三月七日 武士

 暁孝ときたかと二手に分かれたのち、私、ねいは馬を走らせ、先に戦闘を始めている仲間たちの元へ行く。


「本当だわ、瘴気が濃い」


 今からおよそ二百年ほど前、とある男が妖へと転じて以来、この国は大きくその姿を変えたという。その男は都を占領し、数々の妖を従えて現世と常世を繋げ、常世から漏れ出た瘴気によって現世を満たした。


 先では既に戦闘の音が聞こえるが、少し前線より後ろのほうでうずくまっている仲間がいる。


「こんなところでどうしたのです……」


 言っている途中で気付いた。右腕から首にかけて、瘴気に侵されている。


「妖に触れてしまったのですか?」


 苦しそうに頷く彼は、つい三ヶ月ほど前に戦闘部隊に加わった少年だった。私が屋敷で世話をしていた子供の一人だ。


 妖の纏う瘴気に人は触れてはいけない。触れた部分を放っておけばその部分が死んでしまうからだ。そしてやがて死に至る……。生き残る手段は今のところ二つしかない。


 ひとつはその部分を切り落とすこと。じわじわと瘴気は広がっていくため、その毒が全身に回る前に取り除いてしまうのだ。それでなんとか生き残った仲間もたくさんいると聞く。


 そしてもうひとつ。私は懐から一枚の札を取り出して、黒ずんだ部分に当てた。そして心ノ臓から腕、指先と順を追って力を込める。徐々に札に書かれた文字が揺らぎ始めた。


「よかった。まだ間に合った」


 結界術に長ける暁孝の書いた札は、初期であれば瘴気と身体を無理矢理引き剥がすことができる。しばらくはその腕は使い物にならないが、腕がなくなるよりはずっといい。


「いいですか? 左手で札を押さえながらあちらの拠点まで移動して、馬を出してもらって。屋敷まで戻ったら、志堂に見てもらいなさい」


 こくこくと頷いた彼が自分の足で歩き始めるのを確認して、私もまた馬を走らせる。眼前には実体を持たない薄もやが蔓延っていた。


 低級の妖は実体を留められず、瘴気のもやとして存在することしかできない。しかし、むしろこれが厄介であった。空気を捕まえることが出来ないのと同じで、実体のない低級妖を刀で切ることはかなわない。むしろ、彼のように瘴気に蝕まれてしまう可能性のほうが高い。


 馬から降りると、薙刀をまっすぐ妖に向けた。そして、札を使うのと同じ要領で霊力を刃に這わせる。瘴気を霧散させるには、同じだけの霊力をぶつける。


 女に似合わぬ力技だと言われることもあるが、これが私にとっては一番早いのだった。





 木々の隙間から、平原のほうでかなりの数の瘴気が霧散したのが見えた。


「また、派手に……」


 俺、暁孝ときたかはぽつりと呟く。

 いつも通り、寧姫ねいひめは薙刀に霊力を込めて無双しているらしい。薙刀のような長い物でそれをするとは、相変わらず並外れた霊力量だ。普通なら打刀の中ごろまで込められれば上出来だし、人より霊力量の多い俺でも太刀の大きさで限界だ。


 さて、馬を走らせ登る山道には妖はほとんどいない。その代わり、いるのは人間ばかりだ。寧姫をこちら側に来させなくてよかった。あの人に人を斬らせるわけにはいかない。


 南方の城の城主が税を納めない俺たちに手を焼いているのは分かっていたが、まさか妖と契ってまで攻めてくるとは。最早二百年前のような政治体制は失われているというのに、かつて権力を持っていた者たちはそれに固執するからいけない。


