⑥
日本に帰国すると、尾崎はたった一人の反戦運動を開始しました。
議会にて、尾崎は堂々と軍費削減を訴えました。
「第一次世界大戦により、欧米各国の民は平和を願い、軍費削減に挑んでおります。我が国でも、過剰な軍事予算を削減し、あまった分を国民が豊かに暮らせるように使うべきでありますっ!」
しかし、議員や政府役人の反応は冷ややかでした。
それもそうでしょう。
まだまだ陸軍省の大重鎮、山県有朋が生きている時代です。
軍費を減らすなんて動きをすれば、陰謀なんて朝飯前の山県に何をされるか、分かったものではありません。
しかも、尾崎が願う最終地点は、なんと軍隊なんていらない! 軍費を全て国民のために使うべし! だったのです。
ならば、他国から侵略されたらどうするのか。
尾崎は楽観的にこう考えていました。
人道正義によって、国際情勢は弱き者の味方になってくれる! 侵略されたら、国際的な圧力で跳ね返してやれ! と。
まあ甘い考えでしょう。
戦争のための軍隊を放棄している令和時代の日本人も、尾崎の主張は些か危険だと察することができます。
ましてや、日露戦争・第一次世界大戦の従軍記憶が鮮明なこの時代の人々には、尾崎の発想はあまりに極端で、受け入れがたいものでした。
尾崎に完全同意するのはごくごくわずか。
ほとんどの人は、以前まで戦争を称賛していたにもかかわらず、急に意見を翻した尾崎に、お得意の手のひらがえしかと小馬鹿にされてしまう始末です。
結局、尾崎が提出した軍費節減案は多数決により葬り去られてしまいました。
「いやいや、残念だったな」
議会おわりに、ひょっこりと犬養が声をかけます。
犬養は尾崎の提案に賛成してくれた、数少ない同志の一人でした。
ちなみに犬養か賛成しているのは、あくまで軍費節減。軍隊放棄はさすがに賛成はしていません。
尾崎はため息を付きます.
「……ええ。否決されてしまいました。これからの国際情勢は、平和による外交が主流になるというのに……」
日本は戦争の甘い汁だけ啜り、悲惨さを体験できませんでした。
ですので、軍費節減どころか、海軍は戦艦八隻、巡洋艦八隻を建造しようとしているのです。
これを作るのに、毎年五億円から六億円の鐘が必要です。
当時の日本の一年間の総予算が約十二億、税収入が約七億と考えれば、壮大さも理解できるでしょう。
それほどの艦隊を作り、何の意味があるか。
所詮、日本は弱小国です。
資源は乏しく、経済力もありません。
日本が軍備増強を図れば、他国は日本の何倍もの軍備を瞬く間に揃えてしまい、より日本の立場を危うくさせます。
結局のところ、日本は欧米諸国には勝てません。
ロシアに勝利したのは、色々と好条件が揃った結果なのです。
ならば、日本の取るべき行動はただ一つ。
世界に先駆けて、軍備を縮小することです。
そうすれば、欧米各国は日本の先進性を評価し、対華二十一か条要求で失った信頼を取り戻せるでしょう。
……そんな分かりやすく実現しやすい理念でさえ、議会で否決されてしまいました。
なんなら議員の一部には、尾崎を国賊と断じて、野次る始末でした。
尾崎はつぶやきます。
「このまま軍備を増強していれば、世界大戦がまた繰り返されてしまいます。今度日本が戦争に巻き込まれたら、この国は滅亡してしまう。軍備の縮小こそ、日本を救う道なのに、……どうして分かってくれないんだろう……」
犬養は、珍しく優しく返事をします。
「……そうだな。軍縮は難しい問題だな」
金と同じものだ。
あればあるほど、安心する。
たくさん持っていれば、株やらなんやらに投資し、さらに利益を増やしたくなります。
もし軍縮を実現するのならば、軍人らと深く交流し、説得できる人物でなければなりません。
大臣には生涯ならないと宣言し、賄賂も何もしない彼には、到底不可能です。
……ですが、
一つ。方法があるというのなら。
「君には、誰にも代えられない武器を持っているだろう?」
「……武器?」
「ああ。謎に上手な演説と謎のカリスマ性だ」
「……犬養さん……。謎って一言は余計ですよ」
「仕方ない仕方ない。本当に謎なのだからな」
軽いツッコミを入れてから、尾崎は考え込みます。
「武器……。私の武器……」
尾崎は、ハッと顔を上げました。
「そうだ! 議員たちが分かってくれなくても、日々生活を営む人々なら、軍費なんぞいらないと分かってくれるはず!」
尾崎の目はキラキラと輝きます。
「犬養さん! 私、決めました! 全国遊説の旅にでます!」
千里の道も一歩から。
尾崎は、自分ができることを、自分の武器を存分に振るうことにしたのです。
「そうかそうか。まあ、頑張り給え」
「はい! 犬養さん、ありがとうございました!」
冷静に考えても、国民に演説をしようとも、例え民衆から賛成を集めたとしても、軍を廃するなんてことは出来ないでしょう。
それでも。
尾崎が突き進む先を見たくて、
犬養は、無意識に微笑んでいました。
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