第二十九話 魔法陣

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 劇場の喧騒がウソのように静まり帰った室内に、サラサラと文字を書く音だけが聞こえてくる。物音が少ないのは目の前の女性が声を発さないせいもあるけれど、ここが劇場から少し離れた位置にあるせいだろう。


 ”聖女様、改めまして。私この劇場を預かりますリリア・ミラフィアともうします”


「あ、ご丁寧にありがとうございます。僕はナツメ・キヨカワと申します。えっとご存知のようですが聖女などと呼ばれております」


 すでに出会い頭に素の姿を見せてしまったので、ここはもう猫かぶり聖女様モードは早々に諦めて素の口調で話しかける。猫かぶりが面倒くさいからとかでは断じて無い。


 ”このような形で会話をする無礼をお許しくださいませ。故あって声を発することが出来ず、このような形でしか言葉をお届けする事が出来ないので御座います”


「あ、いえ、大丈夫です。僕の方こそ勝手に入ってきてしまってすいません。筆談、大変ではありませんか?」


 僕の言葉にニコリと微笑むと、彼女はまた紙にサラサラとペンを走らせる。ペンの速度は早いのに、書かれる文字はものすごく綺麗だ。


 ”お話に聞いていた通り、とてもお優しい方なのですね。お会いできて光栄です”


「優しいだなんてそんな……僕の事、誰かに聞いていたのですか?」


 僕の言葉に彼女はニコニコしながら頷く。なんというかフワフワとした優しい雰囲気を纏った人だな。彼女が動く度にフワフワと癖のある亜麻色の髪が揺れる。まるで彼女の人柄がそのまま髪の毛に反映されてるかのようだ。見た感じの印象からは、とても劇団の御偉いさんとは思えない。


 ”ええ、アイーダさんが興奮しながら貴女様の起こされた奇跡を教えて下さいました”


 そんなことを考えていると、今度はペンを走らせることもなく、次の紙を差し出してきた。


「ええっ!? 先回りされてる、未来予知筆談!?」


 僕がどういう反応をするかを先読みして、すでに書いてある文字で会話をするリリアさん。流石というかなんというか。これは只者ではない。僕の驚く顔が面白かったのか、彼女は笑みを深めながら次の紙を差し出した。


 ”あまりにも沢山のお話を聞かせていただきましたので、わたくし勝手ながら聖女様と初めてお会いした気がしないのでございます”


「あはは、なんとも照れますね。あのときは余裕がなかったのでさぞ見苦しいところをお見せしてしまったかと……」


 僕が言葉を言い切る前にリリアさんは少し驚いた顔をすると、顔を横に振りながらぼくの言葉を遮った。その後で慌てた様子でペンを走らせると、焦った感じでそれを僕の前に差し出した。


 ”お見苦しいなどと、とんでも無いことで御座います。貴女は私の仲間を、村人たちの命を救ってくださったのです”


 あ、いけない。


 僕の悪い癖で無駄に謙遜をしてしまった。そう言う事を言うと、本気で僕の事を想ってくれる人達を悲しめてしまうって散々学んだはずなのにな。前にもそれでコルテーゼさん達に悲しそうな顔をさせてしまったのに。成長しないな僕も、反省反省。


 僕のせいで慌てて続きを書こうとするリリアさんに謝罪を告げてやめてもらう。


 止められたことで不安そうにこちらを見ていたリリアさんだったけど、暫くぼくの顔を見つめたあとに、安心したようにため息を付いてふわりと笑ってくれた。どうやら僕の気持ちを汲んでくれたみたいだ。


 落ち着いてくれたリリアさんは、今度は先程とは違い、少しゆっくりとペンを走らせていった。静かな室内に響く音が心地よい。


 ”申し訳ありませんでした。アイーダさんから、貴女はあまり褒められたりすることが得意ではないと聞き及んでおりましたのに。”


「いえ、気にしないでください。別に褒められると気分が悪いとかそう言う事はないので。はい、あはは~……」


 うへへ、褒められるのが嫌いではないのだけど、どうにも慣れてないのでむず痒くなっちゃうんだよね。そもそも、あの時の罹患からのやけっぱちの開き直りを、皆さんは美化し過ぎだと思う。アレはどちらかと言うと暴走ポンコツ聖女の笑どころ……いや、笑えないからドン引きエピソードだと思うんだ……


