Ⅵ
翌日になると、騒動が収まるどころか、火種が他の新聞にも散っていきました。
そんな中開かれた閣僚会議は、険悪な空気は漂っていましたが、特に何も言及されずに進みました。
大隈は笑顔で会議をまわしながら、自由党系の人間の表情を探ります。
さて我らが尾崎行雄は、ピリピリした空気なんて慣れっこですので、普段通り、気になった議題にはキャンキャン噛みついていました。
閣僚会議が終わりますと、尾崎はいつもの通り、板垣といっしょに帰ろうとしました。
そうです、なんと尾崎は板垣と毎日帰っていたのです。
本来なら、大隈の手助けをしてあげたかったことでしょう。
明治な世の中はバリアフリーなんて言葉はなく、片足がない大隈にとっては歩行さえも困難でした。
ですが、大隈は名字の「大」の字に忠実で、身長グッと高く、体格もがっしりしていました。
一方で、尾崎は若く体力はありますが、あまりに小柄でしたので、介助しようとしたら尾崎が潰れてしまいます。
ですので、他の人に大隈の世話を任せ、尾崎は板垣と連れ添って帰宅していたのです。
「板垣さん! 帰りましょうか!」
いつものようにお誘いしましたが、板垣さんはなぜか挙動不審でおろおろしています。
「いや、……今日は、ごめんね。帰れないんだ」
「はあ、そうですか。わかりました!」
どうしたんだろうなあ、と思いつつも、それ以上言及せずに一人で帰宅しました。
翌日。
朝のルーティーンを終え、新聞をぱらりとめくりました。
……トップ記事は、板垣が尾崎に激怒した、といった内容でした。
「……ん?」
記事を読もうとした途端、突然の来客がありました。
秘書さんが、血相を変えて尾崎に駆け寄ります。
「尾崎さんっ!! 板垣さんがっ、陛下に尾崎さんの辞任を要求しております!!!」
◯◯◯
尾崎はすぐさま進歩党の本部へと向かいました。
幹部たちが難しい表情で顔を突き合わせています。
犬養が詳しい状況を説明します。
「先日、板垣さんは陛下と謁見し、尾崎君とは両立できない、辞任してくれと直訴したようです」
ですが、尾崎と板垣は仲良しなことは、周知の事実です。
なぜ板垣が尾崎を排斥しはじめたか。
犬養は憶測ではありますが、事実に近い説明をします。
「星が巧みに党内を掌握したのでしょうね。で、攻撃しやすい尾崎をつついた、と」
尾崎はちょっと照れくさくて頬をかきました。
「言っておくが尾崎。褒めていないぞ? どちらかというとけなしているぞ?」
「星のことは気に食わないが、手強い相手と認めてもらったら嬉しいですね!」
「で、大隈さん。どうなさるおつもりですか?」
星の考えは誰でも分かります。
尾崎の一件をきっかけに、大隈内閣を潰す魂胆です。
星の暗躍に、いかなる手腕を示すか。
幹部たちが大隈の返事を待ちますが、大隈は案外あっけらかんと答えました。
「申し訳ないが、尾崎君。辞職してもらってもいいか?」
「……」
尾崎は眉をひそめます。
黙る尾崎に、大隈はのんびりと続けます。
「君さえ辞職すれば、あとは大丈夫である」
なんともまあ、お気楽な考え方です。
そういったところが彼の長所ですが、同時に短所でもあります。
尾崎は尋ねます。
「自分がやめれば内閣は維持できますかね」
大隈はふわっと言います。
「心配ないのであるんである」
「……そうですか」
尾崎は肩をすくめました。
「では、辞表を提出いたしますね」
犬養はちらりと尾崎の表情を伺います。
彼の目には、
失望がのぞいていました。
◯◯◯
大隈は「尾崎さえやめれば大丈夫! なんとかなるのであるさ!」と気楽に語っていましたが、実際はどうなったのでしょうか。
結論から言うと、倒閣しました。
尾崎の後任に、大隈は犬養を指名しました。
この指名の仕方が強引で、自由党系の人たちとの相談はありませんでした。
自由党系は怒り狂いました。
閣僚数はこっちのほうが少ないのです。
一席あいたのなら、自分たちにあてがうべきと主張しました。
両者の折り合いはつかず、そのまま党は分裂。
大隈は進歩党系だけの内閣を作ろうとしましたが、陛下に拒否されました。
そもそも、陛下は荒れていた政治をまとめるため、板垣と大隈に大命を降下したのです。
板垣ら自由党系がいなくなるのなら、内閣を信任する理由はなくなったのです。
そのまま、大隈は内閣総辞職を宣言。
こうして、はじめての政党内閣は華やかな業績を残せず、消滅したのでした。
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