第2話 薬師と竜の契約

見れば、黒い竜は、目を開け、驚いたようにこちらを見上げていた。そして白い竜も噛むのをやめて、こちらに目を向けていた。


「おや、黒い子は喋れたのかい。これはすごい」


 人の言葉を喋れる召喚獣、あるいは魔獣というものは、中々に珍しい。危険度や召喚難易度を兼ねたランク付けもあるが、喋れるだけで、Bランク以上に認定されるそうだ。

 そして、そのまま黒い竜はこちらに声を飛ばしてくる。

 

「私、激痛の毒、いっぱい出してるのに。人間なら、大人でも耐えられないくらいの」


「やはりこれは毒だったのか。良いものを持っているね、君ィ!」


 興奮気味に、そう言うと、これまた黒い竜はびっくりした顔をした。

 

「ど、どうして褒めるの……。毒なのに……」


「どうしてって、毒は別に悪いものではないよ? 全てのものは毒になりうるし、用量で認識が変わるだけでね。薬にだってなりうるんだから」


 更に、毒を出せる、というのは俺にとっては好印象なものだ。


「……毒が薬って……そんなことを言ってくれたヒト、いないよ……。それに、痛くない理由にはならない……」

 

「そこは昔の経験で、毒物と痛みに対しては耐性があるから、というのが大きいね」


 幼少期から散々、毒物劇物を体に取り入れて肉体改造を行った結果得られたものだから。偶然ではあるが。動けなくなるほどの毒でも、あまり効かないのだ。

 

「ともあれ、喋れるなら心強い。具合は大丈夫かい?」


「し……心配してくれるの?」


「薬師だからね。具合の悪い子を放っておきたくはないんだよ」


 そう言うと、黒い竜は小さく頷き、


「こっちの子、私と同じように召喚されたんだけど、凄く調子が悪そうだから。助けてあげて」


 と、白い竜を見た。


「げほっげほっ……」


 白い竜はせき込んでいる。見るからに苦しそうだが、


「教えてくれてありがとう。でも、そういう君も、具合が悪いんじゃないかい?」


「え……どうして……分かるの」


「ここに来る召喚獣も、家では痛いのに、我慢してしまう子がいるんだ。君も、そういう風に見えたからね。だから君にまず聞いたんだけど。どうだい?」


 言うと、黒い竜は僅かにうつむいて、


「ちょっと気持ち悪くて、お腹ジクジク痛い……」


 気持ち悪さとジクジクとしたお腹の痛み、と聞いて、症状がいくつか頭に浮かんだ。だから、


「ふむ、ちょっと触るよ」


 もっと詳しく調べようと、お腹のあたりに触れようとすると、黒い竜は身をよじった。


「わ、わあ! 女の子のお腹にいきなり何を……!」


「女の子だったか。すまない。ただ、診察上、必要でね」


「で、でも。そ、そこからはもっと強力な毒が……」


 どうやら心配してくれているらしい。

 優しい事だ、と思いながら触診していると、


「……なんともないの? 巨鬼でも麻痺して卒倒しちゃうような毒なんだけど」


「ビリビリはするね。さっきも言ったろう。耐性があるんだ。それに、毒に触れるのは俺にとってご褒美だとも」


 触診を終えて、撫でながら言うと、黒い竜は目を細めて小さくしゃべる。


「凄い……あったかい。撫でられたの、初めて……」


「おや、そうだったのかい? 気に入ったのならもっと撫でよう」


 撫でながら、俺は、ある異変を発見した。


「この痣は……なるほど。とすると、こちらの白い子も……」


 そして白い竜にも同じものがあるのを確認し、確信した。


「私と同じ痣……?」


「そう。この子も君と同じ症状だね。相当無理な召喚をされて、魔力の流れがぐちゃぐちゃになっていると、この痣が出る。――『召喚疾患』と言われるモノだ」


 初心者の召喚術師、あるいは正規の手順を踏まない召喚、不正な魔法具を使って召喚したような魔獣に、時折出る症状だ。


 召喚術は遠隔地や別世界に穴をあけ、生物を呼び出す魔法であるのだが、術者の魔力が未熟だったり、別世界の引力が強固だったりすると、穴が小さいことがある。

 そこに無理やり生物を通すと、体に異常を起こしたりする。

 

