2章 Go for it!! 尾崎行雄っ!!

1節 東京市長時代っ!!

1

 星の暗殺は立憲政友会でもインパクトがあまりに大きく、一時的に彼のもとを離れた者たちが哀悼の意を示しました。


 一人の死を悼む気持ちはあれど、尾崎贔屓の視線からみれば、巨塔星の死亡は尾崎の地位向上を後押しするでしょう。


 しかし、そううまくはいきませんでした。


 立憲政友会総裁の伊藤博文は、政治的な安定を慮り、首相の座を降りました。


 続いて首相になったのは、山県有朋の部下、桂太郎でした。


 彼が本当に本当に厄介な人間でした。


 あれこれと意地の悪いことをして、自らに反対する立憲政友会を分裂させたのです。


 立憲政友会は藩閥政府打倒を旗頭に、因縁ある進歩党系の政党と手を組み、桂内閣を攻撃しました。


 ですが、桂は伊藤に巧みな圧力をかけ、立憲政友会を政府の犬に仕立て上げたのです。


 これに激怒した尾崎は、同志三十数名とともに、立憲政友会を脱党しました。

 

 あれほど進歩党の人たちに反対されても入った立憲政友会を、こうもあっさりと脱党したのです。


 世間からは、冷たい目で見られました。


 それでも、尾崎はいつものことだと割り切って、自らが進みたい道を突っ走っていました。


 そんな彼に神様が与えたのは、両手いっぱいの不幸でした。


 ……彼の妻が、病気で倒れてしまったのです。


 症状は肺病。治る病気ではありませんでした。


 原因は分かりませんでしたが、尾崎は妻の病気について、こう語りました。


「妻が若くして倒れてしまったのは、自分があれこれ無理させたせいに違いありません。……私は、妻が支えてくれるのを当然だと思って、無理をさせてしまっていました。……ひどい男です、私は……」


 貧乏な中、尾崎の家には書生をつねに一,二人人おき、多い時には五.六人いました。


 その上、弟や妹も育てていたので、妻は大変だったのでしょう。


 しかし尾崎は政治にかかりっきりで、妻の体を慮ることはしませんでした。

 

 せめてもの償いで、病が判明してから、尾崎はできる限り妻と共にいました。


 移る病でしたので医者は別居を進めましたが、無視しました。


 尾崎は医療費をせっせと払い、できる限り一緒にいるよにしました。


 今の生活に満足はしていました。

 

 けれど、ある大きな課題が眼の前にせまっていました。


 経済的な苦難です。


 議員収入だけでは、生活さえもまわりません。


 犬養にペコペコ頭を下げてお金を借りましたが、それでも一時しのぎです。


 それでも、妻を置いて仕事をするのは絶対にしたくありません。


 資金繰りに迷っていたときに、とある人物たちが声をかけてきたのです。


 東京市会議員の人たちが、尾崎のお家を訪ねました。


 お茶を一口飲むと、我先にと一人が話し始めました。


「尾崎さん、是非とも、次の東京市長になっていただけませんか?」


 令和の現代では国会議員と行政の長を両立できませんが、戦前は制約がありませんでした。


 さらに、尾崎は以前、東京議会の議員でもありました。


 市長に就任しても、違和感はありません。


 けれど、尾崎は拒否しました。


「あなたたちも報道でご存知の通り、私の妻が病気で臥せっています。市長の業務をする時間的余裕はありません」


 きっぱりと断わられましたが、相手はなおも食い下がります。


「勤務時間でしたら、問題ありません。市長は名ばかりで閑職です。最低でも一週間に一度から二度来ていただければよろしいのです」

 

 男は真剣に説得します。


「星さんは残念なことになってしまいましたが、確かに東京では汚職がはびこっています。ですが、市長があなたになったら、汚職する者たちも尻尾を巻いて逃げていくでしょう」


 一人の男が説得の言葉を追加します。


「それに、市会議員の皆があなたの就任を歓迎しています。のんびりと仕事ができますよ!」


 男たちは皆が皆、頭を下げました。


「どうか、お願いします。日本の首都たる東京を、あなたの力で変えてください」

「……」


 ここまで言われて、辞退するような男ではありません。


 それに、先ほど説明しました通り、尾崎家の経済は少々まずい状況に陥っていました。


 名前を貸すだけ貸して、賄賂をきっぱりと断り、週に一二度顔を出すだけでお金を稼げるのなら、妻の医療費にあてられます。


 尾崎は、「分かりました」と頷きました。


 ただし。


 市長に就任して、尾崎は気づきました。


 こりゃ、はめられたな、と。


 尾崎は、とんでもなく忙しい雑務に追われることになってしまったのです。


 さらに、「市議会内は尾崎さんを支持している」と言っていたのに、蓋を開けてみれば尾崎をちまちまといじめてくるのです。


 しかも、いじめてくる人たちは、……尾崎が友と思っていた、立憲改進党時代の仲間でした。


 元仲間たちの気持ちも分かります。自分たちを捨てた尾崎が、無防備で自分たちの射程範囲内にいるのです。


 尾崎は純粋でしたので、友情は続いていると思い込んでいただけでした。


 思ってもみなかった苦境に、もう辞めてしまおうか、と尾崎は思いました。


 が、しかし。


 我らが主人公は、逆風であればあるほど、盛り上がります。


 尾崎は市長の権限強化を行い、東京を近代的な都市にしようと様々な方策を行いました。


 つまり、尾崎は自分で仕事を見つけて、勝手に忙しくなっていったのでした。

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