まやかし戦国〜英雄らが夢の跡〜

千瀬ハナタ

前日譚

三月七日 夜明

 俺には、命を賭けたとしても守りたい人がいる。その人は主人であり、敬愛すべき人であり、そして……。


 その思いを毎朝目が覚めてすぐに確認する。それはもうここ何年もの日課になっていた。


 まだ日も上らぬ早朝、いつもと同じように目を覚ました。


 ざっくりと屋敷の中を見回る。中庭の桜の木はいつのまにか満開になっていた。月明かりのおかげで火がなくとも明るく、花びらの舞う様子がはっきりと見えた。


 行水をし、衣を替えて部屋に戻ると、同室のふたりはまだ眠っている。きっと夜はまだ明けない。俺だけの、静かな時間だ。掛けてある太刀を取り、中庭に出る。


 刀身が月を反射して、ぴかりと光った。刀を身体の前で構え、深く息を吐き、いつもの稽古を始める。


 そうするうちに、いつのまにか空は白み始め、鶏が声を上げる。丁度建物の隙間から差す光に、刀を差しむけた……。


暁孝ときたか


 凛と響く声にはっとして後ろを見た。戸を肩幅ほどに開けて、こちらを見つめている彼女は、まだ目覚めたばかりのようで、髪も乱れていたが、その目だけは強い光を帯びていた。その肩からぱら、と黒髪が一房落ちる。桜吹雪がよく似合っていた。


 しばらく惚けていたが笑顔を作る。


「おはようございます」


「……おはよう、ございます」


「今日は早いのですね」


「素振りが聞こえたので……」


 まだ目が覚めきっていないのか、少しふわふわしているように見える。話しながら刀を鞘に戻そうとした。


「待って……薙刀を持ってきます」


「ダメです」


 そのままちゃき、と刀をしまう。しかし、視界の端に少し不満げな顔が映った。この人の表情、仕草、そのひとつひとつに俺は弱かった。


「……木刀ならいいですよ」


 少しほころんだその顔が、戸の向こうに消える。彼女……寧姫ねいひめは俺たち武士団の団員の中では最も武芸に長けている。幼い頃から俺が使える主人だ。


 木刀を持って再び中庭に戻ってくると、彼女は既に赤い紐で髪を結んだいつもの格好で待っていた。


「最近は忙しくてあまり手合わせできていませんでしたからね。できるときにやっておかなければ。誰も私と手合わせしてくれないので」


「そりゃあ、姫が強いからですよ。無駄に自尊心が高い奴が多いんです」


 お互い構え、一息つくとどちらかともなく動き始める。


「術ありだったらみんなの方が強いですよ。私は何の術も使えないもの」


「術ありだったら尚更霊力量で押し負けますよ」


 木と木が混じり合う音が聞こえる。刀で薙刀を攻めるのは難しい。圧倒的に薙刀の攻撃範囲が広いし、懐に入ることさえ困難だ。しかし。


「術が使えたら……」


 僅かに表情が強張ったかと思えば、それに伴って寧姫の動きが固くなった。そこを薙刀の刃……今は木だが……を払い、刃先を俺からそらせる。薙刀は長い分、速く振り下ろすのは難しい。木刀を寧姫の肩にそっと当てる。


「力みましたね」


「……私の負けです」


 ぱち、ぱち、ぱち、と拍手が響く。


「朝からええもの見せてもろたわ」


「……永信えいしん


 振り向くと、既に起きて、衣も替えた同室の男が満足げに手を叩いている。

 よく見ると、他の部屋からもたくさんの仲間たちが中庭を見ていた。見られていたとは。


「ほな、トキ。今から大変寝起きの悪い団長サマを起こしに行くから手伝ってくれ」


 静かな夜明けが、明るい朝に変わる。しんとしていた屋敷が、ざわざわと人の声で満ちる。最近はこれが好きだ。

 草鞋を脱ぎ、すでに歩き始めている彼を追いかけた。


「相変わらず志堂しどうは寝起きが悪いんだな」


「そうや。ワテひとりで起こすのは骨が折れるさかい」


 真面目な永信は自由な志堂にいつも振り回されている。今日もそのようにしているらしい。


「暁孝、付き合ってくれてありがとうございます」


 その声に立ち止まって、少し遠くに立つ寧姫にお辞儀を返すと、永信が言う。


「お前ら、仲いいやんなあ」


「……普通だろ」


「いーや? 普通、年頃の男女なんかまともに話さんのと違いますのん」


 わざとらしすぎる方言の彼に、年頃の男女ね、と呟き返すと、さも当然、というように永信は片眉を上げる。それをどこか冷えた気持ちで見た。それを押し殺しながら、言葉を紡いだ。


「そりゃあ……家が違えば常識も違うよ、多分」


「そんなもんか。となると、ふたりの武術の才能を見抜いて引き入れたうちの団長って凄かったねん」


 凄かったねん、ってなんだよと思いつつ。


 永信はある部屋の戸の前に立ち、そのまま勢いよく開ける。そこには、大きな音が鳴っても何事もなかったかのように金の御髪の男が眠っている。


「……ただ、だらしないのが難点やさかい」





「もう少し早く起こしてくれてもよかったんだぞ」


「どの口が……!」


 食事の席で志堂が発した言葉に永信がぶるぶると震える。いつにもまして寝起きの悪かった志堂は、ゆすっても叩いても起きず、しまいにはこちらが蹴られる始末だった。今にもつかみかかりそうな永信を形だけなだめておく。


「お前、団長やねんからもうちょっと威厳をもってくれなあきまへんで」


「今更皆に取り繕っても仕方ないだろう?」


「いーや? 家臣は長に似るっていうさかい……そこはしゃんとしてもらわないけん。ワテの負担が増えるねん」


 ワテ、か。相変わらず、妙な喋り方をする彼は、細々と志堂に小言を言う。それに少々飽きてきて、縁側の方に目をやった。


 志堂を起こすのに手間取っていた間に、寧姫はもう朝餉を終えていて、今は屋敷で面倒をみている子供たちの着替えを手伝っていた。強く、優しい彼女は子供たちの憧れだ。


 と、チリ、と嫌な感覚が走った。未だ小言を言う永信を押し退けて、志堂に伝える。


「志堂。結界に誰かが入ってきた」


「そうか」


 空気が、変わる。最後のひと口を口に運んで、志堂はゆっくりと立ち上がった。さっきまでの自由人はおらず、そこには圧倒的威圧感を持つ長が立っている。その口から出る言葉を皆がじっと待つ。


「では、皆の者。出陣だ」





「なあ、トキ、ほんまに大丈夫やねんか? あいつ、ハッタリじゃないやんな」


 戦いの準備をする俺の後ろで永信が騒がしい。彼に苛立ち、冷たい目で見る。


「うるさいな」


「……はあ?」


 太刀紐を刀に通し、結びつける。打刀と違って太刀は装備するのが少々面倒だ。

 その間もやいのやいのと文句ばかり言うので、呆れてため息をつき、横目で永信を見る。


「いつもの永信なら志堂の決定に文句なんか言わない」


 そう言うと永信は黙りこくった。言いたいことがあるかのように口をもごもごさせるも、何の言葉も出てこない。

 俺もまた少し反省する。少々攻めた発言をしすぎた。


「……志堂に呼ばれているんだろ」


 紐をぎゅっと結んで太刀を佩き、外に出ると、丁度寧姫が通りかかった。


「よかった。今呼びに行こうとしてたんです」


「ああ、すみません」


 部屋の中に座り込んでいる永信を一瞥して表に向かう。


 表では馬の世話係がすでに待っていて、ありがとう、と一言伝えてから馬上に乗る。さっと出発すると、少し遅れて寧姫が声を掛けてきた。


「放っておいていいのですか」


「もういいでしょう。あとは志堂がなんとかしてくれる」


 ここしばらく、ずっと苛立っている。関わらないわけにはいかないし、表面上だけでもにこやかにしていたが流石に限界だ。

 そうですか、と言った寧が今度は遠方を見ながらつぶやく。


「今日は上級がいるのでしょう」


「多分」


「どうして分かったのですか?」


 目を閉じて感覚を研ぎ澄ませた。敵は南方からこちらに侵入していた。ぬらぬらとした嫌な感覚がする。


「低級の纏ってる瘴気が濃いので」


「そう……ですか」


 少し目を伏せた後、覚悟を決めたように再び目を開けた寧姫は、すっと薙刀から鞘を取り払った。俺もまた、刀を抜く。

 眼下には既に数えきれないほどの魑魅魍魎が蠢いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る