 ”ところで、ナツメ様は何故このような場所に? 確かお仲間の方々と観劇をされていると聞き及んでおりましたが。”


「おっふ、それはですね~。その~、皆に内緒にしてた出来事が劇でバレてしまいまして~……」


 変な嘘をついてまた困らせてしまっても悪いので、リリアさんには正直に事の顛末を説明した。結果、リリアさんが謝罪を始めてしまい、僕がそれに対して謝罪を重ねる不毛な謝罪合戦が始まってしまう。なんだろう、リリアさんに親近感日本人を感じる。


 ――暫くお互いにペコペコしているとふとお互いの目が合い、滑稽な姿に思わずお互いに笑ってしまった。


「あはは、何やってるんでしょうね」


 ”本当に。お話には聞いていましたが、ナツメ様は本当に優しくて面白い方なのですね。それに勇敢でいらっしゃる。


 伝え聞く話では疫病吐きの被害者の惨状は、荒事に慣れた者ですら目を背ける程だとか。そんな中、果敢に治療を行う事が出来る方など殆ど居ないと思います。”


「別に特別優しい訳でも凄い訳でも無いと思いますよ。誰だってあの状況で女神様から授かった力を持っているなら、自分が何とかしなきゃって思いますよ」


 だから偉いのは僕じゃなくて頑張った皆さんの方だと思うんだ。僕がしたのは女神様から貰った力をただ使っただけだからね。その旨を伝えると彼女はまた微妙な表情を浮かべていたけれど、一応納得をしてくれたようだった。


 ”ですがナツメ様。逃げて隠れても何れは戻らねばならない以上、お説教が長引くだけで何も解決はしないと思うのですが……”


「わかってるんですよぉぉ、でも、心の準備くらいしておきたいじゃないですかぁ」


 ”それほどに、そのお付きの方のお説教は恐ろしいのですか?”


「逆なんですよぉぉ、優しすぎるから、泣きながら僕の心配してくれるから。下手に怒鳴られるより心に受けるダメージが大きいんです!! 罪悪感に押しつぶされそうになるんですよ、嗚呼なんとか先延ばしにして有耶無耶に出来ないかなあ……などと思い逃亡した次第なのです、はい」


 ”それは……お気持ちはわかりますが……正直オススメ出来ない手段を選びましたね……”


「あうあうあう……」


 わかってますよぉ。そんな呆れ顔で見ないでくださいよ。僕がここに逃げ込んだ理由を知った彼女の目から、先程まで感じていた尊いものを見るような色が消えていく気がする、代りに浮かぶのは残念なものを見る憐憫の情、やめてくださいそんな目で見ないで。


 ”とりあえず、逃げてしまった事は仕方ありませんね。折角こうしてお会いできたのですからお茶などいかがですか? このような時でなければ、ナツメ様とご一緒できる機会はないでしょうから”


 そう言うとリリアさんはいくつかの線と円が描かれた紙の上に水の入ったポットを置いた。入っているのはお湯では無く水、沸いても居ないただの水。これをそのまま出すことで帰れぶぶ漬けどすという意思表示とかだったらどうしよう……そんな不安が頭を過る。


 ――いやいや、優しいリリアさんに限ってそんな筈は。


 そんなことを考え戸惑っていると、目の前に置かれた水ポットに変化が現れた。


「……え?」


 どこにも火を起こすようなものがないのに水が沸騰していく。まるで電気ケトルで水を沸かしたかのような光景に困惑する。見たところリリアさんが魔法を使った気配は無い。何より彼女は呪文の詠唱が出来ないので魔法は使えないはず。


 ぼくやウェニーお婆ちゃんなら”秘奥の心得”の無詠唱が可能だけど、アレはお婆ちゃんの秘術の中でも奥伝とされてる技術だって聞いている。そんな実力者なら国のお抱えになっているはずだ。


 そんなことを思いつつ彼女を見ると、リリアさんは暫く考え込むような素振りをしたあとに紙にペンを走らせた。


 ”聖女様、もしかして魔法陣をご覧になるのは初めてですか?”


