ロ
犬養は政界の混乱に警戒していたせいで、尾崎が突拍子もないことをする人間だとすっかり忘れていました。
いえ、……犬養が警戒していたとしても、気づかなかったでしょう。
まさか、幹部クラスの尾崎が、伊藤博文の政党に入党するなんて。
尾崎は確かにちょっと抜けていますが、物事を見る目は卓越しており、演説の能力は非常に高いです。
昔の尾崎は演説が下手くそで、よく観客から野次られていました。
しかし、尾崎は勉強に勉強を重ねました。
今では、尾崎が論壇にあがれば、反対党でも耳を傾けます。
彼の演説は人の心に訴えかける演説が得意で、伊藤博文をもたじろがせるほどです。
尾崎を、……脱党させるわけには行きません。
一度言い出したら絶対に意見を変えない男ですが、それでも、犬養は諦めません。
犬養は即座に動きました。
まずは尾崎と仲が良い党員を問い詰めました。
理論的に脅は……説得し、尾崎と一緒に行こうとする愚か者たちの名を聞き出しました。
他の者たちにも協力してもらい、愚か者をバシバシ矯正して回りました。
おかげで、犬養が尾崎の家を訪れた際には、尾崎に付き従おうとしていた同志はいなくなっていました。
「おお、そうなんですね」
尾崎はちょっと驚いていましたが、意外にも冷静でした。
犬養は苛立ちました。
「尾崎君。どういうつもりだ? 俺達に相談もせずに脱党し、あまつさえ他の党員も巻き込もうとして。裏切り行為でしかない」
つい語句を荒げます。
ですが、腹が立つほどに、尾崎は動じません。
「いや、案外そのほうが良かったのかも知れませんね」
尾崎は場違いにニコニコ笑います。
「実はですね、伊藤さんからは他の仲間も誘ってほしいと言われていましたけど、星が嫌がっていましてね」
それは当然です。
悪逆非道、陰謀大好き、賄賂の授受を息を吸うように行う星亨。
彼は組織をまとめ上げることは簡単ですが、国民からの好感度は非常に低いです。
一方で、尾崎は純粋無垢で、裏金なんて一度たりとも貰ったことがないのでしょう。
この二人は水と油です。
星は尾崎の勢力が党内を染めるのを嫌がっているのです。
「で? お仲間は消えてしまったわけだが、考え直す気はあるのか?」
「いいや、私は立憲政友会に行くぞ」
尾崎はいつものように意気揚々と語ります。
「よくよく考えたら、他の者達と一緒に入党しても、視野が狭まってしまいます。なら、私一人で行ったほうが、向こうの人達とも仲良くなれます!」
「……あくまで、行くつもりなのか」
「ええ! ですが、党こそ離れますが、日本をより良くしたいと思う気持ちは大隈さんや犬養さんと同じです。いつか合同でことにあたるときは、よろしくお願いします!」
「……」
犬養はよーく理解できました。
尾崎は、ちょっと引越しよう、のノリで党を移ろうとしているのです。
彼は、考えが及ばないのでしょう。
ただでさえ前回の大隈内閣で泥を塗られた党が、尾崎の脱退でいかなるダメージを受けるか。
尾崎が離れることで、党内がいかに動揺するのか。
勝ち馬に乗る尾崎に、党内の人々がいかなる感情を抱くのか。
尾崎は子供のように笑います。
「私の気持ちを、大隈さんたちにお伝えしますね!」
「……そうか」
犬養は脱力します。
もはや、彼にあれこれいっても仕方ないのでしょう。
もう勝手にしろ、の気持ちで犬養はトボトボと帰りました。
尾崎は有言実行し、大隈や他の幹部を交えて自らの主張を語ろうとしました。
だがしかし、大隈は一刀両断し、尾崎を署名処分。
立つ鳥跡を濁しまくり、尾崎は単独で立憲政友会へと合流したのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます