第7話
緊急招集。
何度繰り返し聞いても物々しい耳障り。
それだけで、何か良くないことが告げられると分かってしまう嫌な響きだ。
出来れば向かいたくはなかったが、そう言ってもいられない。
いつもの会議室。
使い込まれた会議用の円卓が一つ。
一つの席は、すでに帽子屋が埋めていた。
目が合う。
しかし何も言わない。
いつもは騒がしく、博士ちゃんが会議に出てくるなんて珍しい、今日は何食べた、だの、今どんな作業をしているのか、だの根掘り葉掘り聞いてくるくせに。
今日の彼は耳まで隠れるパイロットキャップをかぶっていた。
あと出席権のある組織幹部は劇長と薬師だが。
果たして超多忙の売れっ子劇長(スタァ)と、放浪中で消息不明の薬師が緊急招集だからといって姿を見せるのか。
博士と、帽子屋と、ボスの代理の指揮官だけなら、結局いつもの会議と同じだ。
それならば欠席して研究室(ラボ)に戻りたい。
体調が優れない。
以前ならこれが通常だと思っていただろうが、何せしばらく体調の良い日々を過ごしたおかげで、体調不良がどういうものなのか、知ってしまった。
だから作業が捗らない。
忌々しい。
この博士(わたし)が、休みたいだなんて。
これも全部、あいつのせいだ。
帽子屋は、まだ黙っている。
静かだ。
少し目を閉じると、うたた寝をしてしまったようで、覚えのある香りで覚醒する。
ちょうど目の前にコーヒーが置かれたところだった。
帽子屋か、と配膳の主を見上げると、深緑の瞳と目が合った。
薬師はにこりと微笑んだ。
「起こしてしまいましたね。ごめんなさい。会議が始まる前に、よろしければお飲みください。少しばかり、疲労回復の薬草をすりつぶして入れてあります」
「帰ってきていたのか。珍しい」
「ええ、お久しぶりですね。博士は歓迎してくださるのですか?」
薬師の指さす先を見やると、犬のように歯をむきながら彼を威嚇する帽子屋の姿があった。
「歓迎する理由はないが、嫌忌する理由もないな」
いただくよ、とコーヒーを口に含んだ。
薬草の他にも角砂糖らしき物が入っていたらしく、じゃりじゃりと口当たる。
味はやっぱり分からない。
「隠すことでもありませんし、すぐに分かることなので申し上げますが、今回の緊急招集は、私が持ち帰った情報が原因なのです。尤も、帽子屋はすでにご存じのようですが」
薬師も席に着く。
彼も持参した水筒を目の前に。
「お前の口から聞いた情報なんぞ信じねぇぞ」
おや、ずいぶんと嫌われましたねぇ、と、帽子屋の牙にも平気な顔の薬師である。
博士はもう一口、貰ったコーヒーを飲み進めたが、続いて聞こえた声に驚き、危うく吹き出してしまうところだった。
「ならば私が話そう」
その一言で緊張が走る。
扉が開いて、現れたのは、黒と赤の王。
拠点をあちこち飛び回る渡り鳥。
どこにでもいて、どこにもいない人。
組織(カーディナル)の総帥(ボス)その人だった。
思わず背が伸びる。
帽子屋が立ち上がる。
ボスは座っていなさいと合図を送るが、それでも彼はしばらく硬直して動けない様子だった。
のろのろと、椅子に倒れ込む。
どすん、と鈍い音がした。
「お早いご到着で」
「急がせた。そのせいで指揮官は間に合わなかったがな」
「あら、それは残念だ。彼女にも久しく会っていませんでしたからねえ、ぜひお会いしたかったのに。ところでボスは何か飲まれますか?」
