第3話 鈴原巧
短いファンファーレが鳴り響き、選手が入場する。それはよくある陸上競技の一幕かもしれない。しかし今、ファンファーレを受けてやって来たのはたった一人。
(
中学から陸上を始め、全国大会まで行ったらしい。高校でも陸上部に入ったが、大怪我をして辞めた。守晴のクラスメイトの誰かが、巧のいない時にそんなことを大声で話していた。
(いないと思っていたから、あんなことが言えたんだろな。廊下に鈴原がいて、気まずくて教室にしばらく入れないでいたことを知らないから)
基本的にぼっちの守晴は、昼休みに弁当を食べ終わるとよく図書館に行っている。ある時の昼休み、とある男子生徒が巧の話をしていた時、守晴は図書館に行くために廊下へ出た。そして、戸の前で固まっている巧とすれ違った。
(あの時は無表情だと思ったけど、どんな顔したら良いかわからなかったんじゃないかって今なら思う。だって、今のあいつの顔は酷い)
死を覚悟した兵士のような顔をした巧を見守っていた守晴は、巧がクラウチングスタートの動作を始めたのを見た。流れるような所作でスタートの音を待つ巧に、守晴は思い切って声をかける。
「――っ、鈴原!」
「え……葛城? ごめん、話は後だ」
「えっ」
巧は慌てた様子で改めてトラックの先を見据える。何かあるのかと守晴は見渡すが、巧の他には何も見えない。
しかし、バァンッという空砲が鳴らされた瞬間に状況は変化した。
(あれは……何だ!?)
走り出した巧の背を追うように、大きな黒い塊が駆ける。巧はそれに追いかけられながら、ゴールへ向かって走っているのだ。
やがて五百メートル走り終わり、巧はギリギリ黒い塊に追い付かれずに走り切った。巧がゴールするのと同時に、黒いものは消えてしまう。
はぁはぁと息を切らせている巧に走り寄り、守晴はかれが落ち着くのを待つ。夢の中ということもあり、現実よりも早く呼吸を整えた巧は、不安そうに自分を窺う守晴に笑いかけた。
「ごめん、驚かせたな」
「いや……。あれはいつもなのか?」
「そう、だな。毎晩ではないけれど、時折夢に出てきて追いかけて来る。その度、前の記録をわずかでも更新しないと追いつかれるんだ」
「……追いつかれたら、どうなるんだ?」
嫌な予感を覚えながら、おそるおそる守晴は尋ねる。すると巧は、遠い目をして苦笑いした。
「何度か追いつかれたことがあるんだけど、あれにガバッと食われて目が覚める。それで、思いっ切り熱を出すんだよ。風邪の時期とかそうじゃないとか関係なくて、医者にも首を傾げられた」
大抵は、疲れが溜まっていたのだろうと言われる。しかし巧自身は、夢の中で黒いものに追いつかれて食べられたからだとわかっていた。
「でも、説明なんて出来ないだろ? 夢の中で化け物に食われて熱が出ました……なんてさ」
「……そうだな」
「真夏の熱はキツかったなぁ……。だけど、最近はわずかだけど追い付かれるギリギリの記録を出すことが出来るようになったんだ。このまま追いかけっこし続けるのは、正直しんどいものがあるけどな」
「鈴原……」
守晴は言葉を詰まらせる。彼の見てきた悪夢は、どれも夢の主の思いが影響して形作られていた。それと同じだとすれば、巧は陸上に対して何かしらの思いを持っているということになる。
(今までは全く知らない人ばかりだったから、何も考えずに助けてきた。だけどクラスメイトとなると……気持ちが違うな)
勿論、助けになりたい。しかし、簡単に踏み込んで良いものかと躊躇してしまうのだ。
守晴が思い悩んでいると、不思議そうに首を傾げた巧が先に疑問を投げかけて来た。なあ、と目を瞬かせる。
「これは、夢の中だよな?」
「ん? ああ、そうだね」
「でも俺さ、この夢はよく見るけど、他の誰かに会ったことも喋ったこともないんだ。こんなに起きている時みたいに普通になんて、さ。え、これどういうこと?」
「……まあ、そういう反応をするのが普通だよな」
肩を竦め、守晴はうんうんと頷く。いつも通りの展開で、少し気持ちが落ち着いて行く。軽く深呼吸をして、守晴は毎回やっている説明を口にした。
「信じるか信じないかは任せるけど、おれは他人の夢の中に行くことが出来るんだ。行くというか、飛ばされる感じに近いんだけど。今までも何度も誰かの夢に渡っていて、その度に夢の主に会ってきた。……なあ、鈴原はこの夢が好きか?」
「この夢が?」
「そう。好きなら、ずっと見ていたいのなら止めない。だけど今まで出会った夢の主たちは、辛い夢や悲しい夢、怖い夢を見ていることが多かったんだ。寝ているのに、疲れを取るために寝ているのに、その時間にも嫌な思いをするのは、きっと誰も望んでいない。折角なら夢を楽しいものに変えたいから……おれにその手伝いをさせて欲しい」
「……葛城ってそんなに喋れるんだな」
巧の口から零れ落ちたその言葉に、守晴は目を丸くした後に「まあね」と応じた。
「おれは知っているだろうけど病院にいることが多かったから、誰かとたくさん話すことが苦手なんだ。だから今喋っているのは、あらかじめ決めていた取扱説明書の中身みたいなものだよ」
「へえ……」
「へぇって。まあ、そういうことだ。で、鈴原の返事は?」
どうするのか。守晴の問いに、巧は少し顎に指をあてて考えてから答えを口にした。その声は少しだけ、疲れがにじんでいる。
「この夢を見る度に、黒い球に追いかけられるのは嫌だ。もう少し穏やかに眠りたいなって思うよ。……もう、陸上には戻れない」
「決まりだな」
守晴はパンッと両手を打ち合わせると、念じて剣を召喚した。鞘に入っていない抜き身の剣が突然出現し、今度は巧が目を丸くする番だ。
「えっ、何それ?」
「剣。これで、悪夢の種を斬るんだ」
「悪夢の種……?」
巧が首を傾げた時、巧と守晴の背中に悪寒が走った。その元凶はと捜せば、先程消えたはずの黒い球がこちらへ向かって転がって来るところだった。
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画獣夢晴~夢世界を渡る力を手に入れたおれは、想像力で現実世界を救いたい~ 長月そら葉 @so25r-a
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