姫と従者

三月二十日 徒桜〈非〉

※本編未収録話


◇◇◇


 戦後、普段鷹山武士団が拠点とする烏丸屋敷より西方の拠点からの帰還中のこと。彼らは、緩やかに馬を止める。


「この辺で一旦休憩取ろか。馬も休ませなあかんし」


 永信えいしんは馬に水分補給させながら、自身もまた近くの木の根元にもたれかかる。それを見ながら寧姫ねいひめが口を開いた。


「日が暮れるまでに着くでしょうか」


「ちょっと最後の方は走ってもらわなあかんかもなあ」


 永信が馬を撫でながら言う。永信は心なしか機嫌が良さそうだった。


「機嫌がいいな、永信」


 暁孝ときたかがそれを指摘する。


「あ、ほんまに? 顔に出てるん恥ずかしいわ」


「千代ちゃんに会えたからですか?」


「まあ……そう。それにしばらくはあっちの拠点とも行き来できる、ちゃう、せなあかんから、千代姫ちよひめに頻繁に会えるかなみたいな……いや言わせんな?」


 少し恥ずかしげに言う永信に寧姫がクスクス笑う。


 暁孝ときたかがぼんやりそれを眺めていると、木々の向こう側で何かがきらりと光った。


 飛び上がるように駆け出し、寧姫に覆い被さる。同時に小規模の防御結界を張った。矢が結界に当たって一気に速度を失い、ポトリと落ちる。


「永信、武器を出せ! 奇襲だ!」


 言った頃にはすでに永信は刀を抜いている。そのまま走り出し、術を使って目にも止まらぬ速さで敵に応戦した。


 永信の身体能力は一級品である。霊力操作で基礎体力を底上げしているうえ、固有の念動術でさらなる強化をしており、常人の出せるそれではない。


 一方、暁孝は目で人数を数えた。……三人、いや四人はいる。うちの一人がまっすぐ彼の方に向かってきた。


 刀が混じり合う。刀に霊力が込められている。相手は顔を布で覆っており、見えない。しかし、暁孝は彼らの身につけるものを見て表情を変えた。


 寧姫のほうにも敵が回ってきた。寧姫が薙刀を構えるも、接敵する前に暁孝が唱術し寧姫の側に結界を張る。敵と空間を隔てられ、彼女が戸惑ったように暁孝を見た。


 暁孝は寧姫に対人戦をできるだけ避けさせようとする傾向があった。思わず結界を張ったのもその例に漏れない。


 しかし、相手もかなりの手練だ。術式を書き換えようとしている。


 暁孝は先に正面の敵の脇腹を裂き、相手が片膝を付いたところを見て、寧姫の前にいる敵に向かう。相手も気付き、応戦しようとするが遅い。わずかに早く、暁孝の刀が振り下ろされる……。


 が、ズ、と『椿』模様の結界が展開され、わずかに軌道を逸らされた。それた軌道はそのまま、相手の面布の紐を切る。その顔があらわになる。


 それは、どうしようもなく見覚えのある顔。


「……明孝あきたか……ッ」


 思わず名前を呼んだ。


「悪いね、暁孝ときたか君」


 彼はそう呟くと、周りの仲間たちに退くよ、と声を掛け、椿の紋の羽織を翻して素早く撤退する。追う暇もなかった。





「あれは一ノ瀬氏の術者や」


 日が暮れかかって屋敷になんとか辿り着き、少し落ち着いた頃に永信が言う。


「武士で椿を家紋にしてる家なんか、一ノ瀬氏くらいしかない」


 そしてギリ、と歯ぎしりをした。


「……何か恨みがあるのですか、一ノ瀬氏に」


「……俺の妹は、一ノ瀬氏に殺された」


 永信の顔が悲しみとも怒りともつかぬ顔で歪むのを暁孝は目を逸らさないように真っ直ぐ見る。


「まあ一ノ瀬氏というか、他にもおったけどな。津田氏とか、さ……何が目的か知らんが、次に会ったらそのときは……」


 津田家、一ノ瀬家。その名前を聞いて連想するのはただひとつ。


 妖の王、天魔てんま


 二つの家は、かの王に仕える者たちとしてあまりに有名であった。


 拳を握りしめる永信を、ふたりはただ見ていることしかできなかった。




 その日の夜。月明かりに照らされる桜の木の下で長い黒髪の女性……否、寧姫は散りゆく花弁を見ていた。


「眠れないのですか、祢寧姫ねねひめ


 まるで他の者に見られていないか気にするような素振りをしたのち、屋敷の方から降りて桜の木の方へ向かってきた青年が囁くように尋ねた。


「……暁孝ときたか


「まだ夜は寒いですから、早くお休みになったほうが良い」


 それに祢寧姫と呼ばれた彼女は眉を寄せて不満げに答える。


「私の好きにさせてください。それにあなたはもう私の従者ではないのだから、そうかしこまる必要もないでしょう」


 暁孝は祢寧姫の隣に並ぶ。それを彼女は何も言わずに見ていた。


「俺はあなた以外のために刀を振るいたいと思ったことはありません。そして、それは従者だからというわけでもない。それこそ、俺の好きなようにさせてください」


 それを聞いて彼女は目を伏せた。長いまつ毛が少し湿る。


「……悔しいのです。私のせいで永信えいしんの妹君は亡くなった。それを知られてしまったら、ここにいられなくなる。……この期に及んでまだ自分のことしか考えられない自分に嫌気がさしました」


 暁孝が祢寧姫の肩に触れようとして動かした手をどこにも触れることなくゆっくりと下ろした。彼にはすすり泣く姫が泣き止むまでの間近くに立っていることしかできなかった。


 盛りもこえ、あとは散るばかりの桜がふたりを見守っている。


 徒桜あだざくら

 それは、散り行く花。はかないもののたとえ。姫と従者の物語。

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