「魔法陣?」


 なんじゃそれはと顔に出てしまったようで、それを見たリリアさんは少しおかしそうに笑うと、また紙に文字を書き始めた。


 ”この水をお湯に変えた紙は魔法陣というものでございます。今ではあまり使われない古い技術で、人間がまだ魔法を詠唱で発動することがまだできなかった時代。魔力というものを何とか利用できないかと原始の魔術師たちが試行錯誤して生み出したものとされています。


 後に女神マディスの天啓により、人々は詠唱で魔法を構築することが出来るようになりましたので魔法陣は廃れてしまいましたが、ある意味ではこれこそが人が自力で生み出した人間の魔法と呼べるものかもしれません”


「原始の魔法技術……なるほど。この描かれている図形によって発動する魔法が変わるんですか?」


 ”そうです。魔力を込めた線と点、これに起動するための魔力を流すことで込められた魔術が発動します。ですが詠唱で行う魔法より規模も小さいですし、何より紙に描かれた魔法陣は嵩張りますので、私の様な特殊な事情がある者以外にこれを使う者は居りませんね”


「ふむふむ、そしたら僕の治癒術も魔法陣にしてみんなに配ったりできるのかな?」


 名案だと思ったけど、それを聞いたリリアさんは首を横に振った。


 ”残念ながら聖女様の行使される法術は、他人を想う慈しみの心が大きく効果に現れるものですので、魔法陣ではその効果は再現することはできないでしょう。また、魔法陣でできる事は規模の小さい魔法が主流でございます、このようにお湯を沸かす程度でしたら便利な技術と言えるかもしれませんが、戦闘などで使うとなりますと難しいかと思われますね。”


 そう言いながらリリアさんは茶葉にお湯を注いでいく。ソーサーにも魔法陣の描かれた紙が挟まっており、カップを温める効果があるみたいだ。


 ”こちらの湯を沸かした魔法陣と、こちらのカップを温めた魔法陣。実は描いてある図は同じものなのですよ”


「同じ図面なのに火力? に、差が出るものなんですか?」


 ”はい、それこそが魔法陣の使用用途が限られる理由なのです。魔法陣はそこに込められる魔力の量と図形の大きさで威力の調整を行うものなのです。また紙などに描くときは、込められる魔力量も紙の大きさに左右されますので。冒険者が魔物に使うとなると、かなりの大きさの魔法陣を持ち歩くか、地面に大きな魔法陣を書いて、そこに誘導する必要があるのです”


 成る程、それは使いにくい。わざわざ荷物を増やす冒険者なんて居ないものなあ。


「でも魔力があれば、誰でも同じ効果の魔法を発動できる感じなんですか? 例えば僕が攻撃魔法を使ったり」


 ”はい、それはそうですね。そこが魔法陣の長所ではあります。”


 ふむ、ふむふむ、これはひょっとして、うまく使えば僕の戦闘力の強化に繋がるものなのでは?


 ”興味がございましたらこちらをどうぞ。魔法陣について描かれた本でございます”


「えっ! 頂いても良いのですか?」


 ”ええ、そこにあるものはすべて暗記しておりますので。”


「これを全部? 凄いですね」


 ”私にとってはこれしか魔法行使の方法がありませんでしたから。自然と全部覚えてしまいまったのですよ”


「そうか、リリアさんは声が出せないから……そうだ、よければ僕がリリアさんの喉を診てみましょうか?」


 僕の提案にリリアさんは少し困った顔をしたあと首を横に振った。


 ”ありがとうございますナツメ様、貴女様のお気持ちは大変うれしく思います。ですが、私の声は病や怪我によって失われたものではないのです。ですのでナツメさまの法術であっても効果はないと思います”


 怪我や病気ではない。そう言えば以前TVで、精神にあまりに強いショックを受けると言葉が話せなくなる事があるって話を放送してるのを見たことがある。もしそれが原因なのだとしたら……


「ごめんなさい……少し無神経でしたね」


 ”謝らないでください。貴女様のその気持だけで、私は嬉しいのです。それにもう随分昔の話ですので、ナツメ様がその様なお顔をなさる必要は無いのですよ。”


