アルクの魔女狩り

睦月紅葉

ジーン・ド・アルク

 森は燃えている。


 すでに日は落ちているというのに、真昼かと錯覚するほどの明るさと騒がしさが森を支配している。


 そんな森の中、瓜二つの格好をした人影が二つ、向かい合っていた。

 片や若者、片や老婆。両者とも、闇夜に紛れてしまえば見分けもつかなくなってしまうような暗い色のローブを身に纏っている。フードを深く被っているため、その表情は伺えない。


 若者に相対していた老婆はおもむろに大きく腕を回したかと思うと、勢いよく右腕を前方に突き出し若者へ向ける。瞬間、老婆の手のひらには、燃え盛る森の中でなお、まばゆく己を主張するほどの光量を持つ火球が生み出された。はじめ一抱えほどの大きさであったそれは、みるみるうちにその輝きを増しながら収縮していく。強引に、けれど確実に、力を集中させられていた火球は刹那の一瞬にその緊張を解放した。

 凄まじい光量で弾け飛んだそれは、瞬く間に老婆を取り囲む何匹もの巨大な炎の蛇となっていた。


 炎によって生み出された蛇達は、老婆の合図とともに各々若者へ向かって突き進む。その牙で、その熱で、目の前の人間の機能を停止させることだけを目的に、圧倒的な迫力と質量でもって迫る。


 しかし、若者は怯まない。深く被ったフードの下でぎらりと冷光を放つ双眸は眼前の蛇を真正面から睨め付ける。そして────若者は弾けるように前方へ跳んだ。真っ直ぐに自身を狙ってきた蛇を、すれ違いざまに回転しながら両断する。首を失った蛇は、その形状を保てずに火の粉として四散した。着地した若者は、すぐさまバックステップ。複雑な軌道を描き左右から挟み込んできた別の二匹の蛇たちは、予測しえなかった唐突な目標の消失に対応できず、己らを己らの牙で相打つ。人一人を簡単に殺しうる過剰な火力を互いに送り込まれた蛇たちは、瞬間的に膨れ上がり、瞬き一度ほど耐え留まったが、抵抗虚しく爆散。弾け飛ぶ火の粉を夜色のローブで払いながら駆ける若者は、地上から弧を描き上方から迫る三匹の蛇を危なげなく躱す。


 炎の蛇の猛攻をいとも容易く切り抜けられた老婆は、自身の周りにトグロを巻くように待機させていた蛇を放った。蛇行しながらその軌跡に炎を撒き散らす蛇は豊かなスピードに乗って若者へ突き進む。若者は、蛇の炎によって退路を断たれながらも、眼前にギロチンの如く狭まってくる蛇の大顎を紙一重で避け、顎を閉じきった蛇を一匹目よろしく切り裂いた。


「う……くう……!」


 老婆は自身の攻撃が悉くいなされたことに苦悶の表情を浮かべながらも、けれども自身のターンの続行を確信する。老婆が指をピンと伸ばし腕を振り上げるとそれを合図に、若者後方の地中から最後の蛇が飛び出した。


「はッ」


 間一髪でそれに気がついた若者はなんとか地面を転がって回避する。しかし、最後の蛇の攻撃は終わらない。老婆が奇妙に腕を回すジェスチュアをすると、蛇はそれに呼応してトグロを巻き始めた。老婆ではなく、若者を中心にして。


 蛇はゆっくりと、だが確実にトグロの径を狭めていく。まるで螺旋を描くような軌道だ。トグロの中心へ誘導された若者は、あたりを見回して自身の周囲を確認する。出口など無い火のドーム。頭上からは巨大な蛇が頭をもたげている。それを知覚してなお若者は慌てるでも攻撃するでもなく……何を思ったか、ただだらりと脱力した。


 それを見た蛇と老婆は勝利を確信し、逃げ道のなくなった若者へ避けようのない一撃を繰り出した。トグロによって八方どころか三六〇方塞がった中心点に居る若者に対して、その頭部を持ち上げた蛇の牙による上方からの降下攻撃を。