「結構だ。これが終わり次第すぐに発たねば」
薬師に軽く応えながらボスも席に着く。
組んだ足を緩やかに揺らしている。
さて、と。
そしてボスは一息に告げた。
「劇長がアトランタに殺された」
ボスが言うのならそれは紛れもなく真実だ。
劇長が死んだ。
殺された。
組織(カーディナル)の宣伝(プロパガンダ)役兼資金調達(パトロン)役が。
だとしたら帽子屋の不審な挙動にも納得がいく。
確かあの二人は友人だったはずだ。
なんでも、サクラが誘拐されて、彼女を助けるために単身で拠点に乗り込んだとか。そこで哀れにも、返り討ちにあったってことらしいですよ。
詳細を説明しながら、薬師が水筒を傾ける。
薬湯だろうか、とろりとした液体が入っているのが見えた。
「その通りだ」
どこか軽薄な薬師とは違ってボスの言葉は端的でも重苦しい。
ボスの肯定に帽子屋は舌打ちし、そして頭を抱えた。
そんな彼に追い討ちをかけるかのようにボスは言い渡す。
「劇団の今後は帽子屋、君に任せる」
数秒。
内容をかみ砕いているような間をおいて、はぁ!?と帽子屋は仰天の声を上げた。
任務だぞ。
ええ、帽子屋が適任かと。
ボスに考えを変えられたら大変だと言わんばかりに口を挟んだ二人に、帽子屋は黙ってろと指を立てる。
「今後っつったって。俺は劇団の運営なんてしたことねぇし! それに返り討ちにあったってことは、劇団の華(サクラ)も奪われたまんまってことだろ? どうにもならねぇって!?」
「承知の上だよ、帽子屋。もちろん劇団を今まで通りに運営して貰っても構わないし、取り壊したっていい。それも含めて君に任せると言っている」
「取り、壊し」
目の前に吊された選択肢に、帽子屋も考え込んでしまったようで、腕を組んで深く俯いてしまった。
少なくともここにいる博士か薬師がやれば、劇団が取り壊されるのは明白だ。
帽子屋はじっと考えている。
「この件は以上だ」
ボスも有無を言わせない。
ある種の気迫と、それは期待。
帽子屋へと向けられる視線に、それらが宿っている。
やがて、ようやく、帽子屋が深く、深く頷いた。
議決。
これより劇長を喪った崩壊寸前の劇団の世話は帽子屋がする。
「他にも何か議題が?」
「ああ、次は博士、君にも任務を」
これで終わりならばもう離席しても良いか?
そのつもりで訊いたというのに、まさに藪から蛇。
厄介ごとの気配。
いや、ボスからの直々の依頼だ。
この方の目指す未来に役立つ素晴らしき任務。
それはとても名誉なことだ。
きっと。
「サクラの救出と、奴らへのしかるべき報復を君に任せたい」
最大限の怒りで、最大限の恐怖を、奴ら(アトランタ)に。
「それは」
ほんの少しだけ、あってはならない違和感があった。
「それこそ帽子屋の方が適任だと思うが」
こんどこそ他意のない本心からボスにそう意見すると、少し帽子屋が驚いたようにこちらを見たのが分かった。
薬師はというと相変わらず、我関せずといった様子で水筒を傾けている。
「帽子屋の方が戦闘能力も高いし、この件に関してなら士気だって高い。何故わたしに?」
「それは君のためだ」
博士のため。
ボスは博士をじっと見つめる。
帽子屋に向けた視線に込められた意味は分かったのに、自身に向けられる視線の意味が分からない。
これは、何だ?
