2節 おお、ヤツの名は星亨っ!!

 大隈重信大先生は明治十四年の政変の被害者たちとともに、立憲改進党を結党しました。


 大隈をぶっ潰そうと政府はあれこれと嫌がらせを仕掛けてきましたが、こっちのトップはもともと新政府の中枢人物です。


 さらにさらに、大隈はなんとなんと、新政府にてスパイの元締めをしていましたので、裏工作に関しては十分理解していました。


 三菱の後ろ盾も匠に利用し、大隈の政党は日に日に強力になっていったのでした。


 犬養毅・尾崎行雄は、立憲改進党の若手として、演説や執筆活動をしていました。


 嫌味な性格の犬養は敵をたくさんつくり、ばっさり文句を言って相手と喧嘩をする尾崎は煙たがれました。


 けれど、凹凸をキレイにはめ込むように、尾崎と犬養はとてもとても仲良しでした。


 今日も今日とて、犬養と尾崎は楽しくお喋りしていました。


「えっへんえっへん!! 犬養さん犬養さん!!」

「どうした。えっへんえっへん言って。風邪か? それはそうか。バカは風邪を引かないというから、尾崎先生ほどの優秀なお方は年中風邪を引かなくてはならないな」

「実は、雅名、変えたんです!」

 

 雅名とは、ニックネーム、ペンネームのようなものと言えばわかりやすいでしょう。


 犬養の雅名は、「木堂」です。


 犬養木堂記念館の公式サイトによりますと、「「木堂(ぼくどう)」というのは、雅号です。孔子の『論語』から付けられ、名付けたのは栗本鋤雲です」とのことです。


「尾崎君の雅名はなんだっけな。可愛い名前だったな」

「うぐっ、……琴泉ですよ」

「そうそれそれ。芸者みたいだな。あっはっは!」

「むう」


 明治十二年に新潟新聞で主筆をしているとき、尾崎は「琴泉」という雅名を使っていまいた。


 漢学の先生に漢詩を習っていた折、琴の音と泉の流れの音はなんだか似ているな、と思ってのことです。

 

 ですが、犬養に思いっきり馬鹿にされてしまいました……。


 言われもない批評には遠慮なしで噛みつきますが、尾崎自身もちょっと女性的すぎるなあと思っていました。


 新政府から強引に追い出されましたし、ここで心機一転、雅名を変えてみたのです。


「して、何にしたんだ?」

「学堂にしました! これからは学びをに励もう! と思いまして」


 何週間も考えた雅名です。


 これなら馬鹿にされまい! と胸をはっております。


 さてさて犬養はというと、なるほどなるほどとニヤリと笑っております。


「なんだい、学校のような雅名だな。探せばありそうだな、学堂塾!」


 犬養を甘く見てはいけません。


 どんな場面でも、犬のような嗅覚であらを強引に探し当て、相手を馬鹿にするのが彼の才能なのです。


 尾崎はかっとなって怒ります。


「だったら木堂の犬養さんは材木屋ですか!!」

「おお、ご立派な皮肉だ。偉い偉い」

「ぐぬぬ……!」


 口の悪さでは、犬養の隣にすら立てない、尾崎行雄なのでした。

 

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