第2話
報告書は簡潔に。
最初と最後に要件をまとめること。
中身も少なければ少ないほど良い。
自由な時間などいつだってないのだから。
などといくらそう言い聞かせても目の前に積まれているのは分厚い頁。
机につく前はいつも淡い期待がある。
しかし頁を捲り始める指からすぐにそんな期待はこぼれ落ちていく。
灯した明かりがかすかに揺れる。
薄っぺらい内容を頭にたたき込み、読み終えたら確認のサインを入れる。
それの繰り返し。
――次。
まだまだ報告書は山のようにある。
最近特に多くなった。
――次。
敵対組織との抗争が激化している。
物資の消耗が激しい。
追加補充を支給行う必要がある。
彼が作らねばならないものと必要個数が記されている。
期日までに納品すること。
――次。
新兵器の開発の件。
新兵器に求められる効果が以下に記されている。
――次。
通知。
近々作戦行動を行う。
彼の担当地域が以下に。
ここは敵対組織「繧「繝医Λ繝ウ繧ソ」の開発補給基地であり、重要な地域であり。
――次。
おい、と何かの物音が聞こえた。
そしてこれは拠点内の清掃依頼書。
彼の目を通すべき書類ではないようだ。
――次。
いや、と彼は顔を上げて物音の方を振り返る。
招いていない来客はやはりまだそこにいた。
それは黒泥でできた化け物。
彼自身が廃墟より持ち帰った検体No.02164だ。
「やっと話を聞く気になったか、この、えーっと……」
あれから、拠点に帰って、それに、口を繕ってやったのだった。
おかげで、あの時は不明だったこの生き物の正体も大方明らかになった。
自称だからその信憑性は不確かだ。
しかし少なくとも今は、その独白を疑う理由もない。
ともかく目下の問題は、その足下に広がる泥の汚れ。
歩くたびに体からこぼれ落ちるその泥は、揮発することなく、べったりと床に跡を残す。
泥自体は無毒な成分で出来ていることは確認済みだが、汚れは汚れ。
清掃依頼とはこれのことか。
そういえばこれの移動を制限管理した覚えがなかった。
拠点内をあちこちべたべたと汚して歩き回っていたのだろう。
この検体自体には危険性がないと判断して管理の手間を省いたのだが、それが裏目に出た。
「閉じ込めておけば良かったか」
「は!? いきなり何を言っている、いや、きみ、近づくなよ!?」
化け物が数歩後ずさる。
身の危険を感じた、とでもいうかのように。
単純な腕力では圧倒的に彼を上回る。
それでもまるで人間じみた仕草。
まだ人間であるかのような仕草だ。
原料となった人間の意識が色濃く残されたその生物兵器は恐れなくてもいいものまで恐れてしまう。
兵器としてはあるまじき欠陥。
製作者は一体何を考えていたのか。
少なくとも彼が生物兵器を作るのなら、そういう風にはしない。
勿体ない,そう思う。
でもこの兵器自身はそう思ってはいなさそうだ。
欠陥品の化け物が、博士にこの口を作って貰った時に発した第一声を思い出す。
――きみが、
博士(わたし)が?
――いや、これを……ありがとう。
化け物の顔色なんぞ分からない。
しかし作られたばかりのその口は確かに感謝をこぼした。
そのままその化け物は身の上話を独白したのだった。
それがかつて人であったこと。
ヒーローに憧れて、とある組織のとある研究者に協力したこと。
そうしたら強大な力を得たこと。
その代償に人の形を失ったこと。
博士はその独白を書き留めて、そしてただ一つだけ質問をしたのだった。
「お前は、人の形を取り戻すのに抵抗はないんだったな?」
目の前の化け物は、あの時と同様に、慎重に、ゆっくりと頷いた。
「ああ」
勿体ないと思うのは、博士だけ。
せっかく人ではないものになれたのに、人に戻りたいと願うなんて勿体ない。
だが人の世は人の形でしか生きられないのは彼も知っている。
息も出来ないのを知っている。
だとしたら正常なのは、やはりこの化け物の方だった。
「なら皮膚も繕ってやろう」
当面の泥対策にも、新しく清掃機械を拵えるより、そちらの方が効率が良さそうだ。
皮膚を作ろう。
その過程で、余裕があればこれを人の形に戻す。
それでいいだろう。
博士はタスクを一つ、自らの予定に加える。
化け物の一つしかない目が揺れた。
「……ありがとう、よろしく頼む」
「こちらの都合だ、礼などいらない」
博士は資料に視線を戻しながら返した。
――次。
いくつかの地点で見られる敵性組織の訝しむべき行動について。
「それにしても、信じがたいな、いや信じてないわけじゃないんだ、理解している、ただそれくらい驚いているって意味なんだ、まさか、この悪の組……大きな組織の顧問博士が、きみのような子供だったなんてさ」
