④
大日本帝国議会では、原敬が決議案を提出しました。
決議案の内容は、二十一か条要求の責任を問うものでした。
猛然と演壇に原が立ちました。
「二十一か条要求により、中国では日貨排斥運動がはじまり、欧米各国からも猜疑の目を向けられております」
原は鋭く加藤を見ます。
「特に、中国に日本人顧問をつける要求は、非常な批判を受けております。どうやら加藤外務大臣は、この要求を外国の外交官に隠蔽したようで。信頼関係が築けなければ、外交交渉を始めることすらできません」
結局のところ、加藤は日本人顧問云々の話を外国に知られてしまったのです。
きっかけは、中国政府が日本の要求に激怒し、各国に日本の暴虐無人さを発信したことでした。
加藤はもともと大使館で働き、社交界にも顔をだしていましたので、外国の外交官たちは当初、加藤を信頼していました。
中国からの情報も、最初は信じず、誇大広告をしているのではないかと思ってくれました。
けれど、各方面から情報を仕入れるうち、加藤がこちらを欺こうとしていたと察知しました。
アメリカは特に強い反応を示しました。
そもそも、アメリカは中国での門戸開放、つまりどの国も平等に中国市場で商売をすべし、といった方針を掲げていました。
日本のやり方とは真反対です。
欧米の猛反対に、加藤は折れて日本人顧問云々の要求を引き下げました。
しかし、失った信頼は到底取り戻せません。
原はこの一文で締めました。
「外務大臣には是非とも国際協調に則った外交をしていただきたい」
原は演壇から降りました。
続いて演壇にのぼったのは、犬養毅です。
原は淡々と問題点を指摘していましたが、犬養はさすが議員人生まっしぐらな男です。
悪口をまじえて、加藤を追い詰めます。
「さてさて! 加藤様はどう考えても欧米諸国から批判されるであろう二十一か条の要求を堂々と中国に叩きつけたようで。聞くところによると、どうやら中国側には強引に条項を飲み込めと脅迫したと。外交家らしからぬ行いですねえ。まるで取り立て屋ですねえ」
さすが、嫌味に関しては横に出るものがいない犬養さん、活き活きとしています。
「しかも、欧米から批判があればすぐに危ない条項を撤回する。なるほど、加藤外務大臣様は考えなしに外交をしていらっしゃるようだ」
犬養は大げさに肩をすくめます。
「日中関係の改善のため、是非とも外務大臣様には尽力していただきたい」
犬養がおりると、反対尋問として加藤が出てきました。
加藤はちょっとは反省していますが、あまり後悔はしていませんでした。
外国からの不信を招き、中国での反日活動を激化させたにもかかわらず、堂々と演説をします。
……皆の演説を聞いていた尾崎は、
ただただ、黙っておりました。
この日の議会は終わり、尾崎は荷物をまとめて議事堂を出ました。
ちょうど。
犬養と鉢合わせました。
「おやおや、尾崎司法大臣様。同じ大臣仲間の加藤を慰めてあげたか? いやあの男は慰めなんかいらないか。二十一か条要求を正しかったと今でも思っていらっしゃるのだからな」
「……」
尾崎はだんまりしています。
「何やら元気がないな。そういえば君は気力がなくなって雅名を咢堂と変えていたな。お互い年をとるものではないな」
「……犬養さん」
「なんだ?」
「……私は、二十一か条要求を、承認したんです」
「……そうか」
「いま、無性に後悔しています」
尾崎は、あの要求がどのような結果をもたらすか、理解していました。
にもかかわらず、他の大臣たちが賛成していたから、自分も承認してしまったのです。
もし、あのとき、自分の本能に従って拒否していれば、欧米の信頼がなくなり、中国が怒り狂うこともなかったのです。
作者の私が思うに、例え尾崎が承認しなくても、多数決の力で二十一か条の要求は遂行されていたでしょう。
加藤が強引に要求を貫き通そうとし、今のような状況になるのは目に見えています。
それに、尾崎が承認したとして、責任が全て尾崎に降りかかることにはなりません。
彼は結局のところ、司法大臣です。
全くの責任がないとまでは言えませんが、外交の責任をとるのは外務大臣か総理大臣です。
あまり深く気落ちすることはない、むしろ加藤を批判しまくればよいのではないかと、呑気な私は考えてしまいます。
しかし。
尾崎は、違いました。
尾崎は、正当なる責任者である加藤高明や大隈重信以上に、激しく反省し、深く後悔していました。
「犬養さん、私……、もう、大臣の職務につくのをやめます」
「ほう、司法大臣を辞職するのか?」
「それもそうですが、今後、誘われても大臣にはなりません」
それが、今回の事件に関する、彼の決意でした。
「……そうか」
その後、尾崎の政治人生はまだまだ続きます。
大臣にならないかと誘われたことも何度かありました。
ですが。
尾崎は、生涯を通じて、大臣になることはありませんでした。
……首相になることも、ありませんでした。
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