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呆然としていた犬養は、ぽつりと呟きます。
「……人に馬乗りになっておいて、友達になりたい……? もしや、そういう文化圏のお人か?」
「ああ、すみません。降りますね」
尾崎氏、押し倒したことを謝りません。
よいしょと立ちあがって、尾崎は手を伸ばしました。
「はい、どうぞ!」
「……」
どうせならと手を掴み、立ち上がらせてもらいました。
「ではではっ! いきましょうか!」
「うまい料亭にでも連れて行ってくれるのか? ならありがあたいな。もちろん君のおごりだぞ?」
「違いますって!」
尾崎は元気よく答えます。
「大隈先生のところです!」
◯◯◯
犬養は、尾崎が一方的に「大隈先生は偉い人なんですよ」「頭の回転が非常に早い」と褒め称えていました。
犬養にとっては、別に大隈が偉かろうが馬鹿だろうがどうでもよいのです。
あの人が新政府の中心人物、伊藤博文らに嫌われている、その事実だけで近づきたくないのです。
「そうかー。なるほどー。君は大隈大先生様がお好きなのですねえ。では失礼します帰ります」
「そうだ! 犬養さんも福沢先生のもとで学んでいたんですよね!」
「おおー。話がごろりと変わったなあ。さては君、俺の話を聞く気がないな?」
「犬養さんの西南戦争の記事、読みましたよ! いやーあれは感動しました!」
「はあ。どうも」
新聞記者時代の犬養の功績といえば、西南戦争の戦争取材がいの一番に挙げられるでしょう。
西南戦争がはじまると、新聞社は各々記者を派遣しました。
ですが、ほとんどの記者は軍人に拒否されて戦地に近づけず、周辺地域でちまちま地道な情報収集を行うだけでした。
犬養は違いました。
陸軍に接近し、特別に銃弾が飛び交う戦地に取材ができたのです。
臨場感あふれる記事はたちまち読者の心をつかみ、彼の名を瞬く間に高めました。
けれど、良いことばかりではありませんでした。
福沢先生には、「貴様命知らずか!! 反省しろ!!」と怒られましたが、それよりも悪いことが起きたのです。
実はこの任務、完遂すれば犬養の学費を郵便報知新聞が提供すると約束があったのです。
持ち前の好奇心も動機の一つですが、お金に困ってもいたので、取材に向かったのです。
だが、なんと、学費の支払いを新聞社はしてくれなかったのです。
ですがご安心を。
慶應義塾こそ辞めましたが、名声を上げた犬養は、東海経済新報の主幹として、それなりの地位と収入を得たのです。
そんなときに統計院の仕事に誘われ、ちょっと嫌がりましたが新聞社の主幹を続けて構わないと説得を受け入れて、流れ弾に食らって追い出されたのでした。
犬養の略歴は以上となります。
犬養は尾崎に誉め返しします。
「君の新聞記事も読んだことがあるぞ。中々良かった」
「ありがとうございます! いやー、私たち、なんだか似てますね! 実は私も慶應義塾を途中で辞めたんです!」
「ほう、それはまたなぜだ?」
「染物屋になろうと思って!」
「うん? ……うん……? 染物屋とは、布を染める仕事だと思っていたが、違う意味もあるのか?」
「あはは、犬養さんは面白い人ですね! 染物屋は染物屋以外何者でもないですよ!」
さあ続いては尾崎行雄先生の略歴です。
「ある時、福沢先生に論文を書いて出せと言われまして。私は常々、学問が出来る人園は政府の役人になって偉くなることだけを考えている、独立して生きようとしないと思っていたんで、そう書いたんです!」
すると、福沢先生はこう返したのです。
「そしたら、福沢先生から、趣旨はいいが実行する人物はいないと言われて。なら私がやってやる! と思って、慶應義塾を辞めて染物屋になろうとしたんです」
尾崎が当時読んだ書物のうちに、クリミヤ戦争にいった英仏軍の著述がありました。
軍人たちはこう回想しました。
悪い染料で染めた靴下を履いていたために、病気になった者が多かった、と。
日本の当時の輸入染料も、色がさめ易くかつ粗悪でした。
そこで尾崎はこう考えたのです。
立派な染物屋になって染料を改良し、色がさめないように、また体の害にならないようにするのは国のためでもあり、自分が独立して生活するためなのだ!!! と。
そのためには、慶應義塾にいてはだめだと考え、辞めたのでした。
「なるほどなあ」
犬養はこう思いました。
訳のわからない人間もいるんだなあ、と。
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