 黒い竜はその毒のベールで隠れていたことで、白い竜はずっと伏せていたから、召喚した瞬間には気づけなかったのだろう。

 

 ……この街の正規の召喚士なら気付くし、モグリの召喚士がやったのかもなあ……。

 

 ともあれ、症状は確定した。ならばあとは、 

 

「コイツを使おう」

 

 俺は薬棚から一つの瓶を取り出した。オレンジ色をしたその液体を、一滴指にとって、

 

「俺が調合した薬でね。飲めるかい?」


 二体の竜の口前に差し出す。すると、おずおずと白い竜は舌を出し舐め、黒い竜も、一息に口に含んだ。すると、黒い竜は目を見開き、

 

「甘い……。これ、本当にお薬……?」


「そうだとも。すぐに効果が出るはずだ」


 言われ、黒い竜は自分のお腹を見て、


「お腹痛く、なくなった……!」


 と、嬉しそうに言った。


「良かった。君はどうだい?」


 白い竜に問いかける。すると、竜は静かに頷き、


「気持ち悪いの、なおりました……」

 

 やわらかな声でそう言ってきた。


「おお、君も喋れるのか! 素晴らしいね!」


 まさか二体とも喋ることが出来るなんて。良い子たちだ、と思っていると、


「ありがとう、ございます……!」


 白い竜は静かに頭を下げ、


「うん。ありがとう。竜を治せるなんて、凄いわ……!」


 黒い竜は、驚きの目でこちらを見ていた。


「褒めてもらって恐縮だけど、この薬で完治したわけではないよ? 後は召喚術式の解呪をしないといけないからね」


「かいじゅ……?」


「うん。召喚術には、所有契約者から魔力を受け取る術式が組み込まれているんだけど。契約しないまま放り出されたせいで、流れがおかしくなったのもあるんだよ」

 

 言うと白い竜が尋ねてくる。


「契約しないと、また気持ち悪くなりますか?」


「契約しないままでいるとなる可能性が高いね。さっきの薬を飲んだら、二日は平気かな。明日、解呪しにいくとしても、成功するかは診てもらわないと分からないから、微妙なラインだけども」


 体力のブースト自体は薬でどうにか出来るけれども。可能であれば回復してから行った方が良いだろう、と思っていると、


「貴方と契約するのは、ダメ、ですか」


「俺と?」


「私もアナタなら、良い」


「そうだね。また、体の調子をおかしくするのももったいないし、明日一発で解呪が成功するとも限らないし。体力が戻るまで俺が契約者になろう」


 術式の解呪も、契約を解除することも、殆ど手間は変わらないし。


「契約するには、おでこに触れて、と。二人の名前を教えてくれるかい? 俺はカムイ・サージェリーという」


「カムイさま。私、スノウドロップ・パナケイアと申します。スノウとお呼びください」


「私は、リリス・アトロパ・ハイドランディア」


「オッケー。ありがとう。これで俺の血を入れて…………スノウドロップ、そしてリリス、と。契約」


 二体の額に手のひらを近づけると、魔法陣が生まれた。そこに血を少しだけ流し入れ、名前を呼ぶことで、魔法陣は閉じた。契約は完了だ。

  

「これでよし。あとは、スノウ、リリス。君たちの今日の寝床づくりだな。人のベッドはあるけど、竜を寝かせるベッドはないからなあ」


 竜種の寝床には、『竜藁』という専用の藁(というか魔石を藁状に練ったもの)があった方が身体の回復に役立つ。しかも、すでに病中なのだ。生物的に合わない寝床で寝てもらうのは、あまりいいことではない。

 夜遅いが、藁を扱っている店は開いているだろうか、と考えていると、


「あ、それじゃ、人の姿になるわ」


「私も……」


「え?」


 こちらの反応よりもはやく、二体の竜が白と黒の光に包まれた。

 

 その光は一瞬で晴れ。光の向こうにいたのは、

 

「これなら、ご迷惑、おかけしませんか?」


「この姿の方が、人の街には向いているわよね」

 

