8月28日10時06分:実行犯②

手許のスマートフォンに目を落とすと、時刻は10時6分。あと1分で彼を乗せた電車が」やってくる。

ふーっと息を吐きながら、八木はベンチにずっしりと腰を沈める。

何となくでここまで生きてきた。父親は顔も名前も知らないし、母親は私に関心がないらしかった。最低限死なない程度には世話をしてもらえたが、そこに愛情を感じたことはなかった。事故で母親を失った直後に、ふとしたきっかけで吉永と出会った。吉永は住むところと食べるものをくれたので、何となくついていった。何となく組織の一員になり、何となくこの計画に参加した。何となく言われるがまま流されてきた結果、本日をもちまして人生の幕を閉じる運びとなりました。自分の人生なのにどこか他人事なのは、自分の意志で行動しないまま何年も過ごしてきてしまったからだろうか。

自分にすら興味がないので、自分の外部のものにはなおさら関心がわかない。塩野夏樹と接触してから、自分がいかに外界からの刺激に無反応であるかを痛感させられた。

冬が終わるとなぜか目がかゆくなる理由も、蚊に刺されたらムヒを塗ることも、千葉にある「東京」の名を冠したテーマパークの名前も、全部彼と出会ってから知った。

今の八木の髪型(ウルフ?というらしい)は、事前に組織が調べ上げた塩野の好みに合わせたものになっており、具体的には塩野が好きなアイドルの姿に寄せている。アルファベット3文字と数字を組み合わせたそのアイドルの名前も、八木は知らなかった。

「え~!コウハクにも毎年のように出てたじゃないですか!ここ数年はアレですけど……」と言われても、コウハクが何を指すのかが分からない。

彼はそんな私を面白がりながらも、決して馬鹿にすることなく、いろんなことを教えてくれた。

場違いに晴れ渡る空を眺めながら、八木はもう一度ため息をつく。

しかし、八木の着地点のない思考は、一通のメッセージによって突如打ち切られた。オズワルド、塩野夏樹からだ。

『ごめん 電車に変なおっさんいて遅れそう笑』

変な、おっさん??

何なのだそれは。文脈を掴みかねるな。

『どういうこと?変なおっさんがどうしたの?てか今どこ?』

『今土佐昭和駅!変なおっさんと変な若者が駅でごねててなかなか発車しない笑』

──???

変な若者もいるのか?というかなんだよ変な若者って。語呂が悪すぎる!

いや、問題はそこではなく。

『ますます意味わかんない笑 どのくらい遅れそうかわかる?』

『どうだろ 今運転手さんが電車から二人を下ろそうとしてて、それが終わったらまた出発するんじゃないかな』

『また遅刻しそうだからって嘘ついてない?』

『そんなことしませんから!証拠動画もあるし』

『その動画送ってよ』

『超大作だからデータ重くて送れないよ~』『会ったときに見せてあげます』

八木は思わず安堵のため息をつく。どうやら車内で何らかのトラブルがあったらしいが、客がちょっとごねてる程度のことならすぐに片付くだろう。動画で確実に現状を把握しておきたかったところではあるが、まあ数分の遅れであれば計画に支障はない。

こんな場合に備えて、「調合」はテロ決行の直前ギリギリに完了するように調整されている。〈新薬〉が失効する10時40分までまだ30分以上もある。土佐昭和駅からここまでの移動時間を考えても、10時30分までに電車が動き出せば問題ない。とりあえず上に報告だけはしておくか。支部長宛てにメッセージを開く。

『乗客対応のため電車が土佐昭和駅で一時停止しているそうです。おそらく数分の遅延があるかと」

オズワルドとの会話のスクリーンショットも添付しておこうか。

…なんかいやだな、彼との会話を他の奴らに見られるの。やめとこ。

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