第3話 薬草を求めて

「エスペル様って…なんなんですかね?」

 シェリーが訊ねてくる。

 カドイナ村の村長の屋敷内の事である。


 先日、妙な書き置きを残してエスペルが失踪してしまった。

 魔王を倒して勇者になる等、意味不明過ぎる。どう考えても逃げ出しただけなのは解る。

 ホーミィとシェリーを好き放題に抱いて、突然村を飛び出した彼。今なら追いかければ追いつけるかも知れないが…近隣のモンスターを殲滅し尽くす様な男を、いったいどうやって探し出して捕まえ、連れ戻せと言うのか。


「エスペルさん、どうして…」

 元々望んでいた事ではあったが、ほぼ無理矢理手籠めにされてしまったシェリー。彼に対する仄かな恋心は宙ぶらりんになっている。

 シェリーが好きだったのは、素朴で優しく、少し頼りない所のある寂し気な少年だった。

 モンスターを素手で殴り殺す英雄でも、手当たり次第に女を喰い散らかす無責任男でもない。

「本当に、非道い男…」

 好きだったのに、その気持ちを踏み躙られた…違う。受け入れて貰えた。

 無理矢理力尽くでされて悲しかった…違う。嬉しかった。

「はぁ…」

 溜め息も漏れるというもの。

 まったく、なんて男に惚れてしまったのだろう。

 ホーミィの様に子供を妊娠しなくて良かった…嘘だ。

 彼の子供が欲しい欲しかった。幸せな家庭を築けると思った…ホーミィお嬢様が居なくなれば、後は私が貰えるはずだったのに―――


(私、どうしちゃったんだろう…)

 頭の中がぐちゃぐちゃだ。彼に抱かれるたびに幸福感を味わうが、事後には虚しさだけが残った。

 今はそれが続いてる状態だ。


「…昔、流行り病があったの」

「あ、はい…」

 ソファに深く座ったままホーミィがポツリと零す。シェリーは生返事をしてしまう。今はホーミィの自室に二人きりだ。

 突然の独り言に面食らうが…それが自分の独白に対する返答だと気付く。返答だとしたら答えにもなっていないのだが。

(…はぐらかされた?なんで今そんな昔の話を…)


 エスペルが出て行ってから泣いてばかりいたホーミィも今は安定している。だが不安なのだろう。

 父親が行方不明で未婚の母等、外聞も体裁も未来もお先真っ暗だ。

 しかし立場的には生活苦には成り得ない。そして何より―――


(彼との愛の証…)


 今はまだ見た目に変化の無いホーミィのお腹をシェリーはジッと見つめてしまう。月のものの計算的に、自分は彼の子を身籠れていない。羨ましい妬ましい。

 行方知れずの想い人の子種を貰えたお嬢様に、嫉妬の感情を禁じ得ない。


「おばさん…エスペルのお母様もそれに罹ってね。彼が看病していたの」

「そうなんですね…」

 ぼんやりと答えてしまう。そんな無関係な話はどうでもいいのに。

 そう言えば自分の両親もその流行り病で死んでいた事を思い出すシェリー。

(…しっかりしなきゃ…)

 身寄りの無い自分を引き取り育ててくれた村長と、優しくしてくれたホーミィには感謝してる妬ましい。

 そうだ。自分はこの方々に恩があるのだ。生まれて来るお子様にも一生を尽くしてお仕えせねば私のが先に好きになったのに私が産みたかったのに。


「それが…どうしたのですか?」

 渦巻く感情を抑え込んだせいで、やけにのっぺりとした平坦な顔と声で先を促す。

「えぇ…」

 ホーミィがゆっくりと、思い出す様に話を続ける。

 その時シェリーはまだ小さかったのでよく覚えていない。いや、エスペルもホーミィも同じく小さかった。

 しかし、病は人を選ばない。老若男女平等に死を撒き散らす。ホーミィも罹患した。


 たくさんの村人が罹り、看病する者にも感染する。しかし何故か。彼は…変な話だが…いつも通り元気に皆を助けて回っていた。

 しかし、病が進行し死者も出始める。

 バリュー市から呼び寄せた医師が、特効薬となる特殊な薬草の事を教えてくれる。しかし、その薬草はカドイナ村から遠く離れた、モンスターが蔓延る魔の森に生えているという。


