第三十一話 聖女様
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――静かすぎる室内に、ペンを走らせる音だけが響く。
リリア・ミラフィアの発する音は極めて少ない。それは彼女が声を発することが叶わないのとは別に、彼女自身の教養の高さを表していた。そんなリリアの口からため息が漏れる。
そんな珍しい出来事に、リリアの友人であり仕事相手でもある、旅芸人のアイーダが読んでいた本を閉じ驚いた顔を向けていた。
「驚いた。リリアさんが音を立てるなんて珍しいこともあるもんですね」
そんな友人の指摘に少し恥ずかしそうにしながらリリアはペンを走らせる。
”私だってため息ぐらいは吐きますよ。”
「何かあったの……あ、聖女様が部屋にいらした件?」
アイーダの指摘にリリアは頷いた。その顔は羞恥を感じているのか赤みを帯びているようだったが、それよりも後悔が勝っているようでその表情には影が落ちていた。
”実は先日聖女様がこの部屋にいらっしゃった時なんですが。私、お話をしているうちに感極まってしまって聖女様を抱擁してしまったのですよ……”
「ええ、なんでそんな事を!? いつも冷静なリリアさんらしくもない!」
先日、ナツメがこの部屋を
”その……私も最初は普通に接していられたのですが、聖女様があまりにもお話に聞いていた通りの方でしたので、年甲斐もなくワクワクしてしまって。更にお優しい聖女様は、縁もゆかりも無い私の声を真剣に治そうとしてくださって。その時のご様子が、心の底から私を慈しむ彼女の心根があまりにも美しく。彼女は神の使徒であり、あの様な膨大な法力を持たれているというのに、全く偉ぶったりなどなさらずとても可愛らしい御方で。あ、いえ、これは彼女の容姿の話ではなくてですね、その内面といいますか、勿論お顔の方も大変美しいとは思うのですが――――”
「長い!! 長いよリリアさん!? どうして抱きついたのかその情景とリリアさんの心情は伝わってくるけど、最早小説だよこれ!? 私途中から読むの疲れちゃったよ!」
あまり見ない友人の興奮する姿に少々引きつつも、確かにあの聖女様が相手ではこうなってしまうのも解らなくは無いとアイーダは考える。かの聖女様は普段はポワポワと緩く、いつも皆に笑顔を振りまくような方だ。よくドジをして周りに謝る姿なども見かけていた。
しかし、
最終的には自らも罹患しそれすら利用して不治の病と言われた疫病を退けたあの姿。今でも目を閉じれば鮮明に思い浮かべることが出来る。
それこそ村を移動する間にシナリオを書き上げ、演劇として形にするほどに。アイーダ達の心に聖女ナツメは強烈に焼き付いていた。
”失礼、取り乱しました。無駄だと知りつつ、それでも私の快癒を願う彼女の姿に感極まってしまいまして。私、劇団のみなさまを見慣れていますので人の内面を見ることに長けていると自負しているのです。ですがそんな私の目から見ても、私を癒そうとする聖女様の清らかな心が――――”
「まったまった、また長くなってるよ!! 長文過ぎる! 全くこんなリリアさん初めて見ましたよ」
呆れたアイーダの声に正気に戻るリリア。己の描いた長文を見て再び頬を赤く染める。
「兎に角。リリアさんが一瞬で聖女様の虜になったのは伝わりましたよ。聖女様はああ言う御方だから、きっとリリアさんの辻ハグにも怒ってないと思いますよ」
”そうでしょうか……”
「聖女様って実は結構大雑把な性格してますし。底抜けに優しいお人好しですし。もう忘れちゃってる気がしますね。まあ見た目は清楚で儚くて、触っただけでも壊れてしまうのではと思ってしまう様な美しさですけど。あれで意外とヤンチャですし」
”そう言えばこの部屋に来られた理由も、従者の方のお説教から逃げてきたとおっしゃってましたね。”
「あー、それはいかにも聖女様らしい。村でもよく桶を持って転んだり、快癒した子どもたちと木の棒片手に探検に行ったとかで泥だらけになって帰ってきたりしてましたから……」
”ふふふ、本当に不思議な御方ですね。見た目はお美しいのにまるで純粋な少年の様。私、正直”献身の聖女”は、いくら何でも話を大きく盛ってしまっているのでは? などと思っておりました。今ではそれを恥ずかしいと思っております。”
「それそれ、”献身の聖女”を見た人数人にも言われてるんですよねえ。いくら何でも、あんな聖人がいるわけ無いだろとか。本当はもう少し簡単に治したんだろとか。失礼ですよねえ、盛るどころか聖女様の献身はあんなものじゃなかったのに」
憤慨しつつナツメを褒め称えるアイーダに、リリアは自分と同じものを感じて思わず笑う。
”どうやら私達、すっかり聖女様の虜ですね。献身の聖女、この劇をどんどん広めて聖女様の偉大さを伝えましょう。”
「いいですね! 今のままではまだまだ聖女様の素晴らしさが出しきれてないのでどんどんブラッシュアップしていきましょう」
――こうして二人の
――――……
「ヘックチ!!」
「きたねえなオイィィッ!?」
「むう、誰かに噂をされてる気がする」
「まず謝れよ! お前、抑え込んで顔面にクシャミするのは人としてどうかと思うぞ?」
「お姉ちゃんにはご褒美だよぉ! 棗きゅうん、お姉ちゃんにもクシャミぶっかけて!!」
「
「あひぃん!」
当の聖女は神聖さとはかけ離れた存在のようだが……
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