第31話 記念にシちゃおっか

 一番の理由を聞こうとしたが、タイミング悪く電話がった。俺ではなく、倉片さんのスマホだ。

 その場で電話を取る倉片さんは、慌てた様子で対応していた。……なんだろう?


 しばらく待つと通話が終わった。そわそわと落ち着きのない様子で俺に視線を送る倉片さん。明らかに困った様子だった。



「どうした?」

「職場から連絡が入って出勤できるかって言われちゃって……」



 見学店か。

 そういえば、まだ辞めていなかったな。

 報酬ギャラが入るまではお金を稼がなきゃだからと、継続していたようだ。

 お店としては人気No.1には欠勤けっきんなしのフルタイムで働いて欲しいだろうな。辞めてほしくないだろうね。

 しかし、そろそろ潮時しおどきだ。



「断ったの?」



 ふるふると首を横に振る倉片さん。断れなかったか。


「どのみち辞めるって直接伝えなきゃだから」

「それもそうだな。俺もついていこうか」


 そう提案ていあんするものの、一人で行ってきちんと退職の意向を伝えるようだ。ならば俺は結果を待つのみだな。

 普通なら辞めさせてくれるはずだ。というか、辞めさせてくれないなら労働基準監督署へ駆け込むしかない。

 だが、風俗店だと難しいか?

 俺はその昔バイトで経験があるので利用したことがあるが。


「今から行ってくるね。大丈夫、きちんと辞めて戻ってくるから」

「分かった。困ったことがあれば直ぐに電話してくれ。24時間対応する」


 倉片さんの相談なら、早朝だろうが深夜だろうが直ぐに乗る。ツングースカ大爆発のような隕石が降ってこようとも、宝永大噴火ほうえいだいふんかが起きようとも、必ずそばに駆けつけてみせるさ。


 駅まで送り、俺は途中で別れた。

 心配だが信じるしかない。




 職場へ戻るや、伊勢崎さんが部屋から飛び出してきた。



「キョウくん、おかえり……!」

「ど、どうしたんですか、半泣きで」



 箪笥タンスの角に小指をぶつけたような表情だ。いったい、いきなりなんだ?



「おだっちが音信不通になっちゃって! 行方不明なの……」

「え……?」



 突然の、突然すぎる報告に俺は理解が追い付かなかった。織田と連絡がつかない? どういうことだ。なにか事件に巻き込まれたのか。


 詳しく聞くと、昨日から連絡がつかなかったようだ。一日くらいなら、そういう日もあるだろうと伊勢崎さんは特に不審ふしんに思わなかったらしい。

 だが、なかなか出勤してこないので伊勢崎さんは本人に電話を掛けた。しかし『電話番号が使われておりません』などと機械音声が返ってきて呆然ぼうぜんとなったようだ。


 俺も電話してみたが、本当に繋がらなかった。



「でしょ!? おだっち、急にどうしちゃったのかな……心配だよ」

「う~ん。アイツが急にいなくなるなんてありえないっすよ。大学には来てなかったですけど、一昨日まで職場には顔出していました」


 少なくともその時は顔だけ見た。会話はなかったけど。



「どうしよう~…」

「警察に通報してさがしてもらいましょ」

「そ、そうだね。うん、そうするよ」


 落ち着いたのか冷静な思考で伊勢崎さんは、スマホを取り出した。まあ、警察も人探しくらいはしてくれるからな。

 そっちの対応は任せ、俺は倉片さんの帰りを待った。


 一時間、二時間と時間が経過していくが、一向に帰ってくる気配はない。

 時間が掛かっているのか。

 それとも、役職者から呼び止められて交渉中こうしょうちゅうか。だけど、倉片さんは“辞める”と決意をあらわにしていた。


 だからきっと見学店を卒業してきてくれるはず。

 そうでなくとも俺がなんとかするけどな。



 深夜になってようやく倉片さんは帰ってきた。疲れた表情で。



「た、ただいま…………」

「おかえり。大丈夫かい?」


「なんとかね」

「仕事は辞められた?」



 疲労をにじませながらも、サムズアップする倉片さん。どうやら、無事に退職できたようだな。



「三時間も話し合って説得できたよ。残ってくれってしつこくて」


 やはり止められていたんだな。

 だけどかなりねばって最終的には店の方が折れたようだ。よくやった……!



「おめでとう、でいいのかな」

「ありがとう、キョウくん」



 フラフラした足取りで俺に抱きついてくる倉片さん。俺はその小さくて細い体を受け止めた。ぎゅっと抱きしめ、喜びを分かち合う。


 これは偉大なる一歩だぞ……!



「なにか飲む?」

「うん、ブラックコーヒーを願い。……それと辞められた記念にシちゃおっか」


「え」



 まさか倉片さん自ら俺をさそってくれるとは――!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る