3節 思想転換からの方針転換っ!!
①
あの日。尾崎が桂に引導を渡した日。
議事堂につめかけていた民衆は、人力車にのって帰る尾崎を見かけると、歓声を上げて見送ってくれました。
この時この日、尾崎は英雄でした。
しかし。
尾崎の一打だけで、変わるような日本ではありませんでした。
結局、次の首相に就任したのは薩摩藩出身者である山本権兵衛でした。
さらに、原敬は立憲政友会を率いて、山本内閣を支持すると表明したのです。
尾崎がいくら反対しても、原は「綺麗事だけでは政治はできない」と切り捨てる始末。
原がこのように動くのも、仕方ないことでしょう。
日本の官僚組織には、政党嫌いの藩閥政治家がまだまだ多く存在しています。
原は外務省経験者ですので、そこらへんの現実はしっかりと理解しておりました。
彼らの意向を完全に無視して政党内閣を打ち立ててれば、官僚たちが反発し、政治的な混乱は避けられません。
原は、藩閥勢力に融和的な態度を維持していれば、いつの日か自らに大命が下ると考えていました。
北風と太陽で例えるのならば、太陽戦略、といったことです。
非常に日本的で、非常に漸進的な作戦です。
北風どころか、雨風雷を容赦なく巻き起こす台風タイプ男子、尾崎行雄は、原の考えに反発して二度目の脱党をしました。
これが。
尾崎の苦難のはじまりとなったのです。
◯◯◯
尾崎は船に乗り、外遊に出ていました。
せっかく外国にいけるのに、尾崎の顔色は頗る悪くなっていました。
尾崎はぼうっと海を見つめていました。
静かな海です。
大陸なんてどこにもありません。
見渡す限り海ばかりです。
平和の二文字がぴったりな風景ですが、少し前までは、この海にも、たくさんの軍艦が行き来していたことでしょう。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子が、セルビア人の若者によって暗殺されたサラエボ事件を契機に、ヨーロッパの強国を巻き込んだ大戦争、第一次世界大戦がはじまりました。
今も昔も変わりませんが、始まった当初はお互い「すぐに終わるだろう」と楽観視していました。
各国の期待を裏切り、世界大戦の解決は四年もの時間がかかってしまいました。
とはいえ、戦争は妥当なところに着地しました。
日本との条例を結んでいたイギリスを筆頭とした協商国・フランス・ロシアらの勝利に終わりました。
きっと、戦勝国は勝利に酔いしれ、活気にあふれていることでしょう。
その空気に触れれば、……尾崎の気持ちも、幾分か晴れるでしょう。
第一次世界大戦は、所詮ヨーロッパ中心の戦争でしたので、アジアの日本はあまり影響を受けませんでした。
ドイツが中国に持っていた山東省の青島にちょっかいをかけ、軽く占領した程度でした。
日本人のほとんどは、第一次世界大戦に悪い印象を持っていないでしょう。
むしろ、ヨーロッパ各国の企業が戦争で操業が困難になったおかげで、日本企業の商品が飛ぶように売れ、好景気を享受していました。
紙幣を燃やして、「ほれ明るくなったろう」と宣っていたイラストは、ちょうどこの時代を描いています。
ですが尾崎は、
……この時期、一つの夢を諦めていました。
彼は、掘り起こしたくない、ですが忘れてはいけない記憶を思い起こしました。
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