五月四日 豪雨
激しい雨音が聞こえる。
「兄上、御覚悟ッ!」
そう叫び、
椿の家紋。それは都に巣食う妖の王、
……暁孝の弟、明孝は一ノ瀬家のよこした刺客だった。
雨粒に濡れた赤椿がじっとりと確かな重みを伴い、明孝の肩にのしかかっていた。
「兄上、
「いいや、死んでも渡さない」
明孝は舌打ちをした。指を二本立てて結印し、解術を試みている。結界が小さく音を立てた。くっ、と暁孝の口から声が漏れる。
そこに大太刀を振るう
「貴様……ッ」
「トキ! お前は一旦、
暁孝は頷き、すまないと一言謝りながら戦う
「
暁孝は彼女の返事も聞かず半ば無理矢理その手を掴んだ。突然のことに寧姫は目を見開いた。呟くように唱術しながら、もう片方の手で彼は印を結ぶ。
途端、周囲の景色がずれて、砂嵐の中にいるかのような感覚に襲われたあと、一瞬にして風景が変わる。暁孝が寧姫に覆い被さるようにして地面に転げ出た。
「一体何が……」
身を起こした寧姫は暁孝の姿を見てさらに驚いた。全身から雨粒、そして血を滴らせる暁孝は歯を食いしばりながら立ち上がる。
「暁孝……? 一体なぜこんな……」
「……新術の……転移です。やっぱり、うまくいかなかった」
咳き込み、口元を押さえた暁孝の手のひらには赤い鮮血が滲んでいる。彼女のことは身を挺して守ったが、転移時の空間の歪みは暁孝の肉体を傷付けていた。
「なぜ……?」
寧姫はわなわなと唇を震わせた。
「私は……まだ戦えました、なぜ……? なぜ、私を逃すような真似を……!」
「祢寧姫」
「祢寧姫だなんて呼ばないでください! あなたにとって、私は守るべき対象でしかありませんか……? そんなにも、私は弱いですか……?」
彼女の頬を雫が伝う。
「違う、あなたは強い! でも、分かってください……あなたの身が天魔に渡れば、この土地が……アカツキの国が終わるんです」
「私だけが生き残って何が残ると言うんです!」
悲痛な叫びだ。涙か、それとも雨粒か。雫が溢れていく。
「永信や
雨の音がより一層強くなる。それに伴ってふたりのかけあいは激しさを増した。
「祢寧姫!」
「あなたは、一体何なのですか。私のような女に縛り付けられて。一生、従者としての使命を負って、それでいいんですか!」
「俺は!」
「そもそも、私が大人しく天魔のもとにいれば、永信の妹君が死ぬことはなかったし、あなたも自由に生きられたのに! 私のせいで、みんなの……あなたはあなたの大切なものがあるでしょう?!」
「馬鹿なこと言わないでください!」
キッと強い視線で射抜かれ、寧姫は息を呑んだ。彼女の従者として彼は、今まで寧姫に反論をしたことはなかった。
「俺が、家から与えられた使命のためにあなたを守っているとでも? そんなことならあなたを連れて都から逃げ出したりなどしません! 俺は、あなたに死んでほしくないんだ、あなたが大切だから!」
今までにないほど、彼は寧姫の肩を強く掴んだ。寧姫が言葉を失う。
「あなたよりも大切な人なんていないんだ……俺の信念を、気持ちを……ッ、家の使命なんて言葉で片付けないでいただきたい!」
五月雨。
長い雨は止むことなくふたりに降り注いでいた。
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