漁夫の利

 私は一本の木に巻き付き、腹の底から力を入れた。木は抵抗なくその幹を割った。そのまま真っ二つに折ってしまったのである。引き続き今度は牙を別の木に突き立ててみた。無色透明な液体が穴を濡らすと、何故かそこからしはじめた。毒を持っているのではないかという検証ではあったものの、真っ白な炎が木を消滅させる様子を眺めながら、暫く呆然とした。


 一体私は何をしたのだろうか。


 そこにあった木は灰も残ることはなく、元々そこには何もなかったかのように存在を消している。


 私の牙から何かが分泌ぶんぴつされたのは間違いない。ただ、それが火元になるのは理解不能だった。


 可燃性の毒であるにしろ、着火された原因が分からない。不思議な色の炎だった。ハッキリとそこにある筈なのに、どこか曖昧に揺れている。温度によって色が変わるのは理解しているけど、それはそういう色の変化ではなく、燃やした物質によって変わる炎色反応といった感じだった。


 その白い炎は一本の木を燃やすと鎮火したけど、もう一度同じことを森でやる勇気が湧かなかった。


 不思議なことはあったけど、総じて私は戦闘能力に秀でていると言ってもいいのではないかと結論付けた。


 大きい割に身のこなしも速く、空も飛べる。牙も鋭く、巻き付いたときの馬力は大したものだ。上手く立ち回れば、問題なく狩りが出来そうに思えた。あとはそれをする勇気と胆力が必要だった。生憎と、私にはそれが元来備わっている。そもそも後手に回っているのも私らしくない。意気揚々と歩を、文字通り蛇足を進めた。


 私の軽快な足取りは、新たな生物を発見するのにそう時間はかからなかった。


 毛が異常に逆立っている狼の群れだった。


 まるで帯電しているようだ。


 その毛は銀色毛並みの鷹を少し濁らせたような灰色だ。金色の眼光は得物を隈なく探している。


 群れとは言ったものの、その数は五体のようだ。まるで哨戒している小隊のような動きをしていた。


 木にぶら下がっている私には直ぐに気が付いた。元々あまり隠れられる大きさでもない。そこが高い木の枝だったため、奴らは向かってこれないようだった。私は滑稽に跳躍を続ける狼たちを眺めながら、どうするべきか思案した。


 初陣は扱いやすそうな奴と、一体一で戦いたい。しかし、今度のお客様は五体もいる。流石に見送るべきか、そう踵を返そうとした時、繁みの中から鋭利な足を持つ蜘蛛が飛び出してきたのだ。


 昨日と今日で分かったことが一つある。動物よりも虫の方が遥かに気配を察知しにくかった。五感に囚われにくいのだと思う。毛が異常に逆立っている狼たちも気付けていなかった。


 鋭利な足を持つ蜘蛛の、その鋭利な足が一体の狼を刺し貫いた。鮮血が舞うと、それを掻き分けるように他の狼たちが飛び掛かった。内の一体は噴出された糸の勢いでひっくり返った。


 粘着性のあるそれは行動を阻害している。


 また他の狼は難なく蜘蛛の元へとたどりつき、その鋭利な牙を剝き出しにした。蜘蛛の身体にその牙が差し込まれると、一瞬光がきらめき、蜘蛛が大きな痙攣を起こした。


 傍観者であった私は、そこに電流が流れたことを確認した。帯電しているような、ではなく帯電しているのだ。ただ蜘蛛が狼に攻撃した時は、それほど痙攣を起こしていなかったから、身にまとう電力はそれほどでもないのかもしれない。ただ、明らかに牙は危険だ。


 そもそも多勢に無勢だった。


 不意を突いたとはいえ厳しい戦いに挑んだ蜘蛛には敬意を表さなければならないだろう。私は審判の如く勝敗を決していたけど、まだ蜘蛛は息絶えてはなかった。一瞬の硬直のあと、再び糸を吐き出して狼を捉える。


 牙を突き立てた個体には、足を振り回して距離を取らせた。ただそれは仕切り直しの行動ではなく、蜘蛛はすぐさま距離を取った個体を追いかけ、その鋭利な足を振り下ろしたのだ。


 蜘蛛の方が狼よりも速い。いや、瞬間的にはそうという感じだ。狼たちは急な方向転換を苦手としているようだ。今の蜘蛛のように二段に分けて攻撃をすると、狼には当たる。


 私は息を呑んで見守った。未だ多勢に無勢、二体を戦闘不能にしたものの、糸にてこずっている二体と無傷の一体が残っている。ただ木々の乱立するここでは、小回りの利く蜘蛛の方が一対一では分がありそうだ。


 それを理解しているのかは分からないものの、蜘蛛は糸が絡まっている一体に飛び掛かった。身体が自由の狼もまた、蜘蛛に飛び掛かる。だが蜘蛛は糸が絡まっている個体を優先した。


 再び牙と電流を浴びるのを条件に一体始末したのだ。


 案の定身体は激しく震え、グッタリとしている。恐怖や痛みはないのだろうか。私はやや呆れつつも、やはり勇敢な戦いぶりに敬意をあらわした。こんな卑怯者の賞賛などは要らないだろうけど、それは私なりの手向けである。間違いなくこの瞬間だ、と判断した私は木から零れ落ちる。


 スッカリ忘れていたのだろう。


 いや疲れていたのかもしれない。


 蜘蛛に噛み付いた個体の背中に、今度は私が牙を突き立てた。やはりあの白い炎が湧き出てくる。光そのもののような色合いだ。狼は苦しそうに声をあげた。それを尻目に蜘蛛の身体に巻き付くと、その締め付ける力で関節からバラバラに弾けた。硬そうな外殻ではあったけど、関節部分が貧弱だった。


 残るは動けば動くほど雁字搦めになっている哀れな狼の、糸がまだ絡まっていない部分に牙を突き立てた。辺りに静けさが広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る