犬猿の仲であったのも昔の話、詳しく説明すれば原敬時代まででした。
次の総裁となった高橋是清は、党をまとめることこそ出来ませんでしたが、人柄は非常に良い人でした。
一方、加藤高明率いる憲政会は、犬養の政党から有力者を引き抜いた憎き敵です。
合流させるとするなら、まあ当然、立憲政友会です。
部下の道筋を見立ててあげ、犬養は勇退しました。
いえ、しようとしました。
犬養の落選を惜しんだ選挙人たちは、なんと立候補もしていないのに、犬養に投票、見事当選してしまったのです。
現代の政治制度なら無理ですが、この当時は立候補せずとも当選してしまうのです。
犬養は地元の人たちの意向に添い、再び議会に足を踏み入れました。
華麗に舞い戻った犬養。
そしてこのとき、立憲政友会では高橋是清の次をついだ、田中義一総裁が病死し、党の内部で総裁を求めてしまうと内紛が起こるリスクがありました。
立憲政友会は総裁になってくださいと犬養を説得、見事、実現したのでした。
そんな犬養は、海軍軍縮会議の折に、憲政会内閣であった浜口を攻撃しました。
以前、尾崎の軍縮案に賛成してくれていたのに、今の犬養は軍拡論を唱えていました。
立憲政友会の党の方針に乗っかっているのだと、尾崎はすぐに気づきました。
尾崎は意見をコロコロ変えるお人ではありますが、党の方針に縛られて思想を変える人間ではありませんでした。
犬養と立憲政友会の動向に不満を感じながら、尾崎は変わりなく軍費節減を訴えていました。
地方をめぐっての演説は、中々の成績を叩き出していました。
演説した場所で、軍拡反対か否かのアンケートをとると、反対派のほうが多い結果となりました。
しかし、
政府の人間は、尾崎の言葉を聞き入れませんでした。
海軍の軍縮こそ成功しましたが、陸軍軍費に手を付ける前に、ある事件が起きてしまいました。
満州事変、です。
満州に駐在していた軍隊、関東軍が、満州の鉄道を爆破。
これを中国の仕業と発表し、勝手に軍事行動を始めたのです。
当時の内閣は、第二次若槻礼次郎内閣でした。
首相たる若槻はどうにか関東軍を抑えようとしましたが、陸軍の強硬な態度にうまくいきませんでした。
尾崎は、嫌な予感がしました。
このままでは、中国と戦争になってしまいます。
日清戦争・日露戦争で日本が勝利したのは、欧米諸国からの支援の手が伸びていたのも理由の一つでした。
ですが、今の欧米諸国は平和を願っています。
最近誕生したドイツのヒトラーや、イタリアのムッソリーニは少々危険思想を抱いていますが、結局のところ主流ではありません。
現在の状況で中国に侵略活動をしてしまえば、欧米諸国からの厳しい制裁は避けられません。
そのときに、日本がすっかり改心してくれれば万事解決ですが、……中央政府の言うことを全く聞かない軍部のことです。
いずれか、中央政府は軍部に引っ張られて、愚かな政治をしかねません。
戦争は次第に拡大して、やがては欧米やアジアを戦場とする世界大戦へと向かいかねません。
もしこの小さな日本が、世界を相手に戦えばどうなるか。
……確実に、負けます。
ならば、どうやったら母国を救えるのか。
今更、議会で反戦を訴えようとも、誰も聞き入れてくれません。
国内でどうにもできないのならば、外国の力を借りるしか有りません。
尾崎は世界各国をめぐることを決意しました。
ブロック経済をやめて市場を開放せよとの訴えも合わせて、各国の高官と接触します。
そんな中、ある一報が舞い込んできました。
第二次若槻内閣が退陣し、犬養が首相になったのことです。
尾崎は、「難しい時期になってしまったな」と嘆息しました。
本心では犬養を助けたいです。
しかし、今の犬養、つまり立憲政友会の態度は非常に気に食わないものでした。
尾崎は犬養への祝電もせずに、平和のための活動を懸命に続けました。
……それを後悔する日が訪れようとは、尾崎は考えてもいませんでした。
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