第8話
無事サクラを救出した。
そんな連絡が入ったから、そちらへ向かったのだ。
いつもの最終フィールドワーク。
任務が完遂されたことを確認するためのフィールドワークへ。
ただいつもと違ったのは、サクラの救出と共に与えられていたもう一つの任務。
その達成条件に関する認識。
そこに食い違いがあったようで。
現地。
敵性拠点入り口前にたどり着いた博士を迎えたのは、さらに本拠点へ向けて進軍しようとする現地部隊と、それをとどめようとしているサクラの言い争う光景だった。
「博士の計画でもここで引き返すことになっているのでしょう。その通りにしましょう? これ以上進むのは、本当に危険なのです……!」
「煩い! もうアトランタの本拠地の目と鼻の先まで来ているんだぞ! ここで引き返して、何がアトランタへの報復か! 何が劇長への手向けか! 壊滅だ! 殲滅だ! 粛正だ!」
「お願い、落ち着いて聞いてください……! 今、アトランタ本拠地には、とても恐ろしく強い兵士がいるの。劇長は、そいつに……」
「劇長は、そいつに殺されただって? ならば尚更! 仇を取らねばならない! サクラ殿は、そうはならないのか! 元はといえばそう! あなたが! 奴らに捕まったせいで劇長は殺されたというのに!」
真珠の瞳が大きく見開かれて、瞬き一つ。
非力な少女はぽろりぽろりと大粒の涙をこぼしながら、しかし懸命に、行ってはいけない、と繰り返す。
隊員の一人が少女を小突いた。
彼女は倒れる。
彼らは彼女の足を踏みつけて、進もうとする。
だから尋ねた。
「何をしている」
隊員たちが振り返る。
戦場にはふさわしくない真っ白な白衣を目にして怖じ気づく者。
そして反発する者。
隊長らしき者は当然のように後者だった。
「おやおや、博士。これはまた、お早いご到着で! まだ作戦は終わってませんよ!」
「終了予定時間はとうに超過している。お前たちは計画通りに作戦も遂行できないのか」
或いは時計も読めないのか。
まさかそんなことはないと願いたいが。
指摘を受けて、隊長は顔を真っ赤に染めた。
これは、人が逆上するときの合図だ。
「その計画ってのがおかしいっつってんだろ! 任務はアトランタへの報復だ! こんなチンケな拠点一つ潰したところで、それがあの劇長の命と釣り合うはずがねぇだろ! 馬鹿にしやがって!」
劇長は、素晴らしい男だった。
組織の内外から評判が高く、人気者だった。
劇団を率いるだけではなく、自らも劇場に立って演者としても、皆を楽しませて。
彼の劇を見て組織の戸を叩いた者も少なくない。
その中にはかつて敵性組織に属していた者もいる。
それほどまでに、人の心を動かす男だった。
人の心を掴んで、思い通りに操る、そんな男だった。
死してなお、他人を縛る者。
なんと傍迷惑なやつだ。
首を振る。
諦める。
「わたしの計画に納得がいかないのなら、進めばいい。わたしは止めやしないよ。そして身の安全も保証しない。行って、劇長と同じように無様に死んでこい」
貴様、と激昂した隊員が一人、拳を振り上げた。
顔面直前でその拳を受け止める。
そして錬金する。
人体の組成式は頭の中にたたき込んである。
だから咄嗟の術でも問題なく発動する。
赤い閃光のあと、苦悶の叫び。
血液を酸に変換された男の死体が足下に転がった。
受け流しきれなかった衝撃の残る手のひらを軽く振りながら、博士は残った隊員たちに聞いた。
「次は誰が無駄死にする?」
あと隊長を含めてひとり、ふたり、さんにん。
数を数える。
さあ、どうする?
