宗教の本質

 皆様は宗教の存在理由をご存知でしょうか?


 五大宗教から始まり、多岐に分裂、細分化され、多くの新興宗教も生まれている現在。残念ながら、その多くが『教団、教祖が信者からお金を集める』ことが目的になってしまっているように思います。

 確かに、歴史を紐解いていくとキリスト教教会が信者に免罪符を発行し「これを買えば罪が赦されますよ」として資金を集めたこともあります。

 現在では、お葬式の時にお坊さんにお渡しする『お布施』を「○○〇万出せば故人が良い所へ行けます」と言われることもあるそうです。


 私個人としては、これらが悪い事とは言いません。


 協会だって維持費が掛かりますし、お坊さんも頂いたお金でお寺の維持に生活費にと苦労されているでしょうから。

 ただし、こと『宗教』の観点から見た場合は話が変わります。

 『まずはじめに』の項でも軽く触れましたが、宗教の本質は「全人類が皆幸せに生活を送れるように、正しい生き方を教え伝えていく」ことにあります。


 ニュースにもなった『統〇教会』に関連する事件、ありましたね。

 母親が多額の献金を行い、息子さんが苦しい生活に精神を病み、起こってしまった痛ましい事件でした……。

 このようなニュースを見るたびに、『金儲け宗教』では誰一人幸せには成らないな、と痛感しています。


 話を少し戻しますが、多くの宗教が存在する現在、ではどの宗教が良いのかと問われると、少々返答に窮してしまいます。

 古くから在る五大宗教が良いのかと問われれば、その中で本当の意味での幸福者に成られた方は極々少数でしょうし、新興宗教は良くないのかと問われれば、中には真っ当な教えを伝えている団体もございます。


 そもそも、五大宗教が生まれた理由を話しましょうか。


 それぞれ違った経緯はありますが、根本には「我々人類が神の存在を忘れた」ことに起因して各教が生まれているのです。

 目に見える世界が発展していくにつれて、人々は少しずつ神を忘れ、対立、争いを行うようになっていきます。

 それを抑止しようと、神様は聖者と呼ばれる方々を現世に降ろされたのです。


 イエス様曰く「隣人を愛せよ」

 お釈迦様曰く「母親がわが子を命がけで守るように、すべてのいのちあるものに限りない慈しみの心を持つべきである」


 このように、聖者は一様に「他者を愛せ」と仰られています。

 対立や争いから平和な世の中は成し得ないからです。


 しかし、ならば何故、複数人の聖者が現れ違った教えを広めたのか?

 イスラム教が想起されてしまいますが、他教は間違いだとしてしまえば、また新たな火種が生まれてしまいます。

 この疑問については、時期が悪かったとしか説明が出来ません。申し訳ない。


 私達人間が何かを成すとき、目標を決め、計画を立て、実行に移していきますよね。

 実はこれ、神様も同じなんです。

 神様も「人間たちの住む世界を素晴らしい物にしよう」と目標を決め、そこへ至るための細やかな計画を立てられました。

 しかし、我々が余りにも速いスピードで科学を発展させ、神を忘れ、否定する流れに進んでいった。

 なので、軌道修正するために聖者を使って神の存在を思い出させる必要がある。

 しかし、まだ時期ではないから、真理をそのまま伝え広める訳にはいかない。


 となったわけです。


 結果としてホールケーキを切り分ける如く、各教に真理を分割して広めさせるしかなかったのです。


 お釈迦様は弟子に「仏教の教えを一言で表すと、どのようなものですか?」と質問され「真如の教えだよ」と答えました。

 『真如の教え』、読んで字の如く「真の如き教え」、真理の教えでは無いんですね。


 イエス様は「光は東方より来たれり」と仰られました。

 こちらの読解には諸説あるようですが、「何百年も後、真理を伝え広める本当の聖者が東方に生まれるよ」という預言であったとされています。

 「神は光なりき」という言葉も有名ですね。神様を表す単語として『光』がよく使われます。


 ユダヤ教、モーセの十戒はご存知でしょうか?

 シナイ山にて芝の木に神の光を見た、と記述されています。


 神様は光として表されていることからも解るように、各教同じ存在を信仰しているのです。

 キリスト教では『我らが主よ』と呼び、仏教では『仏陀』、ユダヤ教では『ヤハウェ』、イスラム教では唯一神『アッラー』と違った呼び方をされていますが、皆様も経験あるはずです。

 学校では先生でも、家に帰れば名前で呼ばれ、ネットの世界ではハンドルネームを名乗り……。

 先程も書いた通り、時期が悪かったのです。呼び名を統一してしまっては、真理を分けて降ろした意味がありません。

 神様も身バレを防ぐために名前を使い分けたのです。


 それを人間は『主だ』『仏陀だ』『いいやアッラーだ』と呼び方一つで対立し争っている。

 なんとも不健全なことでしょうか?

 神様から見た時に、これほど御無礼なことはありません。


 幸せに生きるミチシルベを教わり、行っているのが争いなんですから……。


 長々と書き散らしてきましたが、要は宗教というのは、全人類が『愛』で分かり合い、共に暮らしていける世界を創っていくための方法、手段を伝えることが本質に無くてはならない、という話でした。


 今回憶えて欲しいことは「神様も身バレを防止した」です。


 ではでは。

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真理についての書き散らし おもんみ @omommi_writer

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