「俺がそれ取って来るよ」

 その事を知ったエスペルが着の身着のまま飛び出してしまった。

 外は嵐。目的地に行くには峻険な山をも越える必要があり、旅慣れた商人でも道迷いや滑落遭難の危険がある。そして無事に目的地に辿り着いても、そこはモンスター達の楽園だ。

 

「だめぇっ!いかないでぇっ!」

 ホーミィが力いっぱい泣いて縋り付いても彼は行ってしまった。


「…その後の顛末は父から聞いたわ。私も容態が悪化して意識不明になってしまいましたの。…全てを知ったのは、彼や私の母親の葬儀の後よ」


 果たして三日後、エスペルは無事帰還したらしい。皆ホッと安堵した。

 何故なら魔の森に行くには行きだけで一月はかかるのだ。諦めて帰って来てくれたのだと思った。しかし違った。

 血塗れのエスペルの手には、例の薬草が摘み取られていた。

「―――え?三日と一月?」

 急いだとかの話ではない。シェリーの当然の疑問には答えずにホーミィは話し続ける。


 彼は一言こう言っていたそうだ。

「…これしか取れなかった。あいつらしつこくてさ…」

 あいつらが誰を指すのかは解らなかった。

 そして、彼の体の血はモンスターの返り血である事も解った。彼は無傷だった。

 彼が持ち帰った薬草により、大多数の人間が助かった。村長の娘という特権によりホーミィも優先的に薬草を使われて助かった。

 後一時間も遅れていたら危なかったと言われたらしいが。

「それで…」

 シェリーの中で合点がいった。

 何の関わりも無いエスペルを、村長一家が色々便宜を図っていたのはそのためだったのだ。


 助かった者も居たが、間に合わなかった者も勿論居た。エスペルが居ない三日の間でホーミィの母親、シェリーの両親は亡くなった。そして…


「エスペル様のお母様も…」

 結末を口に出すシェリー。しかし意外にもホーミィは首を横に振る。

 その瞳にはシェリーの事を気遣う様な…憐れむ様な色があった。何故?――――――


「いえ、彼が村に帰って来た時は、存命でしたそうよ」

 

「え?」

 シェリーが思わずキョトンとする。それはそうだろう。

 それだと話がおかしくなる。

 何故、彼の母親は助かっていないのか?

 そもそも彼は母親のために危険な魔の森に向かったのではなかったのか?


ゾクリッ


 衣服の下の素肌を毒虫が這い回る様な悪寒を覚えるシェリー。

 駄目だ。この先を聞いては駄目だ。


「………つ、続きを……」

 何か嫌な予感がしてシェリーが手をギュッと握り込む。

「エスペルの母親は自宅療養中でした。そして彼は家に帰る前に、先に大勢が隔離された診療所に赴いたの。そこで薬草を薬にし、まだ助かる見込みのある者に使われた。そうして彼が貴重な…文字通り命懸けで採取してきた薬草は遂に一人分を残すところになってしまった」


グビリッ


 シェリーの喉から、生唾を飲み込んだ変な音がする。


「診療所には後一人だけまだ…子供が残っていました。―――その子の両親はすでに亡く、誰もその子のために尽くせる者はいませんでした。ねぇ、言えますか?どうやって生きて帰れたかは解らずとも、命懸けで薬草を取って来た少年から…母親を見捨てて赤の他人の子供を助けろなんて」


 言えるはずがない。

 自分だって出来ないだろう。

 震えるシェリーの目を、ホーミィの目が見つめて来る。

 まるで罪人を断罪する様に。

 嫌だ。聴きたくない。

「彼は残った母親の分の薬を―――」

 聴きたくない聴きたくない聴きたくない―――

「躊躇無くその子供に使ったそうです」 

 ドクンドクンと鼓動が早まる。

 罪悪感で押し潰されそうになる。


 流行り病で死んでしまえば良かったと生まれて初めて思った。

 悪い男に弄ばれていた方がマシだった。

 幼くして両親を亡くした不幸な娘であった方がマシだった。


「シェリー。貴女はエスペルに救われたの。貴女のお母様の代わりにね」

 ホーミーは責めるでもなく淡々と告げて来た。


 聴きたくなかった知りたくなかった。

 彼の母親を―――エスペルの一番大切な家族を殺して助かった事実を知るくらいなら…悪い男に騙され捨てられた事を嘆いて恨んでいた方がマシだった。


「う、嘘…」

「そう思うなら診療所のカルテを見て来ていいですわよ。万が一貴女が見てしまわないように気をつけていたようだけど、真実を知った後なら見せてくれますわ」

 シェリーは混乱のただ中にあった。

「な、なんで、それ、今、さら…」

 言葉にならない。

 ホーミィも特に何も無ければ一生伏せておくつもりだった。しかし彼女は彼と寝たのだ。それは許せない事だ。存分に苦しんで貰わないといけない。


「彼が何故そうしようとしたのかは、もう解らないわ。だって彼自身が覚えていないんだもの」


 しばらくして、色々話を聞いてみた。

 事情聴取である。

 村に駐屯してる騎士と、バリュー市から出向していた医師による聞き取り。

 その結果―――


「エスペルは疫病に関する記憶を部分的に喪失し、改竄していたの」

 彼の中では、母親はアッサリ死んでしまったとだけ。

 魔の森へ行った事実も無かった事になっていた。

 彼は平凡な少年であると自身で思い込んだのだ。


「彼は抱え込んでしまったの。自分の母親を救えなかった事も、他の村人を救えなかった事も…全部ね。おばさんに、薬草を採って来たけど全部使ってしまった事を伝えたら…彼女は彼を褒めてくれたそうよ。内心は解らないけれど、彼の行動を肯定し、亡くなった」


(誰か教えて欲しかった)

 シェリーはホーミィや周りの人間達を恨みがましく思う。

 知っていたら最初から彼に身も心も捧げていたのに。

 幼くても関係無い。一緒に暮らして、献身的に全てを投げ打って彼を支えてあげれたのに―――


「解ったかしら?貴女に何も知らせなかったのは、貴女のためではなくエスペルのため。貴女が命の恩人として彼に近寄れば、記憶の齟齬で彼の精神に限界が来る」

 その一件から彼の人助けの様な行いが加速する。謝礼のしようもない村人達は、仕事を与えて報酬に色を付ける事で返礼としてきた。

 彼が内側へ逃げ続け、周囲は追いかけない。歪だが平和的な関係は続いていた。


「それも、時間の問題でしたけどね。今回の件がたまたま引き金になりましたが…実際こんな小さい村、いつモンスターに襲われてもおかしくはなかった。そうなれば彼は戦ったでしょう」

 そしてそうなった。ホーミィは通算二度も命を救われたのだ。償いになるかは解らないが、彼の好きな様に身を任せるくらいは安いものであった。


「…追い詰めない様にしてましたけど…理由も無く親切にされる事はさぞ気持ち悪かったでしょうね…」

 過度に優しくしようとすると彼は遠ざかった。仕事を斡旋して生活に困らない様にするぐらいが丁度良かったのだ。


「でも、なんでっ!今さら私にっ!」

 シェリーは未だに現実を飲み込め切れずに居た。

 知らないなら見て見ぬふりも出来た。

 しかし今はもう知ってしまった。

 ならもうやる事は決まっている。

「なら私は、彼のために―――」

 今からでも遅くないはずだ。


「でも貴女、特別だなんて思わない方がよくってよ?」

 熱く滾ったシェリーの心に、ホーミィが冷や水を浴びせる。


「え?」

 慰める訳でも、気落ちさせる訳でもないが、それは単なる事実。


「野に放たれた勇者は、これから数多の人間を救う。救けを求める人間を彼は見捨てられない。そして見返りに差し出された女を…彼は拒まない…」

 それは自身で立証済みだ。


 命を救われたからと言って、全ての女が恋愛感情を抱く訳ではない。

 だがお礼にと体を開く者は居る。そして彼は受け入れる。


 母親を奪った世界への復讐なのか、失った母性に餓えてるだけなのかは解らないが、エスペルは来る者拒まずだろう。

 それにあれだけの強者だ。外を歩けばモンスターに襲われるこの世界。強いと言うシンプルな事柄は、恋愛やら恩義やらを超越する理由になる。そうつまり子作り。強い子種は何よりの宝だ。


「…世界」

 シェリーがふらつく。

 命を救われたなんて事が、何のアドバンテージにもならない。

 成長した今の彼は昔よりもっと強い。これからさらに強いモンスターを倒して多くの人々を救えば…幼少期に救われた少女等、その他大勢。端役、脇役に成り下がる。


「エスペルの心は今も、あの魔の森を彷徨っているのでしょう」


 一緒に住もうと言ってくれる村人の誘いを断り、独り母との思い出の詰まった小屋で暮らした。

(…あの小屋も、ちゃんと管理しないといけませんわね…)

