この時期の東京市会は、立憲政友会の勢力圏でした。


 正確にいえば、東京市会は星亨の息がかかった組織でした。


 もともとは都市部を支持基盤にしていた立憲改進党が掌握していましたが、星のちからで一気に立憲政友会のものになりました。


 さて、東京は名目上日本の首都ですので、金も人材もたくさん集まります。


 ですので、東京市会には常に怪しい噂が漂っていました。


 そんなある日。

 

 東京府知事のもとに、ある密告が入りました。


 東京市の水道用鉄管には、厳密な検査に合格したものだけを使用していました。


 工事の人が間違えないよう、鉄管には東京市のバッチをはめております。


 ですがなんと、不合格品としてはねられた不良鉄管に、東京市のバッチをひそかにはめて、合格品にみせかけて納付しているとの密告があったのです。


 知事は驚き、すぐに調べさせました。


 それはもう出るわ出るわの大賑わい。


 一本二本なんてレベルではありませんでした。


 これほどの大事件、知事に密告が入る前に誰か気づかなかったのでしょうか。


 実は、気づいていました。

 

 善良な者たちは、水道常設委員に何回か投書を送っていました。


 だが、水道常設委員は調査せず、投書を握り潰していたのです。


 この事件は一旦責任者が懲戒免職され、集結したかに見えました。


 ですが、星がちょうど逓信大臣になったあたりでしょうか。


 星への憎悪を抱いていた進歩党系の人物が、とある事実を暴いたのです。

 

 進歩党系の新聞いわく、日本鉛管製造株式会社の水道用鉛管の購入をめぐり、市が会社を脅迫、三千余円の賄賂をうけとったとのことです。


 批判の先は腐敗だらけの東京市と、市を牛耳る星に向きました。


 さらに、量水器購入や、汚物掃除請負人指定、水道鉄管納入違約金などの問題で、市が業者の利益をはかったと暴露されました。


 星の配下の市会議員は、次々と、次々と拘置されていったのでした。


◯◯◯


 星は幼い頃の話をあまりしたがりませんでした。


 強靭で精神が異常に強い男が、ひた隠しにしたのです。


 苦しい過去だったのでしょう。

 

 維新の世になると、勤勉な彼は徐々に出世の道を進んでいきました。


 陸奥宗光に出会い、彼の寵愛を受け、欧米へと足を踏み入れました。


 ほとんどの日本人は欧米文化に圧倒され、もしくはあまりの違いに毛嫌いする中、彼は日本人ではじめてバリスタの資格を取得しました。


 まだ日本には「弁護士」の名称さえも存在していなかった時代です。


 当初の日本では、「犯罪人を庇うだけの、しょうもない仕事」と思われていましたが、欧米文化を取り入れるうちに、「弁護士」が必要とされてきました。

 

 ただし、法廷での振る舞い方なんて、日本人の誰もが理解できませんでした。


 そこで、星のもとには次から次へと仕事の依頼が舞い込んできました。


 そんなある日、板垣退助から、自由党に入党しないかと誘われました。


 資金力がある星は、またたく間に自由党の中枢に収まりました。


 星のことを嫌う人物も、金を多めに渡してやれば、コロリと態度を変えました。


 権力が星に集まると、それにあやかろうと人が集まり、賄賂を渡してきました。


 その金を、星は自身の政治力増強のために使います。 


 結局、世の中は


 金、


 金、


 金なのです。


 金さえあれば、権力が手に入る。

 

 権力さえあれば、金が手に入る。


 まるでヘビがとぐろを巻くように、星のちからは絶大でした。


 ……しかし。


 今の星に残っているのは、


 ……なにも、ありませんでした。


◯◯◯


 星は舌打ちをします。


「大隈党の連中め。何が何でも私を追い込みたいようだ」


 すでに、星は各新聞社に自身の潔白を訴えています。


 あとは、星の権力をもって、事態を沈静化すればよいのです。


 賄賂が必要なら、いくらでも金を流しましょう。


 今や、彼は逓信大臣です。


 立憲政友会を牛耳っているのも、自分です。尾崎行雄なぞではありません。


 さあ、誰から懐柔をするかと思案しながら、閣僚会議に参加します。


 だが。


「ごめんね、星君。逓信大臣を辞めてもらいたいんだ」


 伊藤博文首相は、バサリと、言い放ちます。


「なっ、」


 すぐに、東京市会の問題が原因と勘付きます。


「伊藤首相。先日お話したと思いますが、私は東京での問題にはノータッチです。なぜ辞任しなければならないのですか!」


 周りの閣僚たちに視線をやる。


 追随しろと、目で伝えます。


 彼らは、


 ……目を、そらしました。


「っ、」


 伊藤は、静かに言いました。


「ここまで世間を騒がしたら、国政にも影響があるからね。今は辛抱してほしい」


 星が裏で操ろうとしていた伊藤が、


 星を、切り捨てました。


 あんなに金を積んでこちらに引き込んでいた閣僚たちも、星と目すら合わせようとしません。


「……」


 星は、


 ……引き受けざるを得ませんでした。


 始まってしまえば、どこまでも、どこまでも急速に落下していきます。 


 星は、部下たちを呼んで、自分を批判する連中を潰そうと声をあげました。


 ですが、部下たちは気まずそうに首を横に振りました。


「星さん、今は耐える時です」

「正直、あなたへの批判が高まっている中、にっちもさっちもいかないというか……」

「そ、それでは、失礼します」


 部下たちは、まるで火の粉がふりかかるのを恐れるかのように、逃げていきます。

 

 ならば自分の手でやるだけだ、と党に向かう。


 だがしかし、あんなにチヤホヤしていた等の人間は、まるで腫れ物に触るかのごとく扱ってくるのです。


「……」


 金はあります。まだあります。


 ですが、


 ……それを使う術が、ありません。


 金を使っても、世論は収まりません。


 大臣の座は戻りません。


 ……離れていった人々は、戻りません。


「……」


 星は、


 ……尾崎の姿を、見ました。


「尾崎さん、この前の演説、すごかったですね。敵だったときは本当に嫌でしたけど、仲間になったら百人力ですね」

「私は私が正しいと思った道を歩んでいるだけですよ!」


 いつも通り、尾崎は偉そうで天狗の鼻がぐんぐんと伸びています。


 政治家のくせに善良で。


 政治家のくせに常に正しくあろうとして。


 政治家のくせに、裏金を用いません。


 尾崎は星の存在に気づきました。


「星君! 東京疑獄事件のこと、国民にしっかり説明すべきですよ! でないと、君は」

「……尾崎」


 言いたいことを遮られ、尾崎はきょとんとします。


「なんですか?」

「……」


 尾崎の周りには、人が集まっています。

 

 世間から人気者です。


 伊藤の言葉が蘇りました。


 尾崎君には、君に欠けているところがある。


 どうせ自分に圧力をかけるために尾崎を呼んだに過ぎない、言い訳なぞするなと無視していました。


 その言葉が、今、星の頭から離れません。


「……なんでもない」


 星は、去っていきました。


 たった、一人で。 



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