 ピィーッ、と上空で鳥が鳴いた。悠々と飛ぶ、あれは志堂しどうの鷹か。あちらでも動きがあったらしい。なら、俺は一刻も早く妖の頭を叩かなくては。

 山頂付近で、突如馬が止まる。


「どうした」


 どうどう、と宥めても進む気配はない。馬を降り、少し歩くとすぐに気がついた。


「結界か」


 野生の勘というやつか。俺が屋敷を中心とした周辺地域に張っている結界とは違って、触れたものに攻撃を加える……この感じは燃やす術式と、中を隠す術式だろうか……。


 読みが外れた。これだけの低級妖の瘴気を底上げしていて、そして人間とも契約している頭だから上級かと思ったが、よくて中級だ。術式が粗すぎる。


 術式を書き換える。瞬間、結界だったものはただの瘴気のもやとなって消えた。中から現れたのは、牛の姿を持つ巨体……。それを守るニ人の人間。


 敵を確認して、すっと刀を抜く。


 牛鬼は侵入したのがひとりの人間だと分かると、周りに倒すように命じた。おおよそ俺など取るに足らないと思ったのだろう。俺ひとりに結界を破られたというのに、相手をみくびる。そういうところが中級に甘んじる要因なのだ……。


 相手の人間は古い装備だ。確かに兜に、胴当てに、小手、脛当てととても刀では傷つけられない装備だが、遅い。このような装備だったら、相手には悪いが取れる手段はひとつ。


 刀を構え、近づいてくる相手の迷いなく指を切り付ける。武器を持てないようにし、組み伏せるしかない。甲冑の隙間からとどめをさす。


 ゆら、と立ち上がった俺を見てもうひとりは腰が抜けてしまったらしい。地を這いながら、この場から逃げようとする。しかし。


「やはり、人間は役に立たぬ」


 地響きのような声を出しながら、牛鬼がその大きな手で掴み、彼を持ち上げる。


「いや、腹の足しくらいにはなるかの」


 武者をその鎧ごと、口に運ぶ。命乞いの声が途絶える。バリバリ音を立てながら、じろ、とこちらを見る牛鬼。


「お主が音に聞く“鷹の矛”かの」


 そして俺の太刀を見て、うすら笑みを浮かべた。


「しかし己の前では塵に同じよ」


 繰り出される右拳をすんでのところでかわす。妖はこういうところがあるから厄介だ。俺たちが重い装備をしていたらこんなときにすぐにやられてしまうだろう。


 そのまま左拳が飛んでくる。少し体勢を崩した牛鬼の左腕を駆け上がり、首を狙う。が。


「甘いの」


 その大きな角で振り払われる。がん、と木にぶつかった。血の味がする。


「まだ生きておるか。お主、人間にしては丈夫だの、だがもう終わりじゃ」


 拳が飛んでくる。

 ひどい土煙が上がり、牛鬼は満足げに鼻を鳴らして、再びもとの位置に腰掛けた。


「人間風情が単身己のもとに来るとは、最早自決行、為……」


 その首を刎ねた。なぜ、とも聞こえる地響きがその場にこぼれ落ちる。


「俺は“矛”じゃない」


 それだけ返して、刀を鞘に戻した。





 鷹の眼を通してトキの戦いの一部始終を見ていた私、志堂しどうは伏せていた目を開く。視界に昼下がりの部屋が映った。


「トキが頭を倒したぞ」


「……あの牛鬼を?」


「そうだ」


 永信えいしんは信じられない、という表情でこちらを見る。

 トキは結界術の使い手だ。土煙で見えなかったが、おおよそ拳が飛んできたときに術を使ったのだろう。流石は“鷹の盾”だ。


「これで妖たちは消滅したっちゅうことか」


 永信の言うとおり、寧たちの相手している妖たちは操っていた頭を失い、ひとつ、またひとつと消えていっているようだ。

 じ、と永信の目を見つめて言う。


「さて、お前も自分の仕事をしなくていいのか?」


「……はあ? 今お前とふたりで陣営を考えてるのに、何を言いだすんや」


「いやいや、お前の仕事だよ。早くしろよ」


「いや、だから何を言ってるねん。ワテは……」


 わかりやすく彼は取り乱し始める。その様子に口角を吊り上げて、彼の耳元に口を近づける。