「この任務の成功をもって、君の地位を揺るぎないものにする」
ボスの頭の中には、まだ先日の事件が残っていることは理解した。
しかし理解できない。
それがどうした。
部下が博士を殺そうとした事件なんて、あの一回だけじゃない。
何回もあったじゃないか。
何度も何度も何度も何度も何度も。
その度に返り討ちにした。
ボスだって知っているはずだ。
「どうして今更……」
博士ちゃん? と呼ぶ声が聞こえた。
「君の言うとおり、帽子屋の方がこの任務には適性が高いことは認めよう。君の分析通りだ。だが、君でも十二分な成果を出すことが出来るだろう? それを見せてみろ。二度と君に逆らう部下などいなくなるだろう」
違う。
それは違う。
幾ら成果を出したところで、いくら優秀さを証明したところで、それは逆効果で。
あいつらが見るのはいつだって博士の外見だけで。
――子供のくせに生意気だ。
どれだけ現実から目を背けたって、現実の方が目の前に現れて消えてくれないのだ。
「どうして今更、と訊いたね。君は知らないかもしれないが、近頃君の評判はますます悪い。寝てばかりいるだとか、職務に関係のないことばかりしているだとか、そんな訴えが届く」
「そんなことは」
「ない。私も知っている。君の仕事は以前と変わらず、いや以前にも増して正確で、期限通りで、優秀だ。それにも関わらず、君の部下からはそのような訴えが届く。その意味が分かるか? 私は、この状況をとても危惧している」
「だから、誰にも文句を言わせない、はっきりと目に見える成果が欲しい、と?」
首肯。
ボスが言いたいことはよく分かった。
だが無駄だ。
無駄なんだ。
それに何より、博士は他人から何を言われようがどうでもいいのに。
「任せたぞ、博士」
「分かった。やる」
任務だ。
何も考えるな。
必要とされたなら、そうしろ。
それだけでいい。
議決。
敵性組織への報復は博士が行う。
「……他に、議題は?」
「必要なことはこれで以上だ。私はそろそろ発たねば。皆、貴重な時間をありがとう」
「いえいえ、お気になさらず」
のほほんと微笑んで薬師がお疲れ様でしたと手を振り見送る。
帽子屋も微かに小声でお気をつけてと言葉を贈る。
博士だけ何も言えずに、立ち去るボスの、規則的な靴の音を聞き送った。
「……俺も行ってくるかねぇ」
帽子屋も席を立つ。
「サクラのこと、頼んだぞ。博士ちゃん」
帽子屋がくぐった扉の閉まる音が響いた。
そろそろわたしも、と立ち上がりかけた博士の視界に緑が広がる。
ぱちり、と瞬く薬師の瞳が至近距離に見える。
彼はふふ、と笑うと博士の額を人差し指でつついた。
反射で飛び跳ねる。
椅子から落ちて、床を転げる。
遅れて全身に悪寒が走って、うずくまったまま動けないでいる博士を、薬師が見下ろしている。
何も出来ない。
だからただ、その微笑む緑を、鋭く、睨み付ける。
「お疲れですかねぇ。隙だらけですよ、博士。こんなに簡単にあなたに触れられるとは思っていませんでした。ああ、それとも」
薬師はその人差し指を自らの頬に当てて、小さくわざとらしく首を傾げて見せた。
「あなたでも、他人が傍にいる状況に、少し慣れてきたのでしょうか?」
何とか起き上がった博士の目の前にカップが差し出された。
机に置きっぱなしにしていた飲みかけのコーヒーが入っている。
ありがたくそれに手を伸ばして受け取って、中の液体ごと金のナイフに変換する。
そして作り出したナイフを薬師の腹に突き刺した。
薬師の長い髪が衝撃でふわりと広がった。
質素で清潔な彼の衣服に赤い血がにじむ。
しかし当然のように、笑みは崩れない。
「おっと、狙いが甘いですよ」
刺すのならこちらの方がいい。
そう言って薬師は自身の左胸を指さした。
「そうだな」
知っているさ、それくらい。
ナイフを抜き取ると返り血が飛んで、博士の白衣にまで飛び散った。
抜いたばかりだというのに刺し傷は、もうすでに塞がっているようだった。
どういった現象でこうなるのか分からないが、相変わらずこいつ(薬師)もこいつ(薬師)で大分と人間離れしている。
ナイフを放り投げて捨てた。
分かってはいたが、時間の無駄だ。
だが、やられっぱなしにして舐められてもいけない。
「で? これは何の真似だ?」
薬師も当然知っている。
博士が人とのあらゆる意味での接触を嫌うこと。
その表面上の理由から深層の理由まで。
帽子屋はどちらかというとそれを知っていて尚嫌がらせをするタイプだが、薬師は違う。
だからその理由を問う。
「深い理由はありませんよ」
しかし薬師はさらりとそんなものはないと否定してくれた。
「ただ少しばかりあなたと話したいことがあったので、どうしたらこちらを見てくださるかなあと思いまして、まぁ一番手っ取り早いのはこれかなぁと」
あ、もうやりませんよ、触りませんよ、すぐに治るとはいえ、やりかえされたら痛いので。
私は、痛いのは嫌なので。
わざわざ「私は」と強調しておきながらも悪びれず、ひらひらと薬師は手を振って見せた。
「ねえ、博士。スマイリー博士(Dr・Smiley)。私、実は今、噂の、あなたが作ったというホムンクルスの面倒を見ているのですが」
「何だって?」
思わず聞き返すと、ようやくこちらを見てくれましたね、と。
先ほどから、刺される前から一ミリも変わらない笑顔の口元が、無音でそう言葉を紡いだ。
「ねえ、博士。あなたがあの子の任務を肩代わりしてこなしているのはどうしてですか?」
薬師は完璧に微笑む。
しかし博士には、答える、言葉が、見つけられない。
どうして?
