5


 突然首元に冷たいものをあてられ、尾崎は飛び跳ねました。


 ぐるっと体を反転します。


 ニヤニヤと笑っていたのは、尾崎の盟友、犬養毅でした。


「やあ、葬式以来だな」

「犬養さん……。急に触るの止めてください。びっくりして心臓が止まりそうでしたよ」

「おや、君の毛だらけの心臓が止まりそうだったと? それはそれは光栄なことだ。是非とも賞状を授与していただきたい」

「あはは、犬養さんは相変わらずですね」


 尾崎の言葉に力はありません。


 犬養はニッコリとして、それとなく家に誘います。


「ちょうど暇なんだ。いっぱい付き合ってもらえないか」

「ええ、喜んで」


 何度も何度も尋ねたお家ですので勝手知ったる様子で、犬養の家にお邪魔しました。


「今日は気分がいいから、酒でもあけようか。支援者から良い酒をもらったんだ」

「いや、犬養さん。今日はお酒は大丈夫です」

「まあまあ」


 問答無用でおちょこに酒をつぎます。


 尾崎はぎくしゃくとしながら、一口酒を飲みます。


「確かに、おいしいですね」

「だろう?」


 犬養は、最近の国内事情についてペラペラと話し始めます。


 現在、桂園内閣だと以前にお話しましたが、桂太郎と西園寺公望の間を取り持っていたのは、立憲政友会の幹部となった、原敬でした。


 原は立憲政友会を掌握し、さらには西園寺を裏でせっせと操っているとのことです。


「本当にあの白髪男はやっかいだな。藩閥の桂太郎にどこまで媚びへつらうつもりなのか……」


 原の悪口を話すと、尾崎は多少元気を取り戻して意気揚々と語ります。


「昔は、原と仲良くなりたいと思っていましたけど、報知新聞を追い出してしまってから疎遠になってしまいましたね」

「うん? 報知?」

「明治十四年の政変の後、報知新聞に入社した時に、原が在籍していたんです。すぐにいなくなってしまいましたからね」


 新しく報知新聞の責任者となった人が原を嫌っており、原も反政府の意向に染まった新聞社に反感を持っていましたので、原はとっとと退社してしまったのです。


「へえ……。知らなかった。いたのか」

「ですです!」

 

 最初は遠慮気味でしたが、しばらくするといつものとおりになってきました。


「犬養さんもお飲み下さいよ。全然飲んでないですよ」

「俺はいい。茶で十分」


 尾崎は楽しそうにニコッと笑います。


「犬養さん。犬養さんは桜お好きですか?」

「人なみにはな」

「犬養さんはもちろん知っていると思いますが、アメリカに桜を送っているんですよ。二回目ですけどね」


 尾崎は肩をすくねます。


「ですけど、アメリカの人たちは桜をみて、日本を思ってくれますよ。異文化の国と国との友好は、地道な積み重ねが必要ってことです!」

「……そうか」


 犬養は、ぽん、と尾崎の縮んだ肩を叩きます。


「まっ、君のことだ。自由にやりたまえ」


 尾崎は、「あたりまえですよ!」と微笑みます。


 ……尾崎に漂っていた暗い霧は、すっかり取り払われました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る