 重力が物体を地面に引きつけるよりも遥かに速く降下する蛇の顎。


 蛇のもたげた頭から地面までのほんの数メートル。若者はかっと目を見開き、万雷の集中力でもって右腕を振り上げる。何よりも鋭く、疾く、正確無比に。至極シンプルな動作であったが、それはそのまま蛇への痛烈なカウンターとなる。白銀閃き、蛇は動きを止めた。


 無限のような一瞬の静寂が流れる。


 あったかもわからない時間差で、最後の蛇には大口を開けた格好のまま上顎に亀裂が入る。そして、ずるりと頭が落ちた。


 下顎のみになった蛇は、その残骸を地面に叩きつけることすら出来ず、渦巻き状に放射される爆炎と化した。


 あらゆる場所に燃え移り、森を侵略する勢いを弱めない炎の中で、若者はローブの裾をたなびかせながらゆっくりと老婆を見た。


 若者と目が合うや否や、老婆は全ての思考プロセスを完全に放棄し、強く地を蹴った。前にではなく、後ろに。不自然な体勢から強引に後方へ引っ張られた老婆の体は当然バランスを崩し、制動も効かぬまま、無様に地面を転がる。


 瞬間、ぶおッ、と老婆の頭上を一筋の冷たい風圧が撫ぜた。ほんの一瞬前に胴体があった場所を容赦なく通り過ぎたそれを、老婆は恐々として見上げる。


 それは剣だった。目の前の若者が振るう、たった一本の剣だった。ずっと振るっていた剣。自身の操る炎の蛇たちを悉く無力化した剣、そして今まさに自らを狙っている、剣。


 若者は横薙ぎに切り払った体勢から剣を上段に構え直し、振り下ろす。迷いなく真っ直ぐに脳天を狙うその銀閃に対し老婆ができることはといえば、身を捻って何とか致命傷を避けることくらいだった。頬を掠め、老婆の白く乾いた髪の何本かを散らした若者の剣は、やすやすと森の地面を深く抉った。


「ひッ」


 上ずった情けない声をあげながら、老婆は弾かれたように立ち上がり駆け出した。


 今の攻撃を避けられたのは単なるまぐれだ。剣の軌道を見切ったわけではない。体が反射的に危険を感じて身を捩ったのだ。二度はない。


 若者が剣を持ち上げるのも、自身のフードが脱げて醜い素顔が晒されるのも何もかも無視して、老婆は必死に逃げた。抵抗しようなどという気は既に失せていた。走れ、走るのだ、と老婆は己自身を叱咤鼓舞し、生き延びることだけを考えていた。一目散に、無我夢中に。


 大粒の汗がその渇いた皮膚を濡らして滴る。それを拭う余裕すらなく、老婆はひたすらに真っ直ぐ走る、走る、走る───


 再び、何かが老婆の頬を掠める。それは、張りの強い弓で飛ばした矢が風を切るような音を伴っていた。老婆が振り返ると同時、すぐ後方で何か固いものが衝突したかのような轟音が響く。その残響が収まらぬ中、震える老婆の視界に映ったのは、あの若者の姿だった。その手に剣はない。若者は剣を投擲したのだろう。たった今自分の真横を通り過ぎ、背後にあるそれが、もしかすると自身の命を奪っていたかもしれないという事実に、老婆の張り詰めていた意識はプツンと切れた。


「あ、ああ……」


 うわごとのように呟きながらへたり込む。自身の体重を支えることすらままならなくなっていた。視界は滲んでぼやけ、焦点が合わせられない。指先は痙攣し、耳鳴りもしていた。ひどい頭痛と吐き気を催し、二、三度えづいた。全身が恐怖に打ち震えている。


