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 尾崎は猛烈に働きました。


 市としては異例であった、外債の募集を行い、市区制を改正しました。


 当時の路地は、小さな木造住宅がひしめきあい、一旦火事でもおきると大変なこととなりました。


 さらに、無差別な洋風建築の増加によって、洋式便所から流れ出る汚物が路地に流れ込んでいました。


 土で出来た道ですので、晴れれば土埃、雨が降れば泥だらけになってしまいます。


 ですので、尾崎は道路幅を広げるため、必要な土地は市で買い上げ、区画整理を行い、道路を塗装。加えて、景観維持と防災対策のために街路樹を植えました。


 まだまだ尾崎は仕事をします。


 お偉い様が株価を操作し、暴利を貪っていた電車を市で買い上げました。


 ガス会社合併にも手を加えます。


 当時の東京には二社のガス会社がありましたが、お互い競争するため、一本の道路に二本のガス管を埋めました。

 

 すると、どうなるのか。


 お互いの会社がガス工事をするため、道路を掘り起こしはじめたのです。


 これではせっかく整備した道が荒れてしまいまい、市民生活に害が生じてしまいますので、合併を推し進めました。


 続いてのお仕事は、上下水道の整備です。


 東京市民の飲料水を探し、尾崎は多摩の奥地に着目しました。


 尾崎は土地の所有者たちをどうにか説得して、約一億五千万㎡の水源地を買収しました。


 次々と新しい技術を持ち込み、東京を改良しようとする尾崎ですが、旧来の生活を好んでた人たちは尾崎の政策に反発しました。


 最たる例が、道路の整備でしょう。


 現代を生きる私達は、整備した道と未整備の土道どちらがいいかと聞かれれば、間違いなく前者を選ぶでしょう。


 ですが、整備された道には、とある履物が必須になります。


 そうです。靴です。


 舗装された道を歩くには、足が包まれた靴が最適です。


 しかし、靴が流行してしまえば、東京にある一万もの下駄屋が倒産の危機を迎える運命にあります。

 

 下駄屋は、「道路を整備するな! 俺等を殺すつもりか!!」と役所に殴り込みにいき、反対運動が起きてしまったのです。


 今日も今日とて、尾崎のもとには誹謗中傷の手紙が届いております。


「……」


 尾崎は封を明け、一読したのちに机に置きます。


 ただでさえ、自らの政治人生をかけて入党した立憲政友会を脱退し、精神的にまいっていた尾崎ですが、東京市会でもボコボコに批判され、尾崎はへろへろでした。

 

 それでも、尾崎は自分の道を曲げたりはしません。


 ……正確にいうと、曲げられない、でしょうか。


 尾崎は他者から見ればさっそうと、……よくよく見ればトボトボとある部屋に向かいます。


 部屋の真ん中には、妻が寝ていました。


 病に苦しむこともない、安らかな笑みを浮かべております。


「……」


 尾崎は妻の頬を撫でます。


 いくら撫でても、声をかけても、彼女は起きません。


 彼女は、私達の世とは違う世界へと、旅立っていったのです。


 尾崎は手を合わせて、死者の安寧を願います。


 葬式には、たくさんの人達が訪れてくれました。


 その中に、犬養の姿もあります。


「ご愁傷さまだったな、尾崎」

「犬養さん……。ありがとうございます」


 にっこりと笑顔を作ります。 


 腐れ縁の犬養には、尾崎が相当堪えているとすぐに理解できました。


「東京市長の仕事は多忙だと言っていたな。しばらくのんびりしてみてはどうだ? 草葉の陰にいった奥方も、君があまりにも疲れ切っていたら悲しんでしまうぞ?」

「あはは、嫌味を言わない犬養さんはなんだか新鮮ですね」

「時と場合を考えて皮肉は言っているからな。嘘だが」

「ですね。犬養さんは風が吹いたら嫌味を言っていますもの」

「端から聞くと、中々に嫌な男だな、俺は」


 冗談をまじえて話してみますが、尾崎の顔色は変わらず、悪いままです。


 尾崎はまるで独り言を呟くように話します。


「私、新聞では死んだと思われているようですね。国政に集中できていませんから、そんなことを言われても仕方ありませんね」


 現在の日本は、空前絶後の日露戦争が集結し、我が国はようやく一等国になったとはしゃいでいる最中でした。


 東京市長として日露戦争への援助こそしていましたが、派手な政治激の主役をつとめていました尾崎にとっては、些か地味になってしまいました。


 もちろん、尾崎だって現状で満足しておりません。


 東京市長の仕事を完璧に遂行し、なおかつ国政にも関わっていきたいと思っていました。


 ですが、精神的にきつく、どうにも気力がわかないのです。


「……」


 犬養はどう声を掛けるべきかと、口を閉ざします。 


 からかうのは、あまりよろしくありません。


 かといって、頑張れと声をかけるのも躊躇ってしまいます。


 同時に、伊藤博文の甘言に騙されて、立憲政友会に入党した上に、それを悪いとも思わず、自分にぺらぺら話しかけてくる尾崎への苛立ちの気持ちが顔を出してきます。


 何も言えずにいると、尾崎は小さくため息を付きます。


「犬養さん。私の雅名覚えていますよね」

「愕堂だったな」


 もとは「勉強に勤しむ!」と考え、「学堂」にしていました。


 その後、保安条例によって東京を追い出されてからは、突然の条例に驚愕したので、「学堂」から「愕堂」へと変えていました。


「今の私は、学問に熱中する気力も、政府や国政に驚愕する心もありません」

「……そうか……」

「ですので、愕から心を意味する部首、りっしんべんを取り除いて、咢堂と名乗ることにします」

「意外と余裕じゃないか」


 気を使った時間を返してほしいです。


 愕堂あらため咢堂は、小さく微笑ました。


 けれど。


 彼はやはり元気がなさそうで、……犬養はこれ以上の追求を止めにしました。


 





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