七
犬養毅は、尾崎が心身を休めている箱根に赴きました。
犬養は頭のなかで賭けをします。
東京から強制退去させられ、果たして尾崎はショックを受けて落ち込んでいるか、それとも激怒しているか。
犬養は激怒の方と仮定しました。
さあ結果はいかがでしょうか!
「次を読みますね。『あかるい世。赤い火ともして歩いて行こう』」
「はい! 取りました!」
「さすが尾崎さん! 早いですね。次は負けませんよ!」
なんと、かるたをしていました。
しかも、政府から派遣された巡査と一緒に。
「……なにを、しているんだ?」
尾崎は元気よく手をあげます。
「やあ、犬養さん! 犬養さんもどうですか? 私の札を分けますよ!」
「……結構だ。かるたが終わったら呼んでくれ」
「はーい!」
数十分後。
「いやー、手ひどく負けましたよ」
尾崎は顔中墨だらけになっていました。
巡査たちは誇らしげにニコニコ笑っています。
「手ひどくなんてそんな、一枚差だったですよ」
「負けは負けですよ。それで、犬養さん。いかがいたしましたか?」
犬養は深くため息をつきました。
「……元気そうだな、てっきり政府の所業に怒り狂っていると思っていたぞ」
「もはや、怒りを通り越して驚きしか感じませんでした。まさか私を東京から追い出すなんて乱暴な真似をするとは……。あまりにも驚愕しましたので、雅名を『学堂』から『愕堂』に変えました! よろしくお願いします」
「ものすごく元気そうだな、愕堂先生」
尾崎は墨を布で拭きながら、肩をすくめます。
「正直な話、牢屋に入れられるよりはましだったな、って思っていますよ。夏は極暑、冬は酷寒の牢屋に入れられてしまえば、私では耐えられませんからね」
「ふむふむ。なら、今のうちに体でも鍛えたほうが良いな」
犬養はニヤリと笑います。
「なにせ、尾崎愕堂先生は、これから外遊の旅にでるのですから。船旅は相当きついものだと聞いたことがあるぞ? 大丈夫か?」
「大丈夫! ……多分……!」
「そうかそうか。まっ、今のうちに温泉にでも入って、体力を作っておけ」
犬養は胸中で言葉を続けます。
自分の代わりに外遊にいくのだから、ヘタをこくなよ、と。
立憲改進党内で大同団結運動に参加していたのは尾崎だけでしたので、東京から追い出されたのも彼だけでした。
尾崎の発言が元凶とはいえ、政府の対応も唐突で強引でした。
立憲改進党の人たちは尾崎に同情し、ある声があがりました。
東京で政治活動できないのなら、今のうちに外国の地を踏ませてあげたい、と。
とは言え、資金は無限ではありません。
誰かの外遊資金を流さねばなりません。
犠牲になったのは、喫緊で外遊を計画していた犬養でした。
資金提供者から、「すまない、尾崎のために今回は見送ってくれ」と言われてしまえば、頷かざるを得ません。
失望こそしましたが、大人な犬養は尾崎にあたりません。
「君は誰かれ構わず喧嘩するからな。海外で揉めて、大使館に叱られないようにな」
「分かってますって!」
尾崎の頭は、外国への思いでいっぱいでした。
新興国アメリカは、どんな国民たちが暮らしているのだろうか。
産業発展を遂げるイギリスでは、どれほど高度な技術があるのか。
ドイツで有名なビスマルクとは、いかなる人物か。
ヨーロッパの国会は、いかにして機能しているのか。
楽しみで楽しみで、仕方ありません。
「よーし、犬養さん! 景気づけに、かるた再戦しましょう!」
「俺はやらないぞ」
「やりましょう!!!!」
ぐいぐいと手を引っ張られます。
「やれやれ……」
仕方なしと言わんばかりに、犬養はかるたに参戦しました。
鬱憤晴らしで全勝し、尾崎を墨だらけにしたのは、それから数十分後のお話。
◯◯◯
尾崎はヨーロッパとアメリカを充分に堪能しました。
アメリカは議員がかなり適当で失望しましたが、さすが最先端の欧米各国は、議員たちだけでなく、国民も積極的に政治に参加していました。
日本の議会も、世界に誇れる形にせねばならない、と尾崎の意欲がむらむらと燃え上がりました。
外務大臣になった大隈が爆弾を投げつけられたので急遽帰国しましたが、大隈は片足をなくしたものの頗る元気でした。
後々聞いた話では、大隈は意識を取り戻し、医者から片足を失ったことを聞かされた際、「ならば今まで両足にいっていた血液が、今度は体の他の部分にいくようになるから、今までより健康になるに違いないのである」と笑っていたとのことです。
さすが政府から数々の圧力を加えられても凹まない男です。片足を失った程度、笑ってすませて終了です。
これも後々のお話ですが、失った足はホロマリン漬けにして、来客に見せていたとのことです。
……もしも自分が来客だったら、どういう反応をすればいいのか戸惑ってしまいますね。
笑えば良いんでしょうか、嘆けば良いんでしょうか……。
ちょっとしたトラブル(?)がありつつも、日々は過ぎていき、とうとう日本で議会開催のための選挙がはじまりました。
尾崎の出身地は神奈川県の津久井でしたが、当時は制限選挙でして、投票者は直接国税として十五円以上を納める二十五才以上の男子に限られていました。
この条件を満たす人たちは、全国で四十五万人、全人口比にすると、なんと一,一%しかありません。
津久井で出馬しても、地元の人達は投票できません。
ですので、尾崎の父親が隠居していました、三重県から立候補しました。
もともと有名人だった尾崎行雄は、第一回総選挙を難なくこなし、見事当選。
日本初の議会に、意気揚々と参戦したのでした。
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