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 気力が落ちてしまい、りっしんべんを抜いた咢堂を名乗りはじめた尾崎ですが、真面目ですので仕事はこなしております。


 そんなある日のこと、外務省からの来客がありました。


 さて何の話かと首を傾げていると、意外な申し出があったのです。


「実はですね、桜をアメリカのワシントンに送る計画を立てているのです」

「桜を? アメリカに?」


 外務省の役人さんは、順序立てて説明してくれました。


「現在、ワシントンのポトマック河畔あたりを公園にしようといった計画が上がっているんです。大統領夫人の友人に、日本通のジャーナリストがおりましてね。彼女が、公園にたくさんの桜を植えてはどうかと働きかけたのです」

「へえ! アメリカの公園に桜ですか!」

「ですが、海を越えて運ばなくてはなりませんので、金銭的な負担が生じてしまいます。政府でもいくらか出しますが、東京からも出していただければありがたいのですが」


 尾崎は迷うことなく、即座に答えます。


「もちろん、構いませんよ」


 快諾です。


 しかも、具体体な金額や、送る桜の数さえも聞かずです。


 嬉しい返事ですが、誰にも相談せずに即断したので、役人さんは驚いています。


「もしや、尾崎さんはアメリカ通でしたか。欧州には通じていると思っていましたが、そちらにも詳しいとは」

「いやいや、アメリカはそこまで知りませんよ。一度足は踏み入れましたが、大統領が若造に会ってくれたのに驚いたくらいですね」


 尾崎は桜の送付に賛成する理由を述べました。


「まだまだ欧州のほうが力を持っていますが、アメリカは莫大な人口と土地がありますので、経済的な大発展の余地を残しています。桜がアメリカとの友好の架け橋になれば、日本の発展も間違いなしです」


 加えて、尾崎にはアメリカへの純粋な感謝の念もありました。


「日露戦争で日本が勝利したのは、アメリカが日本にとって有利な時期に、ロシアと日本の間を仲介してくれたおかげでもありますから」


 日本のほうが精神力が強いだのなんだのといった、聞いていて気分が良くなる主義には傾かず、尾崎は冷静に、日露戦争の勝因を分析しておりました。


 アメリカへの感謝の気持ち、そしてこれからの友好の証として、桜の寄贈は大々々大賛成でした。


 役人はホッと安心します。


「分かりました。ありがとうございます」

「ええ! すぐに市議会に働きかけて、予算を通します!」


 多少の反対こそあれど、外務省からの依頼なこともあり、すんなり案が通りました。


 輸送の手続きも済み、桜の苗木二千本が横浜港を出航、アメリカに向かいました。


 ここで終われば、「現代では頻繁にある、他国の都市同士の交流かあ。この時代からあったんだあ。いい話だあ」となっていたことでしょう。


 そうはいかないのが、明治の世です。


 太平洋を渡り、シアトルに入港し、貨車につまれてロッキー山脈を越え、ワシントンに入った桜は、


 全て、焼却処分されたのです。


◯◯◯


 外務省の役人から一報を聞いた時、尾崎はびっくりしました。


 ですが理由を聞いて、納得しました。


 実は到着した桜の木が、病虫害におかされていたのです。


 日本も防虫対策こそ理解していましたが、あまりにも数が多く、ずさんな対応をしてしまったのです。


「そうか。それは残念でした。だったら、次はしっかりとした場所に頼んで桜を送りましょう」


 外務省の役人さんは一転満面の笑みになり、ありがとうございますと頭を下げました。


 ただし、彼が帰った後、東京市の人間が抗議の声をあげました。


「尾崎さん、本当によろしいのですか」

「? 何がですか?」

「桜を再寄贈する話です」


 彼は目を釣り上げます。


「アメリカは我らが国花の桜を燃やしたのですよ? 抗議の一つもせずに、また送るなど……」

「……? 抗議も何も、こちらの不手際のせいで悪い桜を送ってしまったんですから、仕方ありませんよ」


 国の花であっても、絶滅危惧種の花であっても、病におかされ、虫に食われた植物を放置していると、他の健康な植物にも被害が拡大してしまいます。


 焼却処分を決断したのは、残念ですがしょうがないことです。


 尾崎はよくわからない話を終え、再寄贈のための手続きを行い始めました。


 外務省肝いりの事業ですので、市議会での採決はすんなり通りました。


 予算は出ました。


 今度は、どのように桜を送るか問題です。


 尾崎は、農商務省所管の静岡県清水市の農事試験場付属興津園芸試験場に、健康な桜の苗木を育ててほしいと依頼しました。


 莫大な数に、試験場の人たちは戸惑いましたが、尾崎の熱烈な交渉を得て、引き受けてくれました。


 再寄贈の桜を送る日は、迫っています。


 今度こそうまくいってほしいと尾崎は願いながら、生活を送ります。


 講演会を周り、食事をして、街を歩きます。


 ……そんな些細な事のなかで、尾崎の耳には、悪意のある囁きが入ってきました。


「ほれ、あれが東京市長の尾崎行雄だよ」

「国花を遠くアメリカの地に送って、その上燃やされたんだってよ」

「本当にひどいことをする。だが、一番悪いのはあいつだな」

「それで文句の一つもないらしいぞ」

「おかしい話だ」

「虫がついていたから、って新聞で見たけど、それも本当かどうか」


 一人二人だけではありません。


 誰かれ構わず、尾崎のやり方を感情論で否定してきます。


「……」


 尾崎は、


 ……黙って、その場から離れました。

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