 老婆は今、五感をフルに使って眼前に迫る死を意識していた。


 若者はそんな老婆の横を通り過ぎ、自らの放った剣を回収する。


 ゆっくりと老婆に歩み寄り、見下ろしながら剣を突きつけた。


「何か言いたいことは? あるいは、聞きたいことは?」


 若者の声はよく通る声だった。少し高めなその声は、しかし底冷えするような冷たさに満ちている。老婆はまるで魔法にでもかけられたように顔を持ち上げ、か細い声で言った。


「何故……わしは殺されにゃならんのだ」


 それは、心からの問いだった。


「何故?」


 若者はその問いに応えるべく、屈み込んで老婆と目線を合わせる。そして、老婆と同じく被っていたフードを外した。若者の素顔が露わになる。男性にしては少し長めな亜麻色の頭髪をかきあげながら、緑色の瞳で老婆の濁った白濁色の瞳を覗き込む。


「僕の顔に見覚えはありますか?」


 老婆は壊れたおもちゃのように、ぶんぶんと首を横にふる。


「そうですか。では、ジェーンという名に聞き覚えは?」


 老婆はなおも首を振り続ける。


「し、知らん。何だと言うのだ」


「知らない? ……そうですか」


 ですが、と若者は続ける。


「僕は貴女を知っています。とてもね」


「何……?」


 訝しげに眉を顰める老婆の疑問に応えるように、若者は話す。


「僕はこれまでに貴女のような魔女を数人殺しました。この辺りでは『魔女狩り』と呼ばれています」


 それはとても朗々とした語り口で、一切の感情を孕まないものだった。


「貴女は決まった拠点を持たないようなので、探すのにはだいぶ骨が折れましたよ。業火の魔女……いえ、フランメ・ド・アルク」


 名を言い当てられた老婆……フランメはただでさえ形の悪い眉をさらに歪に捻じ曲げ困惑した。なぜこの若者は自身の本名を知っている? それに、出身を冠する性までも。疑問を挟もうと口を開きかけたが、それは若者の二の句によって留められた。


「僕の性は、アルクと言います。この意味がわかりますね?」


「……同郷、か」


 フランメが震えながら絞り出した声は異様に掠れていた。


「ええ。……昔話をしましょう。と言ってもほんの三年前のことです。僕たちの出身であるアルク村では三年前、とある裁判が行われました。その裁判のことは覚えていますね?」

「三年前……はッ、ま、魔女裁判……」


 思い当たった様子で、何かを言いたげなフランメを無視しながら、若者は昔話を続ける。


「その裁判は、村を上げて行われたもので、最初からある人を殺すために仕組まれたものでした。『合法的』にね。全くもって反吐が出ます。自身の正当性を主張するためなら、人一人を殺したって欠片程の罪悪感すら抱かないんですから、貴女達は」

「ま、まさか、お前は……ジェーンというのは……!」

「そう、その裁判で殺されたのはジェーン・ド・アルク。その村唯一の魔法使いであり……その力を恐れた村人達に魔女と糾弾された無実の女性です」


 若者の言葉に頭を抱えだすフランメ。ああ、とかうう、とか意味のない呻き声を発し続け、最終的にがばっと勢いよく顔を上げる。若者と目が合った。


「ひッ。お前は……お前は……!」


 一秒ほどまじまじと若者の顔をよく見て、慄いたように後ずさる。

 その様を冷ややかに眺めていた若者は、嘲るように呟く。


「魔女でも亡霊には恐怖するものなんですね」


 このとき、フランメは思い出していた。いや、否応なく記憶を引き摺り出されていた、という方が適当かもしれない。


 かつての故郷の広場。今、ここで燃え続ける森とは比べ物にならないくらい小規模な火──人一人がすっぽりと収まるくらいの規模だ──が、何人かの人間に囲まれている。その中の一人はフランメだ。自分を含め、火を囲んでいた人間達は、みな喜びの声をあげていた。ある者は拳を突き上げていた。ある者は満面の笑みを浮かべていた。自分は、心の底から安堵していたのを覚えている。