子供。
思わぬ言葉が耳に飛び込み、文字が目を滑る。
「、子供に、見えるか」
「見えるも何も、子供だろう? 少なくとも成人はしていないように見えるぞ」
言葉が刺さり、指が震えた。
化け物はかまわない。
気づいていないのだったらその方がいい。
「本当にきみがあの悪の博……いやいや、えーと、顧問博士だとしたら、つまりはきみが、あのロックシティ崩落事件だとか、グリーンヒル焼失事件だとかの首謀者……いやいや、計画者? になるんだよな」
ただ。
「、覚えてないな」
これ以上その口を開くな。
疑問を、非難を刺すな。
ぎゅっと目を閉じた。
「どれも甚大な被害が出ている事件なんだが、覚えていないで済ますのか、そうか。そのあたりは聞いていたイメージ通りだな……きみが本当に、その、博士だというのは認めざるを得ないようだけれど、やはり信じがたいな。子供、いや、子供? 待てよ、そういえば確か、この悪……組織はそういった不老不死の研究もしているのだと聞かされたこともあったな。そんな馬鹿げた話があるかよと思ってたが、まさかあれが本当だったとでもいうのか? そんな生命を冒涜するような研究がなされているなんて? きみは、見た目は子供の姿をしているけれども、実際は長い期間をすでに生きた、不老不死であるなんてこと、そうなのか? それならば、多少腑に落ちるが、いや、まさかそんなことがあってたまるものか?」
五月蠅い。
五月蠅い五月蠅い五月蠅い。
煩わしくて何も手につかない。
誰がこんなやつを研究室(ラボ)に招き入れた。
いやそれに心当たりはあるからいい。
一体何の目的で。
それもいい加減嫌がらせだと予測がついてしまう。
震える右手が、自動応答機器を探して机の上を彷徨う。
しかし思い出す、それは棚にしまったままだった。
棚は化け物の背後にある。なんてことだ。
仕方がない。
自分の研究室(ラボ)で必要になるとは思わなかったのだ。
次からは机のそばに常備するとして。
諦めて博士は目を開く。
椅子から立ち上がる。
僅かな風に軽い紙が数枚宙を舞う。
拾い上げることもなく。
化け物を振り返ることもなく。
「要件は簡潔に。わたしは無駄話が嫌いだ」
短くこちらから、声をかけた。
虚を突かれたその口は、もごもごと何かを言いよどむ。
「無駄って、きみな、これでも俺にとっちゃ重要なことなんだぞ? 少なくとも、あのジジィに騙されたことがはっきりした今、こっちの組織が本当はどんなところなのか、自分で知っておきたい。きみについてだって聞かされちゃあいるが、それもどれもこれも何も信じられないんだ」
「わたしのことが知りたいと」
博士が化け物を調べるように、博士(わたし)を調べるその権利は、動機は、この化け物にもあると言うことか。
理論には納得する。
しかし納得はすれど、それだけだ。
「お前がそれを知る必要はない」
拒絶する。
協力などしない。
別に隠すほどのことではない。
博士についてのデータなら組織のデータバンクにいくらでもある。
登録されている名前、慎重、体重、推定年齢、組織への所属年数。
知りたいのならそれを見ればいい。
だがこのようにして聞くと言うことは、この化け物が探ろうとしているのは、そのほかのこと。
それに一体何の意味がある。
彼自身が口を開かぬこと、他人が調べても分からないこと。
そんなものは存在しないのと同じ。
例えば。
「わたしの名前はグッドフェロー博士(Dr.Goodhello)」
化け物を振り返る。
白衣の裾が翻る。
丸く見開いた大きな目が一つ。
博士の一挙一動を追いかける。
「悪の組織カーディナルの顧問研究者であり」
あえて化け物が必死に避けていた形容を採る。
机の上にあった羽ペンを一つ、手に取りながら。
それを化け物にしっかりと見せつけながら。
「この世界で唯一の錬金術師だ」
術を使う。
赤い閃光。
たちまち、かざした羽ペンは凝固して、金へと変わる。
「それだけ知っていればいい」
博士は数歩、化け物へと歩み寄る。
くるりと羽ペン(金の棒)を手のひらの上で回す。
羽ペンが金になった。
目の前で起こったその現象に化け物は言葉も忘れて驚いているようで、博士がすぐそばへとたどり着くのも容易に許してしまう。
だからそのまま。
博士は、驚きで、あるいは好奇心で見開かれたままとなっていた化け物の目に、その羽ペン(金の棒)を思い切り突き刺したのだった。
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