第十九話 真意のしれぬ女
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―――― side 皇帝 ジークムンド
――翌日、目覚めとともに冷水で洗顔し、ふらつく頭を無理矢理に覚醒させた。鏡に映る疲れた中年の姿にため息を付きつつ、昨日の記憶を辿る。どうにも昨日あった出来事が、どこまで現実だったのか確信が持てない。酒場で数回会った得体の知れない仮面の女。本来、皇帝でなかったとしても、そんな怪しさしかない人間に告げられた言葉を信じるものなどいない。
『僕がなんとかしてやっからさ!』
「……馬鹿げている」
そう、馬鹿げている。あんな怪しい輩に言われた事がなんの保証になるのか。そも、あの小娘は何者だ? あのような場末の酒場に現れる人間が宮廷関係者のはずもなし。さりとて無関係なのかというと、話の内容が妙に引っかかる。とは言え正気の人間であれば、あんなものは酔っ払い相手の冗談だと一笑に付すところだろう。
……で、あるのに。
「俺は一体何をしているのだろうな」
俺は今、黙々と登城準備を続けていた。髭を剃り、正装に身を固め、配下に指示を下す。今日の登城の理由を聞かれたが、答えることは出来ない。
黙ってついてこい。そして相手に失礼な真似は厳禁だ。という俺を見つめる側近共の顔ときたら、一晩経っても酔っているのかと訝しむかのような表情だった。いや、実際そう思われているのだろう。
自分でも呆れているのだから事情を知らないコイツラが呆れるのも無理はない。
だが、俺はなぜか昨日のあいつの言葉に逆らうことが出来なかった。あの巫山戯た仮面女の真剣な声色。 ……そういえば俺はあの女の名前すら聞かされていなかったな。
「ふ、フハッ! フハハッ!!」
いかん、自分の馬鹿さ具合に笑いがとまらん。これではいよいよ狂人ではないか。みろ、側近共が呆れを飛び越して心配そうなツラをしているぞ! どうする皇帝よ。お前は本当に狂ってしまったのかもしれないぞ?
だが、鏡の中自分を見れば、その表情に曇りはない。こういうときの俺の勘は冴えているんだ。その勘が告げている、今回のこれはチャンスであると……
そうと決まれば善は急げだ。
「よし、行くぞ野郎ども。今日は紳士的に人さらいだ!!」
何が出てくるかわからんが、出たとこ勝負、上等じゃねえか……
……――――――
などと意気込みやっては来たが、さすがの俺も昨日の今日ではやや気まずい。しかし我々の姿を見れば守衛が門を開き最敬礼での迎えを受けた。
昨日とは違い、先触れを出してからの正式な訪問に、本日は兵士を蹴る手間もない。
……昨日の蛮行の後であるからにはそれなりのゴタゴタを想像していたのでいささか拍子抜けだ。まさか本当にあの娘……なにかしたのか?
正門を潜り、長い庭を歩いていくと、数人の男女が出迎えているのが見えてきた。どうやら今日は女王陛下のお出迎えではないらしい。ということは、アレが噂の……
「――こうして落ち着いて顔を合わせるのははじめてございますね。私、女神マディスより勇者の位を賜っておりますアオイ・タケハラともうします。皇帝陛下に於かれましてはご機嫌麗しゅう」
まずは中心に立っている金髪の美女が見事なカーテシーで俺を出迎えた。
「これはこれは、伝え聞く武勇に反してなんとお美しい。貴女のような方に出迎えていただけるのであれば、昨日も大人しく参上するべきでしたな」
「ウフフ……」
「ははは……」
実際ドレスを身にまとったその姿は驚くほど美しいが……騙されんぞ。昨日出会い頭に斧を投げつけて来たのが勇者であった事を俺は忘れてねえ。昨日は後ろにいる聖騎士と騎士団長の二人に一瞬で退場させられていたが、あのときの野生のオーガでも裸足で逃げ出しそうな凄惨なツラは忘れられん。今目の前で柔らかく笑みを浮かべている様からは想像もつかんが、コイツは油断できない女だ。絶対に信用してはならない。
そして横にいる無言の大男が聖騎士、確かヒデヒコといったか。昨日の態度を見るに、いかつい風貌をしては居るがこの女よりよっぽどまともな神経をしている。だが、なぜそんなに睨んでいる。何か怒らせるようなことをしたか? ……あー、したかもしれんな。この男が女王とただならぬ間柄であったりすれば、昨日の所業は万死にあたるか。まあ良い、今日は紳士的に行くと決めているからな。何なら個別に謝罪することも厭わんぞ俺は。
……そしてさっきからこの大男の後ろにもう一人影が見えるのだが、何をしているのか?
「(ちょ、どけよゴリラ。僕がみえないだろ!!)」
なんだ? 小声でコソコソなんか言ってるが……
しばらくゴソゴソ大男とやりあってたようだが、とうとう男が根負けしたようで、漸くその人物が俺の目の前に現れた。
その瞬間、ガラにもなく俺の脳みそは真っ白になった。
正直美女などというものは見飽きている。俺には正妻妾合わせ二十名の妻がいる。どの女も、地元種族で一の美姫と謳われた女どもだ。また外交でエルフ共と会うことも多い。奴ら中身は俺らより酷い蛮族だが、見た目だけなら超がつくほど上等だ。
だが、それらを見飽きた俺が、単純な容姿に目を奪われ、脳が焼ききれるような衝撃を受けている。
躍り出た勢いで風に流れる髪は、まるでシルクのように風に靡き。光を集めたかのような白銀の髪が朝日を反射する様は、それ自体が光を放っているかのように神々しい。更にその
目があった瞬間年甲斐もなく顔が熱を持つのを感じた。
……先日は斧投擲に驚愕し、正気に戻ったときには連れて行かれる勇者の後を追う後ろ姿しか見れなかったが……これが噂の、聖女ナツメ・キヨカワか。聞きしに勝る……いや、そんな次元ではない美しさだ。
「 ――か ――……いか」
「……」
「――皇帝陛下?」
「――……はっ!?」
いかん、何を呆けておるのだ。今目の前に居るのは、本日のど本命ではないか。しっかりしろや皇帝ジークムント!!
