第5話 覚えている

 巧の夢世界から目覚めた朝、守晴はいつものように支度をして高校へ向かう。夢の中では暴れることが出来るが、現実の守晴は激しい運動は出来る限り避けている。いつ発作が起きてもおかしくはないため、自衛しているのだ。


「おはよー」

「おはよう。宿題やった?」

「よう、眠そうだな」

「実はさー」


 ざわざわと様々な声が聞こえて来る。しかしそのどれも守晴に向けられたものではなく、守晴はいつも通り静かに自分の席に着く。そのままホームルームを迎えるはずだった。


「葛城、おはよう」

「……鈴原?」


 鞄からテキスト類を出していた守晴は、思わぬ声に呼ばれて顔を上げる。目の前に立っていたのは、夢で出会った鈴原巧だった。


(いや、でもおれのことを覚えているはずはない……よな)


 この十年以上、例外はなかった。守晴は内心の混乱と焦りを悟られないよう気を付けながら、巧に「何か用?」と素っ気なく尋ねる。

 すると巧が「ある」と一言呟き、まだ誰もいない守晴の前の席の椅子を拝借した。椅子の背もたれに腕を置き、守晴を真っ直ぐに見つめる。


「なあ」

「……何だよ?」

「夢の中で、会ったよな?」

「――!?」


 ガタンッ。思いがけない巧の言葉に、守晴は動揺して立ち上がる。その際、椅子を倒してしまう。大きな音にクラスメイトたちが振り返るが、守晴は適当に誤魔化せる状況ではなかった。


「なん……で」

「外で話そう。来てくれ」


 注目を集めるのは、互いに本意ではない。巧に促され、守晴は椅子を立たせるとそそくさと廊下に出た。

 二人が向かったのは、廊下の端の屋上へ繋がる階段の踊り場。それより上は立ち入り禁止区域となっており、ここまで来る生徒はほとんどいない。巧に手招かれ、守晴は彼の隣、階段の段差に腰を下ろした。

 妙な緊張感にさいなまれ、守晴は頭を抱えた。しかし巧は、平静で話を始めようとする。


「……それでさ」

「一つ確認させて欲しいんだけど」

「何だよ?」


 首を傾けた巧に、守晴は軽く息を吐いてからゆっくりと言葉を吐き出した。


「鈴原が言ってるのは、夢の話なんだよな?」

「そうだよ」

「じゃあ普通、『夢に出て来たんだびっくりしたー』くらいのテンションだよな?」

「葛城の反応を見る限り、そういうのじゃないってのはわかってるんだろう?」

「うっ……」


 図星を突かれ、守晴は今度こそ白旗を揚げた。


「そうだよな……勘違いじゃないよな」

「真っ黒な鉄球に追いかけられていた俺を、葛城が助けてくれた話」

「その通りです。とぼけてすみませんでした」


 言い逃れは出来ない。守晴が素直に言うと、巧は「素直だな」とケラケラ笑った。


「でも、教室であれだけ驚かれると思わなかったな、俺は」

「例外過ぎてびっくりしたんだよ。今まで、俺と会ったことを覚えている人なんていなかったから」

「ふぅん……」


 息を吐く守晴に、巧はふふっと笑ってみせた。


「あれだけの衝撃的なことがあって、みんな覚えていないんだな。それはそれで凄いというか」

「……最初に渡った夢の主にリアルで会ったのは、小学三年生の時だった。周辺の小学校との合同運動会みたいなのがあって、それで別の小学校の女の先生だったんだ」


 守晴が「夢で会いましたね」と話しかけに行くと、その女性教諭は不思議そうな顔をした。そして、少し困ったような笑顔で「きみの小学校は向こうだよ?」と教えてくれた。守晴は彼女が覚えていないということにショックを受け、それからは夢の主に会っても話しかけることはなくなった。


「今考えたら、見ず知らずの子どもにそんなこと言われたら引くよな。あの先生、ある意味ナイスフォローだったと思う」

「……でも、俺は覚えてた。だから、夢で何があったか俺に教えてくれよ」

「は?」


 思わず出た声で守晴が問えば、巧は面白そうに肩を震わせる。そんなに驚くなよと笑う巧だが、守晴からすれば何から何までが規定外だ。


「お前……。根っからのコミュ症舐めんなよ」

「葛城の場合、話足りないだけだろ。夢の中じゃあんだけ喋るんだからさ」


 だから、と巧は言う。


「練習ってことで」

「練習?」

「今まで、誰にも夢世界のことは話して来なかったんだろ? 話せもしなかった。だったら、その相手に俺をすれば良い。俺も葛城の話、聞きたいし」

「……面白いもんでもないぞ? おれは口下手だし」

「そんなこと、問題じゃない。俺だって、夢のことでは悩んでたんだ。陸上を辞めた手前、人に相談するのもはばかられてさ。正直、こういうことも話せる友だちがいたら嬉しい」


 いいだろう? 断られるなど微塵も思っていないらしい巧の口ぶりに、守晴は息をつく。そして、仕方がないという顔で頷いた。


「わかった」

「やった。約束な?」


 パンッと良い音がして、守晴と巧は片手でハイタッチした。

 諦め顔の守晴と、笑顔の巧。正反対のように見える表情だが、守晴は内心気持ちが浮き立つのを感じていた。


(不思議だな、何か)


 強引に結ばされた約束だが、守晴は温かい感情が湧き上がるのに戸惑っていた。同時に口元がにやけそうになり、慌てて手のひらで口元を覆う。

 その後すぐにチャイムが鳴り、二人は慌てて教室に戻るのだった。

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