8月28日9時51分:逃亡者⑤

オズワルドって誰だよ!

車内をざっと見まわして、乗客の数は20人ほどだろうか。この中にオズワルド、これからテロ行為の濡れ衣を組織に着せられる予定の哀れな人間が確かにいるはずである。

が、どいつだ!

新薬の開発担当であった川瀬は、オズワルドについての一切の情報を持っていなかった。知っているのは組織の中でも数人だ。

クソ!この列車と駅で丁度かち合った時には変な因果めいたものを感じて、オズワルドも一目見れば何となく通じ合うものがあるんじゃないかと思ったが、冷静に考えてそんなわけがなかった!

乗客一人ひとりの顔を嘗め回すように順に見ていったが、特に怪しげな人間は乗っていなかった。そりゃそうだ、オズワルドは計画に巻き込まれるだけのただの一般人なのだから。怪しげな風貌のはずがない。

まずい。まずい。まずい。勢いで乗り込んでしまったが、これからどうすればいい?

半ば彷徨うようにして、目に入った空席にどっかりと座り込む。

落ち着け、リミットはあと二駅。それまでに何とかせねば。とにかくオズワルドが土佐大正駅に着きさえしなければ、奴らの計画は頓挫する。テロ行為の罪を擦り付ける相手がいない状況ではさすがに「計画」は実行されまい。

手元の時計を確認。9時51分。「調合」の終了予定時刻は9時40分だったか。「調合」完了から1時間が経てば〈新薬〉が失効することは知っている。なんたって昨日までは俺もそれの開発にかかわってたんだもんな!つまりあと50分、あと50分の間にオズワルドを土佐大正駅に近づけなければ俺の勝利、それまでに到着を許してしまえば俺の負けだ。

いっそ大声をあげてオズワルドを探すのは?オズワルドさーん!危険だから降りてください!

いやダメだ、陰謀論者の変な奴だと思われて信じてもらえないだろうし、そもそもオズワルドにどうやって自分がオズワルドであると気付かせればいい?

じゃあいっそ「爆弾を設置した!」って車内で叫べば!電話と違ってさすがに無視できないだろうし、爆弾の捜索でかなり時間を稼げそう!

……でも、そこまでの大ごとになってしまうと、俺は威力業務妨害で捕まるのでは?全国ニュースに実名付きでさらされるやもしれない。そうなれば、仮に組織の計画を妨害して復讐を果たしたとしても、そのあとにまともな職にありつけるとは思えない!それはダメだ!復讐は過去を清算して未来に進むために果たされるべきものなんだ!その後の人生を台無しにしては復讐の意味がない!これ以上組織に俺の人生の邪魔はさせない。でもそれじゃあどうすれば……!

緑色のカバーがかけられた、見るからに古びた座席の上で激しく貧乏ゆすりをしながら、川瀬は脳みそをフル回転させる。なんかいい方法はないか!さっきまでたっぷりと睡眠をとっていたからきっと頭は冴えているはずなのだ。なんか思いつけ!俺の頭!

途方に暮れた川瀬が車内を見回すと、一瞬、高校生くらいの少年と目が合った。喜色満面とはこの顔のことを言うんじゃなかろうか。ワックスを若干つけすぎているのか、髪の毛が少し濡れたように光っている。気合を入れてセットしたと見える。これからデートにでも行くのだろうか。一応平静を装ってはいるものの、この世の希望をすべて詰め合わせたみたいな表情を隠しきれていない。

目が合ったことに気付いた少年が慌てて目をそらしたその瞬間、川瀬の全身を一気に血液が巡り、全身の毛穴が開くような感覚に襲われた。

なぜだ?一体俺とあのガキとの間では何が違ったんだ。どうして俺だけがこんな目に合わなければならない?どうして必死に生きてきた俺がこんなに不幸で、テキトーに生きてるだけのあんなガキがあんなにも幸せそうなんだ?あいつ、俺を見て目をそらしやがった!クソ!俺だって好きでこんな惨めな姿になってるわけじゃ、ぼさぼさの髪で、汗が染みたヨレヨレのシャツを着ているんじゃないんだ!あのガキがこの先で例の「計画」に巻き込まれて死ぬとしても、俺の溜飲は下がらない。そうなればあいつはきっと「凄惨な事件に巻き込まれた可哀想な被害者」として祀り上げられるだろう。あのガキは大した苦労も知らぬまま幸せに生涯を全うして、その死後でさえも多くの人に花を手向けられ、惜しまれて天国とやらに上っていくのだろう。

許せない!苦労を知らぬまま勝ち逃げされてたまるか。不平等だ。不平等は是正されなければならない。お前は生きて苦しめ!

嫉妬、怒り、憎悪、川瀬の腹から湧き出たそれらの感情は、瞬く間に体内を駆け巡った。

やってやるよ。こうなったらなんだってやってやるよ!

要するに、大ごとにならないギリギリのラインを攻めつつ、列車の運行を30分間妨げればいいわけだ。

どうせ惨めなら、とことん惨めになってやる!

この方法ならば……!オズワルドの土佐大正駅への到着を妨害しつつ、警察沙汰にもならずに済むはずだ。50分も稼げるかどうかに関しては微妙なところがあるが、少なくとも勝算はある。

窓の外に目をやれば、ひたすら緑色の景色が流れていく。緑色の濃淡が素早く移り変わっていくことで、ようやく自分が乗っている電車の速さを実感できる。この電車と土佐大正駅との距離は着々と縮まっているらしい。

……やるしかない。


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