第4話

「連れてきました」

「ご苦労」

石の階段を下りきる。

僅かな明かりに照らされた牢の前。

そこで待っていた一人の男がこちらを、正確には博士を連れてきた雑務を、労った。

看守帽をかぶった男。

帽子屋ではない。

あいつは帽子を状況によって使い分けるが、だからこそ帽子屋などと呼ばれているのだが、全身の服飾を全てそろえることはしない。

目の前にいるのは看守服もしっかりと着こなす男。

だとしたら本物の看守かもしれない。

見覚えはないが、しかし彼の方は博士のことを知っているらしい。

彼は丁寧に博士に腰を折った。

看守帽の下から刺すような眼差しが覗いた。

「ご足労ありがとうございます、フランク博士(DrFlank)。お待ちしておりました」

「仕事だ構わない」

そうでもなければこんなところに来て堪るものか。

左様ですか、それはまたお手間をかけました。

と、その間に看守は雑務を人払いした。

今し方下り終えたばかりの長い階段を引き返し登っていく雑務の背が見えなくなってから、博士は看守の向こう側、牢の中をのぞき込む。

そこには検体No.02164。

事前に聞かされていたよりも重傷に見える。

細かい傷は数え切れないほど。

腹には大きな穴。

腕も一本なくなって、切り口から血の代わりに黒泥がこぼれ落ちている。

目も片方潰れているらしく、閉じた瞼の下から泥の涙が流れ続けている。

ただそんな状態でも呼吸は荒く続いている。

まさしく化け物の様。

せっかく人の形になったのに。

「また瀕死の化け物に逆戻りじゃないか」

思わず零れた言葉が耳に届いたのか。

五月蠅い、と検体は口の動きだけで反論する。

声も出ないようだ。

「ご覧の通りです。よろしくお願いします」

看守自身はどこかへと消えるつもりはないらしく、数歩牢から離れるだけ。

博士なら監視などされなくても仕事をさぼることなどないのに。

寧ろ視線があった方が、

いいや、どんな状況でも仕事は仕事だ。

牢へと入る。

鍵は開いていた。

化け物が身じろいだ。

来るな、触るな、と喚く。

よく博士も他人に同じ台詞を言うけれど、言われるのは初めてかもしれない。

構わず近づくのだが。

触らなければ、仕事にならない。

「やめてくれ、頼む……俺じゃないんだ、俺はやってないんだ……!」

何か訴えている。

博士の知らないこと。

ならば関係のないこと。

「――――ッ!」

化け物の残った方の一つ目に凶悪な影が、衝動が蠢いている。

化け物はそれを、

瞼の裏に、ぎゅっと閉じ込めた。

手が触れる。

博士の手が化け物の頭をわしづかむ。

そして術を敷く。

赤い閃光が辺りに飛び散って。

化け物が言葉にならない悲鳴を上げる。

それも一瞬。

一瞬の出来事だ。

一度やったことのあることに、そんなに時間はかからない。

すぐに手を離す。

「終わったぞ。いつまでそうしているつもりだ」

「え?」

「ん?」

化け物が、顔を上げる。

二つ揃った、目が博士を見上げた。

「ん?」

再び困惑の声を上げて、化け物は修復されたばかりの己の腕を、手を、まじまじと眺める。

「どうした、何か具合のおかしいところでも?」

「いや、てっきり」

穴の閉じた腹。

細かな傷も把握できた分は全て閉じた。

あふれていた泥はあらかた皮膚の材料にしてしまったから、床も汚れていない。

何もおかしな点など見当たらないが。

「その、俺は、きみが、俺を処分しに来たのだと思っていたから」

「何故そうなる」

博士が命じられたのは「検体の修復」だ。

――検体No.02164が任務中に大怪我を負った、修復できるものがお前(博士)しかいない、検体はあまりにもグロテスクな様相を呈しているのと、パニックによる暴走も危惧されるため、医務室ではなく、地下牢に保管してある、至急そちらへ向かい修復を行うこと。

「ほら、だって俺は、やってないけれど、本当にやってないのに信じてもらえないけれど、殺人事件の容疑者、なんだろ?」

情報が食い違っている。

これは一体どういうことだ。

生まれたのは疑問と、肉を切る音、そして胸を貫く強い衝撃だった。

瞬間、思ったのは、やられた、ということ。

自分の心臓の中心を貫いた剣の切っ先が眼下に見える。

「全く仕事の出来ないやつだ」

こんな無抵抗のガキ一人殺せないで何が生物兵器だ。

毒づく声がすぐ後ろで聞こえる。

異変に気づき顔を上げた化け物が目を大きく見開いた。

何かを叫んだ、なまえ、それは、だれの?

だれのなまえだ?

血が飛び散る。

それだけの短い光景がスローモーションのように脳裏に焼き付く。

熱い、熱い。

手が震えて動かない。

ただ、鋭利な刃の表面。

あかあかと血にぬれた合間の銀色に、見覚えのある、少年の姿が反射していて。

それをしっかりと把握してしまって。

意識が途絶える前に、思ったことは、

やらかした。

そんなこと。


誰の声だろう。

断片的な言葉と情景。

それは熱を帯びている。

怒っている。

怒っている。

形容できないほど怒っている。

誰が怒っている。

それは、あの少年の姿をしている。

帽子屋曰く。生物にとって外見(みため)というものは重要なものだ。

何故なら、少なからず生物は外見に引っ張られるものだから。

蝶の形をした象が空を飛ぼうとするように。

花の形をした魚が蜜をこぼすように。

外見が生物の生きる方法を決める。

外見が生物の本能を呼び起こす。

だから俺は帽子を何種類も揃えているんだ。

帽子をかぶって外見を整えることで、その外見に沿った力を手に入れるんだ、と。

帽子屋は嬉しそうに、自身の趣味の言い訳をもっともらしくしたけれど。

つまりそれは、こちらの立場に置き換えて言うのなら。

たとえどんな化け物でも、人間の外見をしていると、人間に成る。

どんなに拒否しても、そうなってしまうということ。

僕にとっては死活問題であった。

……嫌いだ。

嫌いだ嫌いだ嫌いだ人間なんて嫌いだ触るな僕に触れるな痛い苦しい熱い許してどうしてなんでなんて醜い煩わしい触れるな直視させるな嫌いだ思い出させるなそんな僕が?こんなに嫌いな?恐ろしいおぞましい救いがたい度しがたいどうしようもない、そんな○○と同じ○○だなんて。

怒っている。

悲しんでいる。

醜いもの全てを詰め込んで、少年はしゃがみ込んでいる。

真っ赤な血の海の中。

自分の流した血と、報いを受けさせた男の血の中心で、力なく項垂れている。

赤い閃光が辺りを覆って止まない。

「おい! おい、きみ! 目を覚ませ! しっかりしろ! 術を止めおうぅわぁっと!?」

誰かが叫んでいる。

性懲りもなく呼びかけている。

その方向へと閃光が一筋走って行った。

今は、人の声を聞かせるな。

じゃないと、もっと駄目になる。

もっと○○になってしまう。

耐えられない。

目を塞げ。耳を塞げ。息を止めて。

どうか。どうか。

誰でもいいから。

○○になんてなってしまうくらいなら。

僕を、××して。

「それじゃあダメだよ」

ごめんね博士ちゃん、ちょっとだけ触るね。

声が聞こえて、誰の声?

その言葉の意味も理解する前に、首筋に強い衝撃を受けて、今度こそ僕の意識は途絶えて消えた。

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