「どうして近頃は、自分のことをワテなんて言うんだ」


 勢いよく立ち上がる彼に続けて言う。


「いつからそんなに方言が下手になったんだ? そもそもなぜ相手の頭が牛鬼だと知っている?」


「それは……」


「トキと寧に対しても、年頃の男女が、とか言ったそうだな。どうしてそんな発想になるんだ? あのふたりは主従関係だろう?」


「え、いや、それは忘れてて」


 やれやれ、とため息をつく。そばに置いていた脇差を抜いた。


「もう割れてんだよ。猿真似野郎」


 ピクリと眉を動かして相手も大太刀を抜く。そして、どちらからともなく刃を交え始めた。


「いつから気づいていた」


「最初からだ。あまり舐めるな」


 真剣の音が響く。ここしばらくは実に不快だった。何かしらの術者なのだろう、声や顔は永信そのものだったが、纏う雰囲気、喋り方、考え方、何もかもが違う。永信を馬鹿にしているのか、と言いたくなるような下手くそぶりだった。


「騙していたのか」


「騙していた? こちらの台詞ではないか?」


 動きののろい彼に蹴りを入れる。体勢を崩した相手の方から腹までをざっくりと切った。


「その刀、永信の刀を真似たものだろうが、さぞ扱いにくいだろう」


 体勢を整えて再び向かってくる彼に言った。


「それを永信はよく心得ているから、仕込み武器を必ず持ち歩いていた」


 歯を食いしばる彼はやはりそれ以外の武器を持ち合わせていないらしい。大太刀はもともと重くて扱いにくい。室内ならば尚更だ。


 視界を共有する二羽の鷹のうち、もう一羽の目に敵陣のど真ん中で仁王立ちし、片腕を上げている本物の永信が映る。


 ……ほら、やはり大太刀で室内を駆け回るような阿呆ではない。その手に持っているのは小ぶりな刀だ。


「たった今、本物の永信がお前の主の首を取ったぞ」


「……な」


 動揺したところを組み伏せ、刀を奪い取り動けぬように足の筋を切る。


「お前、一体何者だ……」


「今更何を。……私は鷹山武士団団長、鷹山志堂たかやましどうだ」


 怯えるその瞳に、不敵に笑う私の顔が映った。





「いや、ほんまにやめてくれん?」


「何がだよ」


「何がだよちゃうんよなあ」


 俺、暁孝ときたかは見慣れたその光景に思わず頬を緩ませる。


 南の城の城主が攻めてきたあの日から大体十日ほど経ったか、ようやく戦後処理のケリがつき、皆で飯を食べた。

 敵地から帰ってきた永信が志堂に対して文句を言っている。


「いや、人を寄越して助けてくれたまではええよ。そのまま潜伏してくれとか雑なことある? 人使い粗ないか?」


 文句を言いつつも冗談めいた調子だ。永信の喋りは場が和むから好きだった。


 実のところ、あの戦いは起こることが分かっていた戦いだった。永信が攫われ、彼と似ても似付かぬ偽物が現れた時点で、ああこれはそのうちなにか仕掛けてくるな、と誰もが思ったのだ。


 あとは偽物に気づかれぬようこっそりと作戦を立て、永信を救出、そして武器や食料を調達し、万全の構えをしておくだけ。相手方がこちらを舐めていたので予想通りに事が進み、新たな拠点を手に入れるまでに至った。


「はは、何はともあれ無事で良かったよ」


「何はともあれちゃうわあ……」


 その永信が、今度は俺と寧姫ねいひめに話を振る。


「トキと寧、大活躍やったらしいやん」


「いや」


「いえ」


 俺と寧が同時に片手を少し上げ言うものだから、志堂と永信は笑う。


「あまり謙遜するな。トキと寧がいなければもっと戦いは深刻なものになっていただろう」


 彼らには褒められることも多いが、未だ素直に褒められるのに慣れず、少し居心地が悪くなってしまう。


 久しぶりに皆が揃ったその夜は蝋燭が短くなるまで語り明かした。


 これは、これから妖の王と戦い天下を取る武士団、その怒涛の二年間の物語だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る