 悪の魔女を倒したぞ。悪魔と契約した穢らしい女を殺したぞ。これで村は平和だ。これで私たちは安全だ、安泰だ。ああ、良かった。良かった。

 自分たちは思い思いに快哉を叫んでいた。

 その歓喜の輪の中で、ごうごうと燃え続ける火。その只中には一人の女性が、そこに在るべきと言わんばかりに収まっていた。


 記憶の深層、真相。その女性の姿は。


 亜麻色の髪に緑の瞳。女性にしてはやや大きめの体躯だった。


 そして特徴的な……その一人称を、思い出した。


 瞬間、焦点の合わない視界に、克明にその姿が浮かび上がる。目の前の若者と重なり、同化する。


「もう一度、聞きますよ」


 若者の声が、フランメの意識を夢想の狭間から現実に引き戻す。


「う、ひ……ひぇああ……」


 もはや震えというよりは痙攣に近い動きを見せながら、まともに力の入らない全身を全霊で目の前の若者から遠ざけようとするフランメ。意思ではなく、本能的な恐怖を感じていた。


「ジェーンという名に、聞き覚えはありますか? そして、僕の顔に、見覚えは?」


 フランメは叫んだ。反射的なものだった。


「お前は! お前は! ジェーン・ド・アルク! あの時殺したはずの! 何故ここに居る! 何故生きている! 何故今更わしの前に現れる⁉︎」


 もはやフランメは正気を失い、錯乱していた。皺枯れた叫びは、森が燃える音と同化しかき消される。老婆の絶叫には誰も答えない。


「何故だ、何故だ、何故だぁぁぁあああぁぁあぁあああぁぁぁ‼︎」


 既に、まともな思考力なんて残っているはずもなかった。あらゆる感情を、思考を、意識を投げ捨てて、ただ叫んだ。叫んで、叫んで、叫び続け……


 ぶつんと、断ち切れたようにフランメは気を失った。声も止まった。


 後には、灼けつくような空気の中でなお燃える森と、冷たい眼差しを持つ若者が残った。



「────はッ」


 長い夢から醒めたような心持ちで、フランメは目を覚ました。けれども、ほんの二、三度の瞬きで、夢は現実であったことを理解する。燃えている森も、剣を持つ若者も、追い詰められている自分も、夢であれと願った全て、今自分が見ている景色と全く同じだからだ。


 フランメは今、木に吊るされていた。魔法が使えないよう、両手を後ろ手に縛られ、その上で一本のロープによって空中に浮かされている。足元には、受け皿のように大口を開けて火炎が燃え盛っていた。身を捩るが、だらしなくぶらんと体が空中を揺れるだけで、脱出は不可能だと理解する。危機的な状況であることは確かなはずなのに、先程の恐怖や混乱はどこへやら、かえって若干冷静になっていた。恐怖が一回りして、適切な感情を出せないほどイカれてしまったのかもしれない。


「目が覚めましたか」


 フランメの足元の火を眺めるように座っていた若者は、目線を上げてこちらを見る。傍らの剣を持ち、立ち上がると若者は口を開いた。


「脅しが過ぎました」


「何?」


「僕は、貴女が思っているような存在ではありません」


 若者の言葉を理解できず、フランメは問う。


「ジェーン・ド・アルクではないと?」


「当たり前じゃないですか」


 何を馬鹿なことを、と若者はフランメの問いを一笑に伏す。


「魔法があったって、死者が蘇る訳はないでしょう。幽霊や亡霊なんてもってのほかです。非現実的です。本当に信じていたんですか? 歳のわりに随分夢見がちなんですね」


 態度こそ丁寧なものの、言葉の端々にこちらをとことん軽蔑しているのが伝わってくる。神経を著しく逆撫でされたが、フランメに出来たのは憎々しげに目の前の若者を睨みつけることだけだった。


 結局、フランメはこう問うしかなかった。


「お前は、いったい何なんだ?」


 若者の答えは至ってシンプルだった。


「魔女狩りです」


 あくまで人を食ったような若者の言葉にフランメは納得がいかず、闇雲に吐き捨てた。


「違う。そんなことを聞きたいのではない。何故お前はわしの素性を知っている? 何故お前はジェーン・ド・アルクの姿をしている? 何故お前は魔女を狙っている? お前は、一体、何者なのだ?」


