諦観

 それから再び人間と相まみえたのは、三週間ほど経ったころだ。


 森に這入ってきたのは強者ではなく、あるいは大群でもなく、一人のか弱きだった。小鬼たちに見つからないように繁みに隠れている姿があった。私が空の散歩をしている時のことだ。私が不可解なのは、彼女は恐らく私を探しに来ているのだろうけど、そもそもこの森を一人で歩けるほど強くはないことである。私の見立てでは、小鬼が少し群れただけで相当厳しくなるはずだ。


 私に勝つ算段が付いたのだろうか。


 暫くの間その様子を見ていたら、小鬼たちに姿をとらえられた。リエッタは歴戦の狩人のような技術はないのだから時間の問題だった。相手は五体だ。これくらいなら、まだ彼女でも対処出来るはずだ。


 実際、五つの火の玉がそれぞれ小鬼を吹き飛ばした。その命中率は特筆に値する。ふと思えば、彼女は私にもすべて命中させていた。生憎、その威力が弱すぎるため意味を成さなかったが、相手が小鬼くらいになれば必殺の技となる。問題は大鬼などを含めた群れの方だ。私はこめかみを抑えながら、彼女を見据えた。暫くすると、案の定大鬼が率いる群れに見つかった。


「何をしに来たんだ。まったく」


 うの体で逃げ惑っているリエッタは、隙を見つけては炎を放ち、小鬼の数を削る。大鬼に一発被弾したものの、少し苦しんだだけで倒れなかった。


 きっと何発か当たれば殺せるだろうけど、そんな暇はなさそうだ。勝利を確信した表情を浮かべる大鬼に向け、指先を小さく弾く。一本の火柱が立った。木の根に足を取られていたリエッタの下に降り立つ。腕を組んで見下ろした。


「死にたいのか、お前は」


 私は呆れたように言った。


「あなたは」


 リエッタは素早く身体を起こすと、臨戦態勢を取った。


「まあ、待て。お前の火は私に効かん」


「知っています。ですが、あなたに会いに来ました」


「妙に目が据わっている。何かを決心した顔だ。いや、何かを諦めた顔だ」


「わたくしは然るべき情報は伝えました。あとは責任を取らなければなりません」


「得心した。お前は死にに来たわけだ」


 私はすぐに踵を返した。「え」と間抜けな声が背中にあたる。


「つまらん」


「な、え、どうして」


「何故、私がお前の言う通りに引導を渡してやらねばならんのだ。勝手に死ね。私の手を煩わせるな」


「わ、わたくしはあなたとの約束を破りました」


 リエッタは追いすがってきた。


「なんの話だ」


「貴方のことは口外しないという約束のもと返してもらったのに、わたくしはそれを口外しました。次は軍隊が来ますよ。この前よりも強く、多くの人間が貴方を殺しに。わたくしが約束を破ったから」


「それは良いことを聞いた。最近は退屈してたんだ」


「私を殺さないんですか」


「勝手に死ね」


 背中に火の玉が当たった。


「では、あなたを殺します」


「お前では無理だ。他の術は使えんのか」


「わたくしは才能がありません。生家からも今度の件で勘当されました」


「お前の身の上話はどうでもいいが、そもそも火が駄目だ。私は火に対して絶対的な耐性がある。お前がどれほどその力を磨いても意味を成さない。どうにかして別の術を覚えてきた方がいい」


「わたくしにはこれしかありません」


 首元、足元、右腕、左腕、身体のあらゆるところに火の球が飛んでくる。


「付いてくるのを止めろ」


「やめません」


「殺されたいのか」


「どうぞ」


 私は暫く歩いて立ち止まった。


 仲間は死んだ。家族も家族じゃなくなった。


「無性に腹が立つ」


 私はリエッタに向き直った。


「お前は今、自分に酔っているだけだ。こんなにも不幸な私を演じているだけだ」


「え……」


「小鬼たちに襲われた者たちの末路は知っているか」


「えっと」


「まあ、恐らくは知っているはずだ。だが実際に見たことはあるか。私はある。抵抗すると腹部を殴打され、胃液を吐いている内に身ぐるみを剝がされる。これから起こるであろうことに悲鳴をあげ、そしてまた殴られる。男女の営みなんてものではない。大鬼のモノは人の腕ほどあるんだ。女の秘部は割け、血が飛び散る。痛いと叫んだら、やはり殴られる。手足を折られる者もいる。全身の激痛に耐えながら、女としての尊厳を奪われる。気の強い者もやがて諦める。そこからは順番に中鬼、小鬼が列を成して、また同じことの繰り返し。自分がどうなっているかも分からない。気が付けば腹が大きくなっている。股から小鬼の赤子が零れ落ちる。また同じことの繰り返し。無理な出産に依るものか、精神的なものか、やがて静かに死ぬ。お前もそのようにしてやろうか」


 私は怒気を含ませ、リエッタを睨めつけた。小さく喉を鳴らしている。後じさりをして、足をもつれさせた。


「お前よりも不幸な者などたくさんいる。お前の脚本など知らぬ。何度も言うが、死にたいなら勝手に死ね。自死する勇気もないのなら、生きたまま死んでいろ。私はお前のような諦めた者が大嫌いだ」


 私は再度歩き始めた。


「じゃあ、どうすればいいのですか」


 リエッタは少し間を開けて、そう声を張り上げた。


「もう失敗できなかったのに……」


 打って変わって消え入りそうな声で俯いているリエッタのもとに、小鬼たちが向かっているのが見えた。私は足を止め、その様子を伺った。小鬼たちが目と鼻の先に来ると、流石に気が付いたリエッタが顔をあげる。


 一瞬怯えた表情をしたものの、やがて目を伏せた。それは諦観というよりは、意地のように見えた。私が言った言葉が逆効果になったようだ。思いのほか頑固な女らしかった。


 私は逡巡のあと、小鬼たちを燃やした。リエッタはゆっくりと目を開ける。少し先にいる私を不思議そうに見た。

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