第4話 右往左往すればいい
大きな音と地響きをたて、消えたはずの黒い鉄球が守晴と巧の方へと転がって来る。それを見た巧は、ぎょっとして思わず叫んだ。
「なっ……何であれがこっちに来るんだよ!? いつもなら、記録更新したら消えるのに!」
「多分、おれがここにいるからだ」
「は? どういうこと……おい!」
巧は守晴に手を伸ばすが、あと一歩のところで届かない。
守晴は軽く地面を蹴ると、真っ直ぐに鉄球を見下ろす。現実では直径二メートルを超える球の上を取ることなど不可能だが、夢世界ならば重力などない。
(一発で仕留められるか……? いや、迷えば負ける)
流石にこれまで、これほどの大きさの無機物を相手にしたことはない。幸いだったのかどうだったのかはわからないが、経験不足であることに変わりはないだろう。
守晴はちらりと地上を見る。巧は茫然と守晴を眺めているが、鉄球が彼を襲う様子はない。あくまでも、鉄球の狙いは守晴だということだ。
迷う時間などない。守晴は落下に任せて鉄球に向かって叫ぶ。
「異物は出て行けってことだろおっ!?」
「――葛城!」
巧の悲鳴が聞こえた。彼が叫ぶのも最もで、鉄球は飛び込んで来る守晴を食おうとぱっくりと大きな口を開けたのだから。
真っ黒な闇が、目の前に迫る。しかし落下中に上昇出来るはずもなく、守晴は覚悟を決めて剣を振り上げた。
――ザンッ。
思わず目を閉じた巧だが、守晴の「はっ」という息を吐く声と共にダンッという着地恩を聞いて目を開けた。目の前に着地した守晴に、呆然と声をかける。
「……葛城」
「セーフってとこだな」
ニッと微笑んだ守晴が立ち上がると、彼の背後で巨大なものが動いた。あの鉄球が真っ二つになり、爆音をたてて倒れるところだった。砂煙が舞い、グラウンドの芝の一部が吹き飛ぶ。
「――げほっ」
「かはっ」
しばし咳込み視界を遮られていた守晴と巧だが、土煙が止むとようやくひとごこちつく。いつの間にか鉄球は姿を消し、それがあった場所は荒れていた。
守晴は振り向くと、荒れたグラウンドにしゃがむ。芝の下の茶色い土を指でいじり、声を上げた。
「うっわ。土丸出しじゃん」
「っていうか、あれ倒したのか?」
「倒したというか、どうなんだろうな?」
わからないんだ、と守晴は素直に言った。
「おれは十年くらいこうやって他人の夢に入ってはああいう化け物を退治して来たけど、倒しているのかはわからない。しばらくしてまた同じ奴が同じ人の夢に現れるようになることもあれば、二度目がないこともある。だから多分、おれがやっているのは一時しのぎだ」
「一時しのぎ……。つまり、夢を見ている本人、お前の言う夢の主のその夢を見る理由を解決しなければどうしようもないということか?」
「話が早いな」
ふっと微笑み、守晴は立ち上がる。そして巧と向かい合った。
二人が向き合うと、守晴が少し見上げる形になる。その事実にわずかに眉を寄せる守晴だったが、すぐに気持ちを切り替えた。
「おれは、夢の主にはなれない。だから、問題は主にしかわからないし変えられない、解くことも出来ない。……おれと会ったことは夢から覚めたら忘れるから、独り言だと思ってぶっちゃけてくれても良いし、しなくても良い。お前は忘れるんだから」
「今までそうだったのか?」
「ああ。これからも変わらないだろ」
どうする、と守晴は訊く。それに対し、巧は目を閉じて考えた。
「……」
「……」
守晴は根気強く巧の考えがまとまるのを待つ。夢世界は主が目覚めない限り続き、守晴も夢が終わらない限り目覚められない。
それから数分も経たず、巧は瞼を上げると「鈴原」と呼びかけた。
「どうした?」
「あっち、行こう。座ろうぜ」
「わかった」
巧の言う「あっち」とは、グラウンドの端に設置されたベンチを指す。大会出場チームの選手や監督、コーチなどが待機するためのスペースだろう。
二人は隣り合って腰を下ろし、守晴は何となくグラウンドを見渡した。グラウンドを一望出来、その広さに感嘆を覚える。
「俺、中学に入ってから本格的に陸上を始めたんだ。って、葛城はクラスメイトだから知ってるか」
「……まあ、噂程度なら」
端正な顔立ちで穏やかな性格の巧は、男女共に人気があると守晴は思っていた。大抵誰かと一緒にいて、自分とは正反対だと。しかし人気者は人気者で、思うところもあるのだろう。
守晴が知っていると頷くと、巧は「だよな」と笑った。少しだけ辛そうに。
「陸上が、走るのが楽しくて高校でも続けて来た。四年間、かな。全国大会にも出場して、練習は大変だけど辞めたいと思ったことはなかったんだ」
「……」
「でもある日の地方大会で、盛大に転んで骨折した。医者には、怪我は治るけれど陸上を競技として続けることは出来ないと言われた」
たった四年、されど四年。酷使して来た体が悲鳴を上げ、限界を迎えていたらしい。だから、巧は退部した。目指していた二回目の全国大会は目の前だったが、一人棄権するしかなかった。
「ドクターストップだったから、退部を止められはしなかった。マネージャーとして残らないかとは言われたけれど、選手として所属していたかったから断ったんだ。陸上はもう諦めて、勉強や他の何かに一生懸命になりたいと思っていた。だけど……俺の心は諦め切れていなかったんだな」
「自覚、あったんだな。あの鉄球に追われる理由がわかっていたのか?」
「ずっとわけがわからなかった。だけど今日、鈴原に言われてハッとした。――俺はまだ、未練があったんだ。でも諦めないといけないと思っていたから、ああいうのが現れたんだな」
情けないな。乾いた笑い声を上げ、巧は言う。
「別の何かを見つけるんだって焦って、でもまだ見付からない。笑っているのも、少し疲れて来た」
「……焦るもんだろうな。今まで一番大事だと思っていたものを失ったんだ。次の何か、代わりの何かをって思うのは自然だと思う。それに……おれはあんたの笑ってる以外の表情も見てみたいけどな」
「……口説かれてる?」
「まさか」
肩を竦め、守晴は立ち上がった。
「焦っても仕方ない。でも焦ってしまうんだろ? 良いじゃん、右往左往しても。迷えば良い。お前にはちゃんと時間があるんだからさ」
「迷えば良い、か。……初めてこんなこと他人に話したよ」
ふっと微笑み、巧もベンチから立ち上がる。スタジアムの上の方の座席が薄らいできているのは、朝が近い証拠だろうか。
守晴も景色の変化に気付き、巧を振り返る。
「お前のやりたいこと、見付かると良いな」
「……ああ。また、学校でな」
「お前は覚えていないだろうけどな。また学校で」
「うん」
二人の周囲を白い霧が包み込み、それぞれの意識を浮上させた。
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