「いや、失敬。お初にお目にかかる、聖女ナツメ・キヨカワ。お、お、俺は……」
……なにをどもっているのだ俺は。
「ふふふ、どうしたのですか、皇帝陛下らしくもない」
しかし、そんな俺とのやり取りの何が面白かったのか聖女が笑う。その姿を見るだけで動悸が止まらぬ自分に嫌になるが。こんなもの男であれば仕方ないのではなかろうか?
「こんなところではなんですし。落ち着いてお話をできるところへ参りましょう? ご案内いたしますわ」
「ぉ……おう。よろしくたのむ。たのみますぞ」
「
――それからどこをどう通ったのか。よくわからぬ間に応接間へと通された。
目の前には聖女を中心にその両脇を勇者と聖騎士が固めている。どうやら今日の俺の相手は聖女が行うつもりらしい。女王は? と言うか物事の決定は勇者が決めるものではないのか?
「それでは本日は、私ナツメ・キヨカワが皇帝陛下のお話をお伺いいたします。どうぞよしなに」
「……よろしくたのむ」
相変わらず聖女の笑顔には険がなく、朗らかにニコニコと笑みを浮かべている。同じ笑みを浮かべた美女でも、横で興味深そうにこちらを観察する勇者のものとはだいぶ違った印象をもつ。あと聖騎士はなぜ俺を殺しそうな形相で睨みつけてくるのだ。正直恐ろしいのだが?
「さて、皇帝陛下。大体の話は聞き及んでおりますが、本日はどのような御用でしょうか?」
「むぅ……」
さて、どう切り出すか。正直なところ、聖女の真意が判らない。何故か、昨日の話が本当に通っているような雰囲気があるが、本当にバカ正直に信じて良いものか? いや、まずは誠実に行ってみるべきか。
「まずは……」
「はい」
「まずは先日の蛮行の謝罪を受けていただきたい」
「はい、謝罪を受けましょう」
「…………は?」
「……? どうしました?」
俺の謝罪を即座に受け入れる聖女。何だこれは、俺は馬鹿にされているのか? 彼女は相変わらずニコニコとしているだけで表情に変化はない。俺は段々とその無邪気な笑顔に恐ろしいものを感じ始めた。
「それで、なにかお願いがあるのではないですか?」
「それは……」
どうする? 何が正解だ? 逆に何が虎の尾を踏むことになる言葉なのだ? 分からぬ……
い、いや、落ち着け、空気に飲まれるな。何があろうが、俺の目的は変わらないだろう。
腹ァくくれや! 行くぞ、真っ向勝負だ!
「聖女ナツメ殿、我の願いは唯一つです。どうか我が国へ出向き、我が国民を救って頂きたい!!」
「はい、いいですよ」
「無理を言っている自覚はある! 昨日の無礼な態度のあと何をいうという反感も。だが、そこをなんとか……は?」
「はい?」
いまなんと言った?
「俺は聖女殿に我が国に来てほしいのだが?」
「はい、行きますよ?」
「うちの国民は戦いで苦しんでまして……」
「ですからお助けしますよ?」
「……?」
「……??」
何を言っているのか理解できず首をかしげる俺と、目を合わせたまま同じ方向に首を傾げる聖女。
「バキィッ!」
突然聖騎士の口から人間が出せるものとは思えぬ歯ぎしりの音が響き俺の頭に思考が戻る。
「聖女どの、わかっておられるのか? 帝国は戦の最前線。ここより遥かに危険な場所ですぞ?」
「わかってますよ?」
「わ、私は先日ここで無体を働いた男ですぞ?」
「はい、アレは駄目でしたね! あとで女王陛下にも謝罪してください?」
「そ、それは……はい必ず。 ……ではなく!」
なんだ? トントン拍子ていうレベルではないうまい話に、喜びより恐怖が湧き上がる。
「ふふ、なぜ、そんなに怖がるのですか。私と貴方の仲ではありませんか?」
「ギリッ!!」
「仲!? おれと? いったいなにを」
なんだ、怖い、怖いぞ!? 横にいる聖騎士の殺気も恐ろしいが。それよりもこの女が恐ろしい。もしかしてこの女ヤバイやつなのか? 何が望みだ? 俺はこの無償の助けにどんな対価を払うことになるというのだ!? いろいろな思考に囚われた俺の体は、自然と震え始め変な汗が引き出してきた。今までどんな目にあってもこんな得体の知れない恐怖に襲われたことなどない。
……もしかしたら、俺は気づかぬ間に、なにか恐ろしい陰謀に巻き込まれているのでは……?
そんな考えが脳裏をよぎった時。
「……ぷ、ふ、ふふ。あっはははははは」
そんな俺の姿を見ていた聖女が突然笑い始めた。その姿は、先程の楚々とした振る舞いと打って変わり腹を抱えて笑い始める。突然の豹変にあっけに取られていると、いたずらを成功させた少年のような笑みを浮かべた聖女が何もない空間から何かを取り出しそれを顔にかぶった……
その見慣れた姿に俺の頭の中で謎だったピースが全て嵌っていく。
「…………あ……あーーーーお前ーーーーーー!?」
「昨日なんとかしてやるっていったろ? 僕は嘘つかないんだぜおっちゃん!」
そこには心底嬉しそうな声で俺を煽る、あの禍々しい仮面の女が鎮座していた……
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