 もしかしたら、母恋しさにふらっと帰って来るかも知れない。


「そんな彼を村人達は暖かく見守ったわ。」

(勿論私も…)

 母親の居ないベッドで泣きじゃくる彼が愛しくて堪らなくなり、そのまま抱き締め、なし崩し的に愛し合ってしまった。

 自分の胸に顔を埋め泣いている彼は、とても可愛く愛しかった。


「処女も捧げて初めて同士で愛し合えたのに、彼を繋ぎ止められなかった」

 男は一度女を抱くと素っ気無くなると言う。最初はそういうものかと思ったが、様子がおかしかった。


 彼は、ホーミィが自分を慰めてくれた理由を、二人の初体験ごと記憶の彼方に封印してしまったのだ。


「違う男と結婚を仄めかしても、まるで無反応ですし」

 ホーミィが流石に思い出しムカつきをしている。いくら挑発しても目を逸らして逃げていた。


「子供を作っても、彼に新しい家族を作ってあげても、彼を繋ぎ止める事が出来なかった…」

 家族を失った彼に新しい家族を作ってあげたのに、それがさらに彼を追い込んでしまった。


「ふふ。でも、そうよね。それでも私は今、彼の子を身籠っている。ふふ…」

 医師の診断により妊娠が確定した時は本当に嬉しかった。彼は逃げ出してしまったけれど、彼の子供は私の物だ。

 今からエスペルが何処で誰を孕ませようと、最初の子供はホーミィが産むのだから。


「…欲しい」

 幸せそうに微笑むホーミィを睨んでしまうシェリー。

 羨ましい。せめて自分も彼の子供が一人は欲しい。

 シェリーは焦燥感に苛まれる。

 時が経つにつれ、物理的に距離が離れていく。

 出来れば彼を追いかけたい。

 身重でない身軽な今ならそれが出来る。

 しかし、戦う術の無い自分等、早晩モンスターか野盗の餌食となるだろう。

 誰か、頼れる人は居ないだろうか?

 そんな時だった。


「頼もぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 元気溌剌な叫びが屋敷に響き渡る。凄まじい声量である。

「我は王都ロイヤル騎士団所属フロイラインっ!エスペルっ!姿を現せっ!」

 凛とした女の声だ。


「はぁ?エスペルは居ない?嘘おっしゃいっ!調べはついてるんだからねっ!あーもぉっ!面倒臭いわねっ!いいから出てきなさいよっ!エスペルっ!伯爵令嬢の私が自ら出向いてあげたわよっ!いい加減覚悟決めなさいよっ!」

 誰かと…村長宅の使用人とでも話したのだろう。口上と違う口調でさらに吠えてるのが聴こえる。


「伯爵令嬢?」


 なんでこんなど田舎に、王都ロイヤルの騎士が居るのか?ロイヤル騎士団と言えば爵位持ちの本物の貴族だ。

 窓から覗くと、女戦士といった風体の女が仁王立ちしていた。

「あの人は…」

 それを見たホーミィの目が細まる。

シェリーに対しても嫉妬はあったが、まだ情状酌量の余地はあった。

 だがあの泥棒猫に対しては別である。


「毎日毎日好き放題しよってからにっ!この私と愛し合ったのよっ!責任取りなさいよねっ!」


「あ」

「あー…」

 あの無責任男が逃げ出した理由の一つがまた見つかったようである。


 王都の騎士、しかも高位貴族の令嬢が怪気炎を上げているのを、カドイナ村村長宅の使用人達が遠巻きに見ている。どうしていいか解らないのだろう。高位貴族等は雲の上の存在。無礼討ちされ斬り捨て御免とかされたら堪らない。

「さて、役者は揃った様ですわね。ここへお連れして」

 ホーミィがシェリーに命じる


「…畏まり、ました…」

 伯爵令嬢の対応なんてした事無い。

 取り敢えずは行くしかないのだけども。

  

 フロイラインは堂々と胸を張って、叫んでいる。

 

「隠れてないで出てきなさいっ!早く王都に行くわよっ!私に勝った責任を取って早く私を娶りなさいっ!ヤリ逃げなんか許さないんだからねっ!」

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