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 犬養も犬養で、尾崎行雄の名前は知っていました。


 西南戦争以前、尾崎は我が物顔で国に反発する薩摩を批判し、連中を討伐せよと促した新聞記事を描いていました。


 犬養はこれを見て、過激だが中々的を得ていると感銘を受けたものです。


 実物の尾崎行雄は、……少々、突飛な男のようです。


「……しかし、明治維新とは素晴らしいな。染物屋でも政府に仕官できるとはな」

「はっはっは! 犬養さんは冗談がきついな。染物屋になる夢はとっくの昔に辞めましたよ!」

「だろうな」

「立派な染物屋になるために、化学を研究する工学寮に入ったんですが、教室にしみついた薬品の匂いがきつくて、勉強が身に入りませんでしたね。あのときは本当にしんどかったなあ。毎日病室にこもってましたよ」

「啖呵をきって辞めておいて、まさかの結果だな」

「体調がいい日は勉強していましたが、学科の勉強も苦痛でしてね。ですが何もしないと怒られる。だから勉強時間中に、論文かいて新聞に投稿してました!」

「ものすごい不真面目人間だな」

「先生は日本語が分からないから、熱心に勉強してますね、って褒めてくれました」

「……可哀想だな……」

「そんなこんなで、工学寮を辞めて、福沢先生の紹介で新潟新聞の主筆になって、統計院になって、辞めさせられて、で、今です」

「色々あったんだな」


 福沢先生に「脳死して政府に仕官する連中はいかがなものか」と論文を突きつけておいて、統計院に入るのは矛盾ではないのか、と犬養は思いましたが、どうせ理由のわからない思考回路に違いないので質問するのはやめました。


 犬養の気遣い(というより、クサイものに蓋をする気持ち)なんて理解せず、尾崎はのほほんと話します。


「私と犬養さんは、本当に何もかも似ていますね。良い友になれそうです!」

「なんだろう、一緒にしないでもらえるかな?」

「そんなこんな話しているうちに、つきました!」


 犬養はうっかりしていました。


 尾崎の意味のわからない会話に付き合っている間に、なんと、彼は大隈邸の近くまで来ていたのです。


 大隈らしいどでかい豪華な邸宅から、大柄な大隈重信がひょっこり顔を出しました。


「おや、犬養君! やっと来てくれたか! いらっしゃい。話しでもしよう」

「うっ……」


 犬養は一瞬悩みました。


 ここで大隈の傘下についてしまえば、完全に政府と敵対するルートを取らざるを得ません。


 どうあがいても、出世ルートとは真逆の方向を進まざるを得ません。


 足を止めた犬養に、尾崎は、手を差し伸ばします。


「犬養さん! いきましょう!」


 無邪気な笑顔を直球で投げつけてくる。


「……はあ……」


 手は取りません。


 ですが、犬養は尾崎の隣に並びます。


「分かった分かった。行こうか」

「はいっ!」


 道端に咲く、今は名もなき鮮やかな花が、風に撫でられてかすかに揺れました。


 風にも雨にも負けず、花は太陽に向かって背筋を伸ばし、真っ直ぐ咲き誇っていました。


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