 ――確かに心の問題では僕の法術は役に立たないかもしれない。それにリリアさんも今では気にしていないのだと言っている、でも……


「……あの、何の意味もないかもですし、僕の自己満足かもしれませんが、やっぱり治療を試してみてもいいでしょうか?」


 僕の発言に驚いた表情になるリリアさん。でもすぐに笑って首を縦に振ってくれた。


「それじゃあ、だめかも知れないけど頑張りますね」


「……ッ!」


 いつもと違って、患部はわからない。でもだからこそ全力で魔力を注ぎ、リリアさんの全身、その奥の奥まで癒やすつもりで法術を発動する。


「どうか、何時か貴女の心が瘉え、その声が戻りますように”治療トリーティング”!!」


 効果がないことは解っていても全力で心を込めて。治癒術の力は癒やしの心の強さが重要だと聞いている。僕なんかの祈りでどうにかなるとは思えないけど、それでもありったけの気持ちを込めて。


 祈るような気持ちで治療トリーティングを行使する。やがて法術の発する淡い輝きが薄れてきた所で、リリアさんはゆっくりと自らの喉を擦った。


「…… …………」


 何度か口を”あ”の形に開いてヒュー、ヒューと息を吐く。


「……ごめんなさい」


 やっぱりダメだった。残念ながらリリアさんの声は全く戻っては来なかった。解ってはいた事だけど悔しい。余計なことをしてしまったことが申し訳なくて思わず俯いてしまった。しかし次の瞬間、僕の顔は暖かくて柔らかいものに押し付けられた。


「むぐぐぐぅ!?」


「……」


 ――突然の衝撃で、リリアさんに抱き締められているのだと理解するのに数秒かかってしまった。僕の身長が低すぎたために、抱き締められた事によって僕の顔がリリアさんの胸部装甲に埋まってしまったようだ。


 ……でかい!!


「むぐ、むぐぐぐぅ!」


 とは言えこれは、息が吸えない……あ……意識が、飛んで……


「ぷぁっ!?」


 危うくブラックアウトしそうな所でリリアさんが僕を開放してくれた。良かった、ひょっとしたら無駄なことをさせられて怒ったリリアさんが、僕を抹殺しようとしたのかと思った!! どうやら今のは感情に任せて本人も無意識にやってしまった行為ハグのようで、僕を離したあとのリリアさんはあたふたと慌てていた。


 ”申し訳ありません。その、聖女様があまりにも尊く。感情を制御することができませんでした。”


 文章じゃなかったらめちゃくちゃ噛み噛みになってそうな勢いでリリアさんは紙にペンを走らせていく。そんな状態でも彼女の文字は美しい。


 ”声は確かに戻りませんでしたが、ナツメ様の優しさが体に流れてくるのを感じました。献身の聖女、もちろん疑っていたわけではありませんが、私あの話が全て真実であったのだと確信致しました。


 今まで数多くの聖職者と言われる方々にお会いしましたが、貴女ほど心が美しい方を見たことがありません。女神様の遣わした聖女様。真に聖女と呼ばれるに相応しいのは、この世に貴女様だけなのかもしれません。”


「いやいやいや、。褒めすぎです。今回は何のリスクも負ってませんし。何より治療も失敗してますからね?」


 いや、本当にやめて。そんな目で僕を見ないでください、いたたまれない気持ちになるから!


「そ、それじゃあ僕はこの辺でお暇しますね」


 とうとう耐えきれなくなった僕はこの場からの逃走を試みることにした。それを見てまたリリアさんが笑う。


 ”ふふ、聖女様は謙虚な方なのですね”


 本当にやめてよぉ。過大評価は逆につらいからぁぁ。

 僕は慌てて部屋の出口に移動する。


「あ、そうだ、魔法陣の本。ありがとうございました! 早速僕の仲間に見せて来ようと思います。それじゃあリリアさんお茶、ごちそうさまでしたー!」


 居た堪れない空気に耐えられなかった僕は、一目散に部屋をあとにした。リリアさんが何かを言いたそうにしていたけど、とりあえず避難だ。ついでに魔法陣を実践してみんなを驚かしてみよう。







 ――――……






「これは素晴らしい物ですね、ナツメ様。いかなる場合でも自己研鑽をされる姿。このコルテーゼ感服いたしました。それはそうと先程の演劇の内容でお話がございます。よろしいですね?」


「ア、ハイ……」


 ……なんであの部屋に避難したのかわすれてた。


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