 白と青の可愛らしい服を着た銀髪の少女。そして赤と黒の美しいドレスをまとう、金髪の少女がいた。どちらも二十を超えるか超えないかくらいの顔立ちだ。


「おお……人の姿になれる竜は相当珍しいんだけども。君たちは二人ともなれるんだね」


「ええ。でも、まだ手足はあんまり動かないけど」


「私もです」


「病み上がりだし仕方ないさ。じゃあ、簡単にベッドの掃除だけするから待っててくれ」


 ほこりなどは積もっていないが、シーツなどは綺麗なものを使った方が良いだろうし。そう思っていると、二人の竜の少女は静かに頭を下げ、


「うん。ありがとう、カムイ。よろしくお願いね」


「お願い、いたします、カムイさま」


「ああ、任されたとも」



 二人分のベッドメイキングをするカムイの後ろ、人となった二体の竜の額に小さく、契約文が流れていた。カムイはもちろん、二人にも見えないくらいに、本当に、小さく。

 

『『聖なる領域を司る竜、スノウドロップ・パナケイア』『邪気を食らい、毒として蓄える竜、リリス・アトロパ・ハイドランディア』契約承認しました』



「せ、聖竜様の子がいなくなっただと!?」


 聖竜を崇め、尊ぶニウェウス王国の宰相室にて。

 宰相は朝からそんな報告を受けていた。


「はい、宰相様。今朝がた、聖域の監察官から報告がありまして。娘様がいなくなっていると。聖域内に魔力の反応もないそうです」


「どういうことだ!? あそこには結界があるはず。自ら出て行ったとしても聖竜様とそのご家族が通過されるときは、必ず反応があるはずだろう?」


「結界は今も変わりなく機能していますし、停止した記録もありません。出入りされた記録も、ありませんでした」


「結界は、聖竜様以外は、許可されたもの以外は出入りできない。ならば、出入りを許可されたものによる誘拐……?」


「すでにその線で調べましたが、誰一人として聖竜様には触れてすらいませんでした」


「だろうな。我が王国の回復魔法の祖たる存在に対し、あまりに恐れ多い事だ。しかし、それならなぜ、消えたのだ」


「分かりません。観測した限りは平常通りで、破られた形跡もありません。あの結界は、魔法による攻撃も弾きますし。魔王が持っていたレベルの強力な呪具、あるいは禁呪であれば、ある程度の穴は開くと思いますが……。少しだけ聖域内の霊脈に異常があったため、そこを調査中です」


「分かった。調査はそのまま続けてくれ。……しかし、不味いぞ。聖竜様の機嫌を損ねれば、我らの国の強み、回復魔法の発展が遅れるし、何より、聖竜様を慕う王にも悪影響が出る……!」


「一刻も早く原因を究明し、探し出すのだ!」


「はっ!」


 部下は礼をして、宰相室を去っていく。

 

「まったく……早朝から頭が痛いことだ……」


 と、宰相が額を押さえていると、

 

「宰相様!」


 先ほどとは別の部下が飛び込んできた。

 その表情は、とても焦りに満ちていて、直ぐに報告を聞かねばならぬことは一目でわかり、

「聞こう。今度はなんだ?」


 聞くと、部下は頷き、震える声で告げてきた。


「同盟国――アイヴィー帝国からの報告です。彼の国と盟約を結んだ邪竜閣下が、住処より飛び去ったとのことです!」


「なんだと……!? 閣下は万物を毒す故、交渉によって住処である城から遠出はしないという話では……!」


 かつては邪竜閣下が軽く暴れただけで、魔王の一軍は壊滅した。遥か昔には、怒らせた国が滅びたこともある。その脅威的な力と、しかし人語を介し、冷静に話が出来ること、害さない限り気遣いすらあること。そんな畏怖と尊敬から『閣下』と呼ばれている。


 これまで住処から出る際には、帝国経由で周辺諸国に注意や、進路の事前連絡などをしてくれていたというのに。


「今回は事前連絡などなかったぞ」


「はい。帝国にとっても突然の事だったようで。帝国の連絡員に対し閣下は二言。『オレは娘を探しに行く!』『さらったやつはどこまでも追い詰める!!』とだけ残して出て行ったとのことです」


「閣下の娘がさらわれただと!? あの厳重な城から、一体どうやって」


「わ、わかりません。とにかく、うなりと叫びと共に出て行ったとしか……」


「……アイヴィー帝国は、閣下の提供する毒により、武具や実験に使う劇薬の生産を行っている。閣下の存在は国益そのものだ。行動を制して機嫌を損ねるわけにはいかんのは分かるが……」


 宰相は、天を見上げ、


「聖竜に続いて邪竜の娘もどこかに消える……?! どうなっているんだ……!」


――――――――

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