 捲したてるフランメに対し、若者は至って涼しい顔だ。まあまあ、と子供を宥めるように手のひらをこちらに向ける。


「そんな矢継ぎ早に……。せっかちな人ですね。老い先短いというのに、生き急いでどうするんですか」


 ぐぅ、と返答に窮する。


 確信した。この若者は、こちらをとことん侮辱している。殺生の決定権を握りながら、こちらに与えうる限りの屈辱を与えんとしている。ふつふつと強い憤りを感じる。いくらでも、感情のままに喚き散らすことは出来た。しかし若者の気を損ねれば即座に自身を吊っているロープを切断され、足元の火に叩き落とされるだろう。となれば、悔しいがこちらに出来ることは何もなかった。フランメは、文字通り自身の生命線たる命綱を切られぬよう、ただ若者の言葉を待ち、浴びせられる屈辱に耐えるしかなかった。


 若者は語る。


「ジェーン・ド・アルクは……貴女方が無実の罪を被せて殺したひとは、僕の姉です」


「姉……」


「ええ。ですから、顔が似ているのは当然でしょう?」


「では、魔女を狙うのは……。復讐、というわけか。姉を殺したわしらへの」


「はい!」


 若者はこの場に不釣り合いな、屈託のない笑みを浮かべる。


 その異質さ、行動と表情の乖離に、フランメは若者の抱く、暗くて重い後ろ向きな信念を目の当たりにする。まるで、姉の仇を討ち、相手を追い詰めている時が生涯唯一の楽しみだとでも言わんばかりのその笑顔は、幾度となく自身に向けられた剣よりもなお、殺気を帯びているように感じた。


「貴女方は、魔法使いである姉を殺し、その魔法の力を奪って、何人かで共有して魔女となりました。それを知り、僕は貴女方を何としても倒す為、それまでの全てを捨てました。故郷も、思い出も、名前も、何もかも……。今は、姉の名前を借りて、ジーンと名乗っています。ジーン・ド・アルク。この名を脳のしわ一つ一つに刻みつけてください。全ての記憶の根底にこの名を置いてください。僕の姿、姉の姿、感じた恐怖、あなたが僕について考えたことの全て、今まで僕が話した一切合切、これから僕が話す一言一句、欠片たりとこぼさぬようにこの名で覚えてください」


 若者……ジーンはこちらの首元に剣を突きつける。剣が揺らめいて見えるのは、陽炎のせいだけではないだろう。熱気と緊張で喉はカラカラなのに、滴る冷や汗は止めどなく頬を流れていく。顎から垂れた雫は眼下の火にも辿り着けずに熱気で蒸発した。


「僕の名はジーン・ド・アルク。魔女狩りです」


 何も言えなかった。喉元の剣故にではない。ジーンから発せられる威圧感にである。空中にいるにもかかわらず、自身にかかる重力が何倍にも増大した気がした。出来ることならば、このまま重力に抗わず地面に突っ伏してしまいたかったが、そんなことが出来るはずもなかった。唾を飲み込もうとするが、乾いた口内はそれすら許さずに、空虚だけを嚥下する。


「二つに一つです。僕の要求に応えてください」


 ジーンは片眉を上げ、剣を持っていない方の左手で指を一本立てた。


「一つ。このまま僕に首を切られて死ぬ」


 ジーンは二本目の指を立てた。


「二つ。他の魔女の情報を貴女が知っているだけ全て教える」


「他の……他の魔女の情報を教えれば、命は助けてくれるのか?」


 フランメの問いに、ジーンは表情を変えぬまま答える。


「少なくとも、貴女が話せばその胴体と頭はお別れせずに済みます。二秒以内に応えてください」


 こちらの逡巡を許さないと言わんばかりに、ジーンはあまりに短いカウントダウンを始めた。


「二」


 左手の指を一本折る。


「一」


 左手の指をもう一本折る。


 左手が握り拳を作る直前、フランメは絞り出した。


「話す。わしの知っている情報を……」


 それは苦渋の決断であったが、背に腹は変えられなかった。ここはジーンに従う他ない。そして生き延びてジーンから逃れ、機を待つのだ。この若者がそうしたように、自身もまた復讐者となってやる。観念と決意を同時に行った。