そんなもの。
知りたいのはわたしの方だ。
余計なことだ。
無駄なことだ。
「あなたらしくもない」
そんなのは博士らしくない。
それだけは分かるのだ。
「……お前は、どう思う? 先生」
先生。
久方ぶりにその呼称を使った。
途端に薬師の完璧な笑みは崩れる。
目を丸く見開いて、驚いたよう。
彼はゆっくりと深呼吸して、もう一度、あなたらしくもない、と繰り返した。
それから彼は顎に指を添えた。
「そうですね。わたしの考えで良ければ。それは、単純に、あなたがあのホムンクルスを大事に思っているから、だと思いますよ」
「大事に?」
ハルジ。
かつて正義の味方を目指した人間。
拾いもののばけもの。
博士が手を加えて人間にしたあのホムンクルス。
情がわいた?
まさかそんな。
薬師もそれはあり得ないと分かっている。
だからこそすぐに少し言い換えた。
「つまり、サンプルとして重要視している」
ほんの少し言い換えただけだ。
しかしそう言われると、すとんと腑に落ちる。
「……どのような、サンプルだと?」
それが私もどちらかお聞きしたかったことでして、と前置き。
まずは一つ、と薬師は人差し指を立てる。
「或いは、人間が怪物になり得たサンプルとして」
続いて中指を立てる。
「或いは、怪物が人間になり得たサンプルとして」
どちらとしてあれを認識しているのですか?
どちらだ。
どちらだと認識すれば、博士はあれの処分を免れさせようとして動く?
「お前は、どう……いや」
訊くな、と心が叫んだ。
それはつまり、博士は答えを知っているということだ。
目をそらさなければいけないことなのだ。
黙りこくった博士を眺めながら、薬師はふ、と息をついた。
そして徐にそっと手を博士の頭にかざした。
宣言通り触れては来ないが、温もりが伝わってくるような気がして震える。
薬師はそのまま宙を撫でる。
そっと子供の頭を撫でるかのように。
「博士、久方ぶりに、私のことを先生と呼んでくれた、あなたに。主治医(先生)として申し上げますとね」
怒らないで聞いてくださいね。
だなんてわざわざ念を押してまで、言う。
「私はあなたを大事に思っております。帽子屋だってそうです、素直ではありませんが。もちろんボスも」
大事に思っている。
それは、どんな、サンプルとして?
「だからあなたが、あなた自身をもっと大事にしてあげなさい」
私に言わせてみれば、あなたの抱える問題は、あなたはそうできれば全て解決するも同然なのですよ。
薬師(先生)は両手でそっと博士の頬を包む形を作る。
何かを祈るように。
希うように。
「でも無理だ」
それは出来ない。
博士にはまるで彼の祈りが理解できない。
「だってわたしは人間嫌いの怪物だから」
だから人間を大事になんてしない。
要らないから与えるだけ。
死ねないから生きているだけ。
取り付くしまなく切り捨てると、薬師は深いため息をついた。
「そう言われると弱いのですよねぇ。何せ私も同じ穴の狢。正真正銘、生粋の人外。人間を嫌わないでーだなんて、怒ったり悲しんだりする当事者立場にはありませんから」
薬師は軽く、数歩、下がる。
両手を背の後ろに隠して。
博士から距離をとるように。
そしてにこりと微笑む。
いつもの完璧に造られた笑みに見える。
少し眉が下がっているような気もするが。
それでも何かを伝えようとしている。
そんな彼に、もういい、と首を振った。
「とにかく気遣いは感謝する。だがそんなものは不要だ」
「ええ、博士。あなたほどの方なら、大丈夫でしょう」
薬師は目を閉じた。
そして、小さく手を振った。
「お気をつけて」
見送りの言葉を翻す背に受けて、ようやく博士は会議室から外へと踏み出した。
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