郷愁
私のことは確かに伝えられたらしく、今度は誰も森にやってこなくなった。暫く探索していても見るのは鬼ばかりだ。遊び相手が居なくなってつまらなくなった。予想では更に強い存在がやってくる筈だったのだけど、人間は思いのほか慎重なようだ。私はそれから数週間、別の地域に足を延ばした。
代り映えのしない景色にも飽き飽きだが、最早戦闘行為が些細な片手間になった私にとっては、小さな変化を見つけることに難しさはなく、よく見たら色の違う茸や肌の違う木、新たな生物、花や岩、様々なところに目を凝らした。
私の拠点から南を誕生の場所とすると、鬼の森は北、今度は東にやってきていた。相変わらず森が続くものの、新しく異様な気配の兎に遭遇した。
狼王ほどではないけど、私の警戒心をくすぐってくる。異様の正体は額にも目があることだ。真っ赤な目が三つある。大きさは普通の兎と差はないものの、何を考えているのか分からないような、そんな恐ろしさがある。出会うと逃げる訳でもなく、攻撃するでもなく、ただ佇んでいるのだ。
一応警戒して白い炎で燃やすと普通に死んだ。私は首を傾げながら先を進むと、やはり佇んでいる三つ目の兎に遭遇した。何度か遭遇して分かったことだけど、彼らは何かを試みているようだった。
私と見つめ合った際に、額の目が一瞬光っている。私の炎のように、遠隔で相手に作用するような能力を持っているのかもしれない。
ただそれは私には効かないようだ。あるいは、この恐怖心をあおるような感覚こそが攻撃なのかもしれない。どう考えたって強くはなさそうだから。
暫くすると、小さな川を見つけた。水は澄んでいて、小魚が通り過ぎる。身体を洗っていくことにした。
最近の悩みなのだけど、やはり人の姿になるのなら服は欲しい。最初は解放感みたいなものを感じられて楽しかったけど、本来の私は第一線をはしる御洒落人だ。この身体が冷えることはないとはいえ、その楽しみを得られないのは、人間として如何なものなのかと思う次第である(もっとも、炎で服を作ることは出来るのだけど、コレクターとしての気質を持つ私は、ちゃんとした本物を所持したかった)。
水浴びを終えると、川の上流の方へと進んだ。
ボンヤリと空を眺めながら進んでいると大きな山が見えてきた。川はその山から延びているようだ。この大森林は連なる山々と人間の生活圏に挟まれている。空も暗くなってきたところだから、私は拠点に帰ることにした。
今日は結構探索した気がする。私は人の姿になれることを知った時、自分のことをより理解した。私は炎そのものであることが何よりも肝要なのだ。予め拠点に設置しておいた火の玉は、遠く離れていても私の一部というわけだ。何が言いたいのかと言うと、私は画期的な術を身に着けたということだ。
拠点の火の玉と今ここにいる私自身、両方が私なのであれば、それを逆にしても両方私である。すなわち、私は自分の炎と炎の位置を瞬時に入れ替えることが出来るというわけだ。
「ただいま」
誰に言うでもなく、私はそう言った。
人間の姿になって良いことは、手が使えることだ。拠点の外で火を炊き、肉を焼き、スープを煮込んだ。
今日は猪の肉だ。ここの生物の肉を色々食べたけど、一番丁度いい塩梅なのが猪だった。焼き目がついた肉に塩味の炎を振りかける。皿の上に山菜を乗せ、それに被せるように肉を置く。
スープを器に注ぐと、テーブルに置き、そして椅子に座る。夜の空は月と星々が輝いている。夜の闇に炎の灯りが浮いていた。この場にあるあらゆるものは、私の炎がその姿を変えたものだった。
それをおかしいことだと思うのは正常だ。不可思議を不可思議とするかどうかは、いつだって主観である。手足を動かす行為を不可思議と思う者はいない筈だ。しかし私は炎をそのように扱っている。胸に手を当てれば、そこには常に炎が揺らめき、私に自然な事であると
ある日、私には何故このような力があるのかを考えた。もちろん答えの出るものではなかったけど、人間が蛇になったことは、この件についての明確な因果関係の一つと言える。
私は生前そんな力はなかったはずだ。私は死んだのか、そして生き返ったのか。それならばどうして生き返ったのか。何故蛇なのか。何故このような力があるのか。そこには超常的な、あるいは超越的な存在が一枚噛んでいるのではないか。その存在が私に何か明確な役目を遂行させるために与えられたものなのではないか。では、その役目とはなんだ。
いや、私が誰かに縛られるなどあってはならないことだ。きっと私は生前も好き勝手に生きてきたはずだ。断固として役目など担ってやるものか。そもそも役目など知らないのだから、そういった存在の介入があったかどうかを議論するのは不毛だ。私は人間の頃も覚えていなければ、ある日突然蛇になっていただけの女なのだから……そうした自問自答は一日の終わりによく起こった。
ナイーブになるのは人間も蛇も同じ時なのだ。そうした夜は、暫くの間ノンビリと夜空を眺め、在りもしない
晩御飯を食べ終わると、テーブルや椅子、食器たちは炎に還ってゆく。浮かんでいた灯りが消え、私は洞窟の中に戻った。一番奥の部屋で大の字になって眠りについた。
私は何だか無性に死にたくなった。
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