 ジーンは満足げに握り拳を下ろした。


「ゼロ。懸命な判断です。以前の魔女も、同様の選択をしました」


 自身の居場所が知られたのはそういう訳か、とフランメは納得した。話したのは口の軽い海の魔女か? それともこちらを良く思っていない大樹の魔女だろうか。ともかく、眼前の命の危機を脱し、裏切り者への報復を考えられるくらいには余裕が産まれた。


「これを見てください」


 ジーンは胸元から砂時計を取り出した。ガラスの中には、青く光を反射する砂が入っている。


「これはとある特殊な砂を詰めたものです。真実の砂、と言いまして、この砂は普段青色をしていますが、この砂が流れ落ちる間に『本心以外の言葉』を話すと、赤く染まります」


 砂時計をひっくり返し、フランメにも見えるように岩の上に乗せるジーン。サラサラと青い砂がゆっくり流れ落ちていくのが見えた。


「要するに、嘘は吐けないってことです」


 では、とジーンは問う。


「貴女が知っている魔女の情報を全て教えてください」


 ほんの一瞬躊躇ったが、正直に話した。


「魔女となったのは最終的にわしを含め十三人。鏡の魔女、月蝕の魔女、海の魔女、大樹の魔女、天罰の魔女、幻惑の魔女、吹雪の魔女、真空の魔女、時の魔女、砂塵の魔女、剣の魔女、重力の魔女、それにわし、業火の魔女」


「ええ」


「魔女はそれぞれ何らかの魔力因子を持っていて、それを起源に魔法を扱う。わしは【火】の因子を持っていて、それを【変質】させることで操る」


「知っています。戦いましたから。既に知っている情報に興味はありません。僕の知らない情報を」

「……他の魔女の居場所が知りたいのなら、わしは分からん。わしらはごく稀にしか会わん」


 ジーンが眉をひそめる。ちらりと岩に乗せた砂時計を見れば、流れ落ちる砂は色を変えていた。赤ではなく、紫色に。


「不確かな情報も要りません。砂の色が変わっていますね? 紫色です。『完全な嘘ではないが、本心でもない』ということです。曖昧な回答は寿命を縮めますよ」


 喉元の刃先がちらりと角度を変え、火の灯りに照らされ妖しく閃く。


「う……わ、わかった」


 フランメの言葉に、砂は青色に戻る。内心ほっと胸を撫で下ろしながら続ける。


「わしらが滅多に会わんのは本当だ。それに隠れ家は定期的に移動する。正確な位置は誰にも分からん。しかし、一人だけ心当たりがある。剣の魔女だ。この辺りの魔物を見たか?」

「……いえ。続けてください」

「あやつらは基本、知性を持たん。本能の赴くままに群れ、狩り、食う。それしかせん。何かを生み出すとすれば、それは他の生物の死体だけだ」

「その、魔物が何だと言うんです?」

「この辺りの魔物は異常に統率が取れている。連携的に群れ、計画的に狩り、必要以上に食わん。これは、裏で糸を引いている知性ある何者かがいるということだ」


 ふむ、と考え込むような姿勢をするジーン。


「その知性ある何者か、が剣の魔女だと? そう考えた根拠は?」

「一目瞭然。奴らの群れの長は、武装しているのだ。自らの躰や魔力でしか攻撃をしない魔物が武装するなど、普通はありえん。それに、奴らの膂力は人間のそれを軽く凌駕する。人間の使う武器ではすぐに壊れてしまうだろう。奴らが武装しているということは、奴らにわざわざ壊れない武器を用意してやった何者かがいるということではないかね? わしには、そんな武器を用意できるのは、剣の魔女しか思いつかん」


