あかいともしび

@Kattea

第1話

海辺の廃遊園地。

燃える瓦礫とサイレンの音。

その中を白衣の男が歩く。

翻る白衣には汚れ一つない。

生まれたばかりの眩い白だ。

フィールドワーク用の堅い靴が脆くなった石を踏み砕いた。

彼を先導するのは一つの万能飛行機器(VPM)。

彼自身が作った傑作。

宙を滑らかに進み、彼の行く先を白く照らし出す。

金属の回転羽が暗い炎の色を反射していた。

それ(VPM)は無機質な音声で案内する。

――生命反応なし、生命反応なし、

耳障りにならない音量で繰り返している。

生命体の反応を探知する機能。

それは他人嫌いの彼には必須の機能だ。

――生命反応なし

誰もいない、何もない。

本来、確認するまでもないことを確かめつつ歩く。

崩れたメリーゴーランド前で通信が入った。

「博士、いまどこにいる」

煩わしい声は耳を栓じても脳まで届く。

VPMが自動で応答する。

――博士はただいま作戦地Bにてフィールドワーク中です

通信先の声が低くなった。

「Bだと? 確かに貴様の担当地域ではあるが、そもそも貴様は裏方のはずだろう。なぜまたこのようなタイミングでフィールドワークなどに出向いている。それとも作戦に何か問題が起こったのか? 博士、報告せよ」

自動応答が起動する前に、通信の向こう側でもう一つの声が入り込んできた。

いつものことだ、どうせ何も問題など起こっていない、放っておけ。

上官、しかしながら勝手な行動を放置するのは。

止めてもあの奇人は聞かないさ、それに最低限の自衛手段はある、心配はいらん。

し、承知いたしました。

しかしあれも懲りないやつだ、本当のところは一体何を調査しているのやら。

問答の後、再び棘のある声が脳に刺さった。

「(咳払い)とにかく、期日中に報告書を提出することだ、以上」

静寂。

その一瞬に、彼は固く目を閉じる。

そうやってまた目を逸らす。

こうすれば彼の目に映るものは何もなくなる。

彼を脅かすものは何もなくなる。

人々の憩いであっただろう遊園地も。

その地下に隠されていたという敵性基地も消えて。

ただ残るのは、壊し尽くされて、もぬけの殻となった世界だけ。

もはやいわば、屍の山。

その中でだけ、微かに安らぎを得られるのだ。

潮風と熱風を肌に浴び、彼はただ歩み進む。

――生命反応なし

それでいい。

生命は日々更新される。

生命は毎秒更新される。

生命にとどまるものは何もない。

だから壊れることも、自然なこと。

間違ってない。

そのはずなのに、胸の中から陰りが消えない。

いつか彼自身も例外なく、壊れてしまうのだろう。

それだけならいい。

それだけがいいのに。

生命は脆い。

今この瞬間もっとも高尚な生命だって、次の瞬間には堕落し、最もおぞましい怪物にだって成り果てる。

そうおもうと怖気が走る。

醜い怪物になるくらいなら、そうなる前にひと思いに壊れてしまえた方が、

息を止めて、大きく吸って、

そうしてまた、炎の色を目に宿した。

静寂。

立ち止まってはいけない。

歩み続けなければいられない。

ようやく足を止められた頃には、廃墟のめぼしいところを一通り観測し終わっていた。

そして、今回のフィールドワークでもまた同じ結論に至る。

ここには何もない。

この実験(作戦)で、求める結果は全て得られた。

作戦完遂。

そんな一つの結論に。

定刻が近づいている。

これ以上長居すれば迎えの手間が来る。

その前に拠点に戻らねば。

そうやって踵を返しかけた。

そんな彼の耳に、その音は飛び込んできた。

――生命反応あり

VPMのアラーム。

一方を指して反応している。

何かいる、何がいる?

こんな場所に。こんな時に。

何が生命を叫んでいる?

耳を疑いながら、彼はアラームの示す方へ導かれるまま踏み出した。

幾つもの屍と白衣の裾を踏みつけた。

定刻は過ぎた。

引き返してももうどこかで煩わしい迎えと遭遇するのは間違いない。

それでも。この先に。

――生命反応あり、生命反応あり

そうしてそれを目視出来る範囲までたどり着いた。

そこで蠢いていたのは半死半生のばけもの。

人の形を模した黒い泥で出来たもの。

博士の倍ほどの体積がある大怪物だった。

心臓らしき赤い物体が胸とおぼしき場所から露出している。

それが炎の明かりの中、ほのかに光っていた。脈動していた。

瓦礫に埋もれ、日に焼かれ、折れた柱に何カ所も貫かれて。

よく見ればパーツも幾つも足りない様子だ。

しかしそれでもそれは間違いなく生きていた。

一つしかない目がぎょろりとこちらを見た。

真っ黒な感情が籠もった大きな目で睨み付けた。

その化け物は存在しない口で、音のない声で、訴えている。

人の言葉かどうかすら分からないし、その言葉が計算式に影響を及ぼすとは思わない。

「それでも、これも」

一つの実験機会だ。

ならば、調べ尽くさなくては。

調べ尽くして、結果を知らなければならない。

その結末を。

化け物が奏でる無音の叫びを浴びつつ、彼は通信機を起動した。

繋げる先は、先ほどのやつでいいか。

「検体を回収した。実験室を一つ開けておくように」

何だって、今のは誰だ、繰り返せ、どこにいる。

向こう側が騒がしいが、そのまま通信を切断した。

発見した生命体をVPMに吊り下げて運ばせる。

胴体を捕まれたばけものは、弱りながらも抵抗を見せた。

ばたばたと出鱈目に四肢を動かす。

拘束から逃れることは出来なかった。

しかしその肢の一つが、博士の白衣の袖を僅かに掠めて赤く染めた。

距離の取り方が甘かったか。

彼は首を傾げて、止血すらしない。

どちらかというと化け物の方が動揺したかのように、暴れるのをやめた。

力なく、おとなしく運ばれるようになった。

おかしな生き物だ。

今ので、それが手を伸ばしさえすればこの首が落ちることくらい分かっただろうに。

簡単に逃げられるかもしれないというのに。

それともそこまでの知能はないのだろうか。

化け物の方に動く意思がないのならば。

これ幸いと彼は腕を伸ばして、化け物の心臓に触れた。

緊張し、張り詰めた体と裏腹に、それは肉のように柔らかい。

しばらくそのリズムを計測してから、彼はぱっと手を払って付着した泥を払う。

無抵抗の化け物を片目に、彼は踵を返した。

――生命反応あり、生命反

役に立たなくなったアラーム機能を停止する。

聞こえるはずのない潮騒が聞こえた。

海辺の廃遊園地。

崩れた観覧車の上を歩き、博士は拠点へと検体を持ち帰る。

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