第2話 夢の主

 高校二年生の守晴すばるは、高校生になってようやく毎日学校に通えるようになった。幼い頃から体が強くなく、風邪をひいてはこじらせ重症化させて入院したり、季節の変わり目に大きく体調を崩したりしてきたのだ。お蔭で近くの大学病院の先生や看護師とは顔見知りになり、反対に学校ではクラスメイトなどと親しくなる余裕もなかった。


(高校生になって体調が落ち着いたとはいえ、そう簡単に人間変われないんだよな)


 月に一度の検診以外、ほとんど病院の世話になることはなくなった。しかし友人を作って来なかったツケは大きく、高二になった今でも所謂ぼっちだ。

 登校し、授業を受けて帰宅する。必要以上は人と関わることなく、空気のように一日を送るのが守晴にとっての日常だ。


「あ……」


 帰宅のために歩いていた廊下で立ち止まり、そこから見渡せるグラウンドの一点を見つめる。守晴の視線の先には、グラウンドで部活に励む少年の姿がある。彼と現実で話したことは一度もないが、夢世界で言葉を交わした。


(トラックに引かれる夢を何度も見るなんて、精神的に参っていたんだろうな。陸上部でなかなかタイムが伸びず、かなり悩んでいたみたいだけど。今はもう、悪夢は見ていないみたいだ)


 手にしたスポーツドリンクを飲みつつ談笑する少年を確かめて、守晴は視線を外して歩き出す。あの少年もまた、守晴のことを覚えていない。


「ふう」


 寄り道せずに帰宅し、夕食までの時間に宿題を済ませる。シャワーを浴びて、自由時間だ。


「さて、何読もう?」


 自室の本棚を一見して、守晴は腕を組んだ。

 守晴の趣味は読書だ。小説でも新書でも専門書でも、基本的に面白いと思ったものは何でも読んでみる。しかし、物語を読むことが最も多いかもしれない。


(今まで夢世界で見たことがあるものが多いのは、みんな多かれ少なかれこういうのを読んでイメージがあるからなんだろうな)


 この前のビル群も、その前のジャングルも、そして一昨日目にした西洋風の城も。どれも物語の世界観として申し分ないが、その全てで夢の主は怖い思いをしていた。少なくとも、楽しい状況にはなかったのだ。


(おれに出来るならって始めた夢渡りだけど、こんなに色んな世界に渡ることになるとは思わなかったな)


 パラパラと本のページをめくりつつ、今夜の供を探す。

 守晴が夢を渡ることが出来ることを知ったのは、五歳の時。きっかけは何度目かの入院をしていた夜、不思議な人に夢で出会ったことだった。

 幼い守晴は鮮明すぎる夢世界に驚き怖がり、出口を探して彷徨い歩いた。その中で出会った正体不明性別不明の人は、守晴を出口に導いてくれたのだ。

 その翌日、守晴は夢の中の扉を探した。それを見付ければ、目覚めることが出来るから。しかしそれがまさか、他人の夢世界へ繋がるものとは思いもしなかった。


(念じた武器が現れて、それを使ってお化け退治をしたのが始まりだったっけ。我ながら、怖いもの知らずの子どもだな)


 夢の中ならば、息が切れない。全くの疲れ知らずで、自由に駆け回ることが出来た。初めての武器は、武器と言えば剣だろうという安直な考えのもとで具現化した。武器まで手に入れてしまえば、幼い守晴にとって鬼に金棒のような気分だったことを思い出す。


「……寝るか」


 読んでいたのは、高校生を主人公とした恋愛もの。時折小っ恥ずかしい気持ちにはなるが、同時に自分にはない明るい爽やかさを眩しく感じる。その文庫本を半分ほど読んだところで、守晴は栞を挟んだ。

 昔から寝つきはよく、幼い頃から予兆なく引き込まれる誰かの夢世界へ行くのを楽しみに目を閉じていた。


(それは、今もか)


 部屋の照明を消し、守晴は瞼を下ろす。夢世界へ誘われるのは毎晩ではないが、今夜はどうだろうか。

 そんなことを考えながら眠りについたからか、瞼を上げた守晴が見たのは、誰かの夢世界だった。


「ここは……スタジアム? 陸上の競技場みたいな感じだな」


 守晴の言う通り、彼が立っているのは大きなスタジアムの中だ。陸上やその他のスポーツの大会、何ならオリンピックの会場にもなりそうな競技場。芝の敷き詰められたグラウンドの中央で、上を見上げてみる。

 抜けるような青空が広がっているわけではなく、先の見えない白い雲のようなものに覆われている。それはこの夢世界だけではなく、どの世界でもそうだ。現実世界でなければ、青空を見ることは出来ない。


(まずは、この夢世界のあるじを捜さないと)


 ただ夢世界を歩くだけでは、普通の夢と何も変わらない。ここ十年ほど夢世界を渡って来て守晴がわかったことは、他人の夢世界に引き寄せられ足を踏み入れることには、きちんと理由があるということ。


「客席の方にも行ってみるか」


 大抵の場合、一つの夢世界に一人の夢の主がいる。時折夫婦で同じ夢を見ているということもあるが、それは特殊な事例だ。

 守晴は夢の主を見付けるため、客席へ向かおうとグラウンドの出入り口を探し歩いた。広いグラウンドの端に向かって歩いていると、出入り口が見えて来る。ある一つを目指して歩いていた時、突然スタジアムにファンファーレのような音楽が流れた。


「何だ? ……ん、あれは」


 向かおうとしていた出入り口から、誰かがこちらへ向かって来る。夢の主かと守晴が良く目を凝らすと、その人物に見覚えがあった。


「……鈴原すずはら?」

「……」


 陸上部のユニフォームを着て、トラックに向かう少年。鈴原巧すずはらたくみは、守晴のクラスメイトだ。

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