 ジーンは考え込む姿勢を崩さぬまま、横目で砂時計に視線をやりながら続ける。


「……嘘はついていないようですね。本心で、この近くに剣の魔女がいると考えていると」

「ああ。奴は……剣の魔女は、名をエイペ・ド・アルクという。わしの記憶通りなら、【鉄】の因子を持っていたはずだ。隠れ家があるとすれば……ここから北西に行った場所にレミという村がある。恐らくは、その近辺だろう」

「鉄の因子……レミの村……他には?」

「あとは分からん。知っていることは全て話した」

「本当に?」

「砂時計を見てみるがいいさ」


 砂時計は、三分の二程の砂を落としガラスの下半分に小さな山を形作りながら、青く淡く輝いていた。


「なるほど」


 ジーンは呟き、顎に手をやった。剣の魔女について考えているのだろうか? ジーンが思考の波に攫われる前に、とフランメは声をかけた。


「さあ、知っていることは話したぞ。解放してくれ」


 こちらを振り返るジーン。その顔には、なぜか戸惑いの色が浮かんでいた。そして、フランメの想像だにしていない言葉がジーンの口から飛び出した。


「解放しろ? 変なことを言いますね。僕は貴女を殺すつもりですよ。解放する気なんてありません」


 衝撃と怒りが同時にフランメを突き抜けた。


「馬鹿な。話が違う! 他の魔女のことを話す代わりにわしの命を助けてくれるという話だったではないか‼︎」

「誰もそんなこと言ってませんよ。この期に及んで命乞いですか」

「くそッ! 確かにお前は言ったぞ!『二つに一つ』だと! 『このまま首を切って殺すか』!『他の魔女の情報を話すか』と!」


 いきりたつフランメに対し、ジーンはあくまで涼やかな態度を崩さない。


「ええ、確かに言いました。……ですが。僕が提示したのは『首を切るか』『情報を話すか』……ここまでです。それ以上は提示していません」


 怒髪天をつくとはこのことだ。はらわたが煮え繰り返る。こともあろうにこの糞餓鬼は、生き死にに際して行った問答をしらばっくれようとしている。その事実だけでなく、「あくまで自身は嘘をついていない」と言わんばかりの開き直った態度でさえある! かっと怒りの炎が燃え上がる。


「ふざけるな‼︎ それにわしは確認したぞ!『情報を教えれば命は助けてくれるのか』と! お前は肯定した! だからわしは話した!」


「うぅん、何か勘違いしているようですね」


「勘違いなどしていない! さっさとわしを解放しろ! この大嘘吐きが!」


 喚くフランメを醒めた目で見ながら、ジーンはため息をついた。やれやれと言わんばかりに、長い長いため息を。


「いいですか。僕は貴女に対して『命を助ける』なんて言った覚えはありませんよ。『情報を教えれば命を助けてくれるのか』という質問には、『胴体と頭はお別れせずに済みます』と言っただけです」


 ジーンの声は、まるで出来の悪い子供を諭すかのように穏やかだった。言葉を紡ぎながら、一切の変化がないその表情に、まさか、と考え、それを言葉に出そうとした。しかし、ジーンが言葉を続ける方が早かった。


「分かりやすく言いましょうか。僕は初めから、『何も話さずに首を切られるか』『知っていることを話してそれ以外の方法で殺されるか』の二択を突きつけていたに過ぎないんですよ」


 例えば、とジーンは右手の剣を持ち上げ、フランメの首元から頭上に──自身の命を支えているロープに──その切先の位置を変えた。


「こうすれば、貴女は首を切られるのではなく、火に焼かれて死ぬ。嘘をついたことにはなりませんね? 僕は二択を提示して、貴女はそのうち一つを選択して情報を話した。何もふざけてなどいませんし、至極当然のことです」


 ぞわ、と身の毛がよだつ。肩から尻にかけて、言いようのない悪寒が背中を走った。目を覚ましてから安定していた情緒が、ここにきて崩れ始める。のろまな神経が、やっと危機を察したかのように恐怖を爆速で生み出す。全身を血が駆け巡るのがわかる。自分が今している表情がわかる。


