第34話 何もなかったかのような日

 中村亮の夢から覚めた翌日、朝のニュース番組で昨日の全国的睡眠不調について特集していた。どうやら今朝は解消されているらしく、睡眠の専門家が頭を捻っている。


(まあ、誰もある組織のせいだとは思わないよな)


 食パンをかじりながらテレビを見、守晴はそんなことを考えた。


「お。おはよう、守晴」

「おはよ、巧」


 守晴が教室に着くと、早速巧が彼のもとへやって来た。挨拶をしつつ周囲を見渡すと、昨日の様子が嘘のように賑やかになっている。


「……解消されたみたいだな」

「だな。本当に、ただの挨拶だったんだな」


 肩を竦めた巧の言う通り、昨晩の夢世界であの男は確かに「挨拶」だと言った。全国を巻き込む挨拶とは、大掛かりすぎるが。

 ここで、巧が声を潜ませる。何かと守晴が耳を傾けると、巧は「やっぱり、覚えていないみたいだな」と囁く。


「え? ……ああ、中村か」

「そう。さっき話してたんだけど、覚えている雰囲気は一切なかった。……お前、これまでこういう思いしてたんだな」


 少し寂しそうに言う巧に、守晴は曖昧に頷いた。


「まあ……。こうやって、夢世界で会った人と面識を持つことってほとんどなかったからな。最初は寂しかったけど、今はそれほど」


 それよりも、自分のことを覚えていた巧と幸時のことの方が、守晴にとっては驚きだった。

 守晴が思ったことを言うと、巧は目を丸くしてから嬉しそうにはにかむ。


「そりゃどうも」

「ふっ……何だよ、それ」


 思わず吹き出した守晴と、つられて笑い出す巧。一通り笑い、落ち着く頃にチャイムが鳴った。


「あ、鳴った」

「じゃ、後でな」

「おう」


 軽く巧に手を振り、守晴は鞄から教科書類を取り出して机の中に入れた。

 ちらりと中村亮の背中を見るが、彼はいつも通りのようだ。眠気で突っ伏していることはなく、守晴を安堵させた。

 その後やって来た担任教師は、昨日の休みを謝って、もう大丈夫だと頷いた。クラスメイトを含め、皆何が起こったのかは当然知らない。


「よし。皆授業の準備しろよー」


 そんな担任の声を締めに、クラスメイトたちがバラバラに動き出す。一時間目は、移動教室なのだ。


(行くか)


 守晴もまた、必要なものを抱えた。そこへ、同じような持ち物の巧がやって来る。


「行こうぜ、守晴」

「巧」


 最近、巧と一緒にいることが当たり前になっている。守晴は嬉しいような素直になれないような複雑な気持ちになりながら、巧と共に教室を出た。


 ✿✿✿


 放課後になり、守晴は巧と共に学校を出る。そこで話題になるのは、やはり昨晩の夢世界での出来事だった。

 赤信号で立ち止まり、巧はうーんと伸びをする。


「今日一日、特に何か起こるとかはなかったな」

「まあ、リアルに接触して来られたらどうしようかとは思っていたけど。……あいつらの狙いは、多分夢世界にあるんだろう。だとしたら、現実世界は」

「でも、実際は現実に被害が出てる。狙いは本当に、夢世界なのか?」

「……今のところ、憶測しかない」


 守晴の呟きは、現状そのままだ。だから巧もそれ以上は何も言わず、信号が青になると歩き出す。

 しばらく静かな時が続いていたが、守晴がふと口を開く。


「あの男は、次会ったら目的を教えてやろうと言っていた。だったら、遭遇するしかない」

「これからも、夢を渡るか?」

「渡らない選択肢が、そもそも俺には与えられていないからな。……そういえば、自分の夢世界から夢が始まることはほとんどないし」


 夢渡りを止めたいと思ったこともある。しかし夢を見れば、否応なくほぼ強制的に他人の夢世界で目覚めるのだから、とっくの昔に諦めた。夢世界でただ何事もなく時だけが過ぎ、朝目覚めることもある。

 守晴の言葉に、巧は首を傾げる。


「夢を見ない時もあるだろ?」

「見ないというか、もっと深くまで寝てる時な。そういう時は、夢世界に行かない。気付いたら朝だ」

「なるほどな。だったら、あいつに会える可能性は高いか」


 歩いていると、いつもの分かれ道に差しかかる。巧が「じゃ、また夢か明日な」と言って背中を向けた時、守晴は彼を呼び止めた。


「どうした?」

「……お前と桃瀬さんがいるから、大丈夫だ。そうだろ?」

「当然」


 ニッと笑った巧を今度こそ見送り、守晴は妙に気恥ずかしい気持ちのままで帰路についた。


 ✿✿✿


 その日の夜、別の場所。

 αと呼ばれる少年は、γと共にとある人物を待っていた。やがて現れたのは、中村亮の夢世界で黒い虎を操っていた男―β―だ。


「遅ーい」

「悪かった。……ボスはもうおられるのか?」

「まだだよ。それにしてもβ、思い切ったことをやったね」

「思い切ったこと? ……ああ、あのことか」


 γに指摘され、βはふっと肩を竦めて笑った。守晴のクラスメイトの夢世界に入り、直接守晴たちを揺さぶったことを言われたのだとβ自身が気付いたからだ。


「ボスが気にする存在とやらを、この目でちゃんと見てみたかったんだ。勿論、ボスに一応確認は取ってあるぞ?」

「……抜かりないのか。残念」

「おい、α。何が残念なんだ?」

「何でもないよ」


 ククッと笑ったαは、γに肩を叩かれて顔を上げた。そしてもう一人の気配があることに気付き、居住まいを正す。それはβとγも同じで、ある一点を見つめていた。

 γが代表し、その人物に挨拶する。


「お早いお着きでしたね、ボス」

「ああ、γ。αとβも、元気そうでなにより」


 影は揺れ、笑っているようだ。そして「ボス」と呼ばれたその影は、何かを懐かしむように目を細める。視線の先にいるのは、βだった。


「β、彼の様子はどうだった? 聞かせてくれないだろうか」

「承知致しました。では……」


 とある暗がりで、謎の影がゆらりと揺れた。

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