邪魔な死体の顔面を蹴って見せる。
一人が後ずさったのをきっかけに、もう一人もよろめき、隊長が舌打ちした。
「貴様、貴様! 覚えておけよ! 貴様のしでかしたこと、しっかりとボスに報告させて貰うぞ……!」
「ご自由に」
捨て台詞を残して彼らは撤退する。
ぽつんと残されたサクラ。
彼女はようやく立ち上がる。
足が痛むのか引きずりながらこちらの方へ。
博士の足下に膝をつく。
そこにある死体の両手を取り、そっと胸の上で重ねさせる。
見開いたままになっていた目も閉じさせて。
それから自身も胸の前で手を組んで、祈りを捧げた。
「……博士。あの」
そして彼女は口を開く。
博士はすぐそばで目をつむったままの彼女を見下ろした。
「その、私のせいで、劇長が」
その続きは、すぐに思い出したかのように帰ってきた隊長の不機嫌な怒鳴り声にかき消された。
「サクラ殿! あなたもこっちだ! 付いてきなさい! あなたも一緒にボスに、この化け物の悪行を証言するんだ! 分かったか!?」
もう一粒、閉じた瞼の裏から涙があふれた。
頑なに立ち上がらないサクラにしびれを切らした隊長が、彼女の腕を無理矢理引っ張り上げて、引きずっていく。
ついでに博士へと唾を吐きかける。
「博士! ご、ごめんなさ」
「あぁ!?」
彼女も近くで立ち上がると博士よりもずっと背が高いことに気づく。
もちろん隊長はそれよりもずっと背が高い。
見上げるものばかりで嫌になる。
「全くどいつもこいつもふざけやがって! 今回の件でよく分かった! やはり研究者ってやつはロクデナシばっかりだ! 二度と前線(われわれ)に関わらないで欲しいね!」
そして今度こそサクラを連れて、奴らは去って行った。
博士の作った防具を纏って。
博士の作った防具を背負って。
博士の立てた計画に従って生還した隊でもこの有様なのだ。
やはりボスの見立ては間違っていた。
そんなの分かりきっていたことじゃないか。
ほんの少しの期待もしていなかった。
だから大丈夫だ。
だから博士は、人間が嫌いだ。
目を開くとそこは静かだ。
死体しかない。
少し時間を食ってしまったが、フィールドワークの時間だ。
計画の完遂を確認して。
それだけしたら研究室へ戻る。
そして報告書をあげる。
実働部隊の連中も報告書をあげるだろう。
ボスは、どんな顔をする。
――期待外れ?
いや、博士は何も期待なんてされていない。
帽子屋とは違うのだ。
博士が求められているのは、やらなくてはいけないことは。
「仕事を」
やり遂げなければ。
任務をこなさなければ、そうしなければ。
誰が博士を必要とする(ここにはいられない)。
それだけだ。
扉を開けた。
敵性組織の拠点の廊下を一人進んだ。
最奥の部屋に仕掛ける手はずの爆弾を手元でもてあそびながら。
どんどんと廊下は傾斜をつけて、地下へと伸びていった。
誰もいない。
念のためにVPMを起動した。
――生命反応なし
彼自身の足音だけが響く。
博士は淡々と最奥の部屋のロックを解除した。
そこで実働部隊が破壊し忘れたと思しき装置を発見して、博士は舌打ちする。
用途にかかわらず見つけた装置は全て破壊しろと言っておいたのに。
いわゆる尻拭い。
しかしこれも彼の任務の一つだ。
施設ごと爆破することは決まっているが、確実に破壊(錬金)するために、爆弾は脇に置いて、そっと末端端末に触れた。
まさかそれだけで起動するとは思わなかった。
起動状態で下手に壊して、暴走されでもしたら困る。
だから軽くその装置の用途を調べて。
人間を動力(エネルギー)に変換して、高火力砲を放つとかいう装置だと知って。
目を細める。
敵性組織の連中は組織(カーディナル)のの研究のことをおぞましい悪魔の研究だ、悪の組織だなどと言いふらし、政府に取り入ろうとしているが、博士からしてみれば奴らの研究も似たり寄ったりだと思う。
ハルジをハルジと化した研究然り。
この装置然り。
ただ奴らがそれを認めないでいる。
それだけの違いに過ぎない。
作業を進める。
廃棄(スクラップ)まであと少し。
――生命反応なし
だから何も気がつかなかった。
思い切り。
後頭部に衝撃を受けて。
そこでようやく背後に黒い泥が佇んでいることに気がついた。
一瞬意識も途絶えたかもしれない。
力が入らない。
傷を受ければ、即座に生命維持の術が発動するとはいえ。
薬師と同じく、痛いものは痛いのだ。
なすすべなく黒泥に抱え上げられて、悪寒。
何か泥の奥から音が聞こえる。
「子供、子供、謨オ。主人縺ゥ縺? 謐輔∪縺医◆。原料。主人。谿コ縺励◆。カーディナル、謨オ。谿コ縺。谿コ縺。全部谿コ縺」
泥が博士を運ぶ。
その先に装置の動力補給口がある。
傷ついた思考はまとまらないがこのままではまずいことは分かる。
アトランタの黒泥ならば、組成はハルジと同じもの?
泥の中心に腕を突っ込み、心臓らしきものを探し当てて術を放つ。
泥は悲鳴を上げた。
しかしそれだけ。
組成式が間違っているような手応えで、思った通りのものに変わらない。
式を調べようにも時間がない。
止まらない。
心臓に細工されて怒ったのか、化け物は博士の腹に腕を突き立てた。
血が、止まらない。
残り僅かの渾身の力を込めて振った足もむなしく空を蹴る。
泥の動きが止まった。
装置の扉が開けられた。
そして博士はその中に、ゴミのように投げこまれた。
途端、形容しがたい液体で装置の内側は満たされ、視界が溶ける。
意識は完全に途絶える。
最後に考えていたのは。
これで、わたしも、ようやく、死ねるのだろうか。
そんなこと。
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