 フランメは、身体の全てでもって、終わりの近づく生を感じていた。


「うそだ……」


 半ば、喉から勝手に漏れでたような震え声に、ジーンはとある方向を示して残酷を突きつける。


「砂時計を見てみるといいですよ」


 誘導された視線の先には、最後の一粒が今まさに流れ落ちた砂時計。色は、青。抜けるような青。空よりも、海よりも青い。それを視界に捉えた途端、先ほどまでの会話が走馬灯のようにフラッシュバックする。


 この砂は普段青色をしていますが、この砂が流れ落ちる間に『本心以外の言葉』を話すと、赤く染まります。


 赤く染まります。本心以外を話すと、赤く、染まります。赤く。赤く。赤く……。


 何度瞬きしても、何度正気を疑っても、砂時計は既に下側のガラスに青い山を作っているだけだった。それだけが真実を如実に物語っている。


「ああ……うああ……」


 剣をロープに突きつけられては、身を捩ることすら出来なかった。


「『話せば解放する』なんて都合のいいセリフが聞けるのは創作の中だけですよ。貴女は今この瞬間に至るまで、立場の違いを理解していなかったようですね」

「立場の違い……?」

「ええ。対等な敵対関係だと思っていましたか? 違います。僕たちの関係は執行者と受刑者ですよ」


 フランメはもう、黙するしかなかった。


「追う者と追われる者、捕食者と被食者。そんなものとは比べ物にならないほどの上下関係が僕たちの間にはあります」


 さて、とジーンは掲げていた剣をほんの少し動かし、ロープにぴたりと触れさせた。力を入れずとも、ほんの一瞬のブレでさえ命綱に切れ込みを入れかねない位置だ。


 ジーンは、最終問答を突きつけた。


「何か言いたいことは? あるいは、聞きたいことは?」


 フランメはしばしの間沈黙を貫いたが、最終的にはか細い声で鳴いた。足下に火の粉が弾ける音にすらかき消されそうなほどの声で。


「どうすれば……助けてくれますか……?」


 ジーンは氷のような眼差しで答えた。


「無理ですね」


 視界がブレた。ほんの一瞬の浮遊感の直後、身体中を火が舐めた。あまりの苦しみに叫びかけたが、口を開けばそこに炎と熱が入り込み、声を出すことすら許されなかった。体を拘束していたロープは焼き切れていたが、自由になった体で出来ることは無様にその場でのたうつことだけだった。


 必死の思いで顔をもたげる。真っ赤に染まる視界の中心に、憎たらしいほどに青い一点が見える。なぜこの赤の世界でそれだけが青いのか知りたくて、どうにか近づこうとするが、既に全身に力は入らなかった。


 火の燃える音、自分の燃える音。火の粉が弾ける音。意識が弾ける音。それらだけが響き続ける世界に、ふとこんな音が聞こえた。


「どうすれば助けてくれるか、なんて。あの日、何度も問いかけたのに。答えなんて返ってきやしなかった。お姉ちゃんも帰ってきやしなかった。なあ、魔女よ、愚かな魔女よ、醜悪な魔女よ。あたしはきっとお姉ちゃんと同じとこには行けやしない。だから──」


 その音は、燃え続ける意識の根底をこじ開けた。


 既に、何も見えていなかった。だからこれは、自分の記憶なのだろう。克明に浮かぶ、亜麻色の頭髪と緑色の瞳を持つ、夜色のローブを纏った人物の姿。


「──だから、地獄でまた会おうぜ。業火の魔女、フランメ・ド・アルク」


 フランメ、誰だ、それは。

 知っているのはただ一人の名だけだ。


 なぜか知っているその名は。


 ジーン・ド・アルク。


 この名前だけをもって、その他のすべてが、炎にねぶられ消えていく。


 森は燃えていた。


 ほんの一人分の死体が燻る臭いなんて、誰にも気付かれなかった。

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アルクの魔女狩り